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MARIUPOL

3ヶ月以上にも及んだカザフスタン、ロシアでの歩行。
水、食料の確保が難しい無人地帯が続いたカザフスタン。
無謀にも地図なし、さらには宿代の高さに悲鳴を上げたロシア。
風邪をひいたり、大雪に見舞われたり、車輪トラブルに見舞われたり、
足を止める日は数日あったものの、歩いて歩いて歩きまくる日々。
歩きまくる日々っていうのもそれなりに楽しいのですが、まあ疲れました。
気になって数えてみると、
7月末のビシュケク出発以来、ホテルに泊まったのは3ヶ所で計5泊のみ。
3ヶ月で計5泊のみ。
そりゃ疲れるわけだと思いながら、やって来ましたウクライナ。
現在地、ウクライナ・マリウポリ。
アゾフ海に面したこの街で長旅の疲れを癒し中。
久し振りに見る海。
マリウポリ滞在中は毎日、海が見えるこの場所まで足を運んでいる。
大きな街とは言えないものの、自分にとってはこの程度の大きさがちょうど良い。
このウクライナっていう国、入国直後、いや入国スタンプが押される前から、
国境警備兵やらイミグレ職員が非常にナイスガイな方々で、好印象を抱いていたわけですが、ウクライナ人ってとても親切でフレンドリーです。
他人に無関心でどこか冷たい、
ヨーロッパにはそういう印象があったものの、
歩行中に立ち寄る小さな町や村、
そこで出会う人達。
ロシア、そしてウクライナと、温かな人達と出会う事ができ、杞憂に終わりそう。
ただ、ヨーロッパに入り、水や食料の確保に悩まされる事もなく、無人地帯があるわけでもなく、これまでと違い、何の苦労もない、とてもぬるい環境となった。
これまでは、蛇口をひねれば水が出る環境、ボタン一つで流れる水洗トイレ、夜の街を照らす街灯、街に設置されたゴミ箱、
街に着く度に、そんな環境に身を置く度に、キャーキャー言ってはしゃいでおりましたが、
このマリウポリでは、トイレに紙を流せる事に感動。
ここはヨーロッパなのだと改めて思う。
そろそろこの環境にも慣れないと。

<写真>
ホテルの厚意により、タダで泊めさせてもらっています。
写真を見れば分る通り、立派なホテルです。
朝・夕食付き。

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散らかし放題の部屋。

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部屋の窓から見る久々の青空。

<写真>
食料の心配は全くないものの、スーパーで食料を買い込む。
ヨーロッパに入っても主食はラーメン。
ウクライナの地図も買い、準備は整った。

<写真>
ロシアで出会って以来、かなりはまっているお菓子。
歩行中、商店を見つける度に、買い求めてます。

<写真>
10日前は大雪、冬でしたが、ここはまだ秋。
1ヶ月振りのラフマット
いざウクライナへ!
ロシア・ウクライナ国境はもう目の前。
意気込んで歩いていると、道脇に停車していたトラックから声がかかった。
「コシャリ、コシャリ」
飯食ってけ、とトラックに招いてくれたのは、愛すべきカザフ人ドライバー。
ロシアを歩行中、KZステッカーが貼られたカザフスタンのトラックを何度か目にする事があったけど、こうして声をかけられたのは初めての事。
1ヶ月振りに接するカザフ人に興奮。
「いやーあなたの国では色々と苦労したけれど、本当に素晴らしかった。ハラショー」
しかもこのドライバー、
アルマティ・ビシュケク間で山越えをしているところを見かけたというんだから、尚更嬉しい。
もう5ヶ月も前の話。
そんな彼と、今こうしてロシア・ウクライナ国境で接しているなんて不思議な感じ。
「お会いできて嬉しいです」
と、ガッチリ握手。
シュムケントからアスタナなどカザフ国内を回り、ロシアへ。
ここまで12日かかったのだとか。
これからウクライナを経て、モルドバへ向かうという彼ら。
仕事とは言え、アジアからヨーロッパへ。
往復1ヶ月にも及ぶロングジャーニー。
スケールの大きい話だと思いませんか?
「ラフマット」
別れ際、1ヶ月振りに使う感謝の言葉。
ウイグル自治区から幾度となく使った懐かしい言葉。
懐かしい響きだと思いながら、ウクライナへと向け歩き始めた。

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車輪復活後のリヤカー。
わずか2日でパンクしたりと、悩みは尽きない。
オデッサ辺りでこれまでのタイヤに合った車輪を見つけたいところ。

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上海以来の海。
黒海ではなくアゾフ海というらしい。

<写真>
さらばロシアンポリス。
ロシアではチェックポイントや巡回中の警察により、ほぼ毎日パスポートチェックがあった。
この写真のポリスは大変素晴らしい方々でした。

