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ALKINIST -あるきにすと-

巡礼者 

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「クラウアシで見かけたよ」と声をかけてきたトラックドライバー。
クラウアシで初めて見て以来3度目にしたのだとか。
クラウアシを通ったのはもう10日以上も前、ここから600キロも離れたところ。
長距離歩行をしていると、同ルートを走るバスやトラックドライバーと何度か遭遇し、声をかけられる事がこれまでも度々あったけど、こういう出会いもまた嬉しい。



その後十字架や太鼓を持って砂漠地帯を歩く5人組と遭遇する。
話を聞いてみるとチリ・アリカから1カ月以上も歩き、ペルー北部の「何とか」という場所を目指しているらしい。
1日50キロは歩く巡礼の旅。
結構速いペースで歩くので、この日は彼らの背中を追って歩いた。

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彼らと接して最も驚いたのはチリから歩いてきたという事実、荷物の少なさや信仰心でもなく、その足元だった。クロックスにサンダル、靴を履いている人が1人もいないという…。

Nasca 

12日間の疲れを癒すべく、何もする事なくナスカで1日休養。
翌日歩行を再開。



ナスカの町を抜ければこんな景色が続き、上空を旋回するセスナが現れ始める。

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かの有名なナスカの地上絵がここにはあるのだ。

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あまり興味がなかったのでもちろんセスナなどに乗らなかったが、ここにはミラドール(展望塔)があるので一応見ておく。

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ここから見えるのは「手」

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「木」

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地上絵のど真ん中を貫く道路。
地上絵発見以前にパンアメリカン・ハイウェイの建設は進んでおり、地上絵の一部はハイウェイにかき消されたり、消滅したのだとか。

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ミラドールから降りて見る「トカゲ」の尻尾部分。

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道路の向こう側にある上半分。

世界遺産に指定され、観光資源という事で今はしっかりと保護されているが、1000年以上も前に書かれたものが今も残っているというのはなんだか胡散臭い気がするというのが正直な感想。

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ナスカの地上絵を貫く道路を歩けたのは良かったというくらいで、感動とか喜びはあまりないです。

ナスカへの道 4 



10日目。
プキオを出て300メートル程上るが、意外にもその後は緩やかに下っていく。

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そして昼前にLucanas着。
商店で買い物をし、昼食をとる。

商店でこの先の道について尋ねると「ナスカまでひたすら下りだ」と予想外の答えが返ってきた。念のため食堂でも尋ねてみると「上りはあるけどポキート(少しだけ)よ」とお姉さん。
地図を見れば4300メートルの峠があると記載されていたが、地図の高度は誤りなのだろうとニンマリ。
クスコから続いた上りももう終わりなのかと余裕を感じながら昼食。

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再び歩き始めれば、正面の山の上の方を走るトラックが見え、もう嫌な予感しかない。
目を凝らしてみれば、クネクネトした九十九折の道が山にへばりついており、これのどこが「ポキート」なのかとぼやき、ひたすら下りなんて嘘じゃないかと商店のオヤジを呪いたくなった。

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ナスカへの最後の上りが始まった。

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上ります。

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これまでの上りと同じく、勾配はそこまできつくないので余裕はある。

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夕方、料金所が現れたのでここにテント。



11日目。
早朝、テントを片付け、出発準備をしていたところ、料金所の警備員のおじさんが「これお前だろ」と新聞を手渡してきた。
ペルーで取材を受けた事はないし、「何言ってんだ」と思いながら紙面に目をやる。

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「は?」と思った。
本当に載ってるではないか。
しかしもう一度言っておくけど、ペルーで取材を受けた事はない。
この写真は2013年に上海に到着した時、共同通信が配信したものだし、記事もそこから抜粋されているようだった。上海後のアフリカ大陸縦断については全く触れられていない。

記事を読み進めていくと、「現在リマにいて、日本人宿に泊まっていて、セビーチェを食べて」というような事が書かれているけど、自分はこの時アンデスの山中にいたし、日本人宿に泊まる予定もないし、セビーチェもまだ食べたことはない。
なぜこのような意味不明な記事になったのか、思い当たることが一つあるけど割愛する。

これから治安の悪い首都リマ、サイクリストが度々襲われているペルー北部を目指すが、「歩いている日本人」がいるという話が広く知れ渡っているようなので不安が少々。
数年かけて徒歩で地球一周したことがこの記事で触れられているのでお金を持っていると思われてもおかしくない。
アフリカに南米、治安の悪い国では目立たないように慎重に行動してきたのだが、こういう形で多くの人に知られるようになったのは本当に迷惑だし不愉快な事だった。

面識のない第三者によってもたらされた災難。これが