<写真>
日没後の越境。
5カ国目・ウクライナへ。
17時30分でこの暗さ、ライトで照らしながらテント設営地を探す。
ヘイリーマムヌーン
「ヘイリーマムヌーン」
ぼくの口から出た感謝の言葉は、ロシア語のスパシーバでなく、ペルシア語であった。
今回の窮地を救ってくれたのはイラン人。
いや、イラン人だけではない。
イラン人が指揮を取り、アルメニア人がタクシーを呼び、グルジア人ドライバーのタクシーで修理屋へ運んでもらい、ロシア人職人から車輪を購入。
その他、タジク人やベナン人にもお世話になり、国際色豊かなものであった。
前日の修理屋にて、ロストフのバザールについて教えてもらった。
しかし、ここでは同サイズの部品は手に入らず。
その後もあきらめず、バザール内で聞き込みをしていると、救いの手を差し出してくれたのはイラン人・エーベであった。
彼の指揮の元、上述した方々の助けを受け、
とても自分一人では見つけられなかったであろう修理屋に辿り着く事ができた。
何とか車輪を入手できた。
ただ残念な事に、これまで使用していたタイヤ・チューブとは若干サイズが合わず、
やや小さいものしか手に入らず。
また、亀裂が入ったタイヤ、スポークも1本欠けていたりと、手に入れたものは中古品。
しかしながら苦労の末、ようやく見つけた車輪。
文句どころか、ここまで助けてくれた方々に対する感謝の気持ちで一杯であった。
再びロカ岬を目指し、歩く事ができる。
その事が本当に嬉しかった。
当初予定していたシルクロードルート。
今となってはカザフスタンやロシアを歩き、たくさんの出会い、経験を経て、
このカザフ・ロシアルートを歩く事ができて良かったと思っている。
シルクロードに対する未練など微塵もないのだけど、
こういう形で大好きなイラン、イラン人と出会う事になるとは、おかしなものだなと思うわけです。

<写真>
車輪を手に入れ、荷物を預かってくれていたロシア人の元へ戻る。
温かく迎えてくれたクーガアスとその友人達。

<写真>
クーガアスは寝床まで提供してくれ、シャワーにおいしい食事も与えてくれた。
久々に感じる家庭の温もり。

<写真>
「寒いからこれを着ていきなさい」
別れ際、彼はジャケットを渡してくれた。

<写真>
クーガアスと母。
車輪トラブルがあって彼らと出会う事ができた。
そう考えると、今回のトラブルも悪くはなかったかなと思える。
ロカ岬に到着した時、思い出すべき顔がまた増えた。
РOСТОВ (ROSTOV)
昨日素通りしたはずのロストフに戻っています。
ウクライナはもう目の前、
あと100キロほどなのですが、
にも関わらず、ロストフへ戻らざるを得ませんでした。
車輪が壊れました。
ロストフから15キロ地点にてぶっ壊れました。
これ以上先へ進めなくなりました。
カザフスタン辺りから車輪の劣化に気付いていたものの、
部品を交換できないまま、入手できないまま、歩き続けてきました。
ウクライナ・ドネツクで修理するつもりでいました。
ウクライナまで耐えてくれ、
そう思いながら歩いてきた訳ですが、ついにぶっ壊れました。
数日前、思い切り雪が降りまして、思い切り積もりまして、非常に寒いロシア。
冷たい雨、風が吹きつける中、壊れた車輪を目の前にどうする事もできませんでした。
いや、本当に途方に暮れました。
ヒッチハイクをしてロストフへ戻る事も考えましたが、車は停まってくれません。
これまで嫌になる位、「乗ってけ、乗ってけ」と声をかけられてきましたが、
こういう肝心な時に、そんな声はかからず・・・。
しかし、ヒッチハイクをしたところで、50キロはある装備品、動かないリヤカーを持ってロストフまで戻ってもしょうがない。
このロストフって街には安いホテルがないし、大量の荷物を抱えて戻ってもしょうがない訳で。
結局、ガタガタ、ボロボロの車輪で2キロを無理矢理歩き、何とか住宅地に到着。
幸運にも親切なロシア人と出会う事ができました。
とりあえず現在、彼の家に荷物を預かってもらっています。
この町の修理屋へも連れて行ってもらいましたが、車軸のサイズが合わず。
ロストフで同じサイズの部品を見つけられるかも確かでない。
ロストフがダメなら、40キロ先の таланрол(タガンログ)へ行きますが、ここでも部品を見つけられなかった場合、どうするか正直分かりません。
とりあえず今夜は24時間営業のインターネットカフェで夜を過ごします。
日本語を打てないどころか、読めないんですが、外は雨、とても寒い。
寒く長い夜。
バスターミナル周辺は危ない雰囲気だし、夜の街を出歩くのは避けたい。
無難にこのネットカフェで夜を過ごします。
ロストフの今夜の気温を調べてみたら−2度から−7度らしい・・・。
(ロストフにてローマ字で打ったものを日本語に修正)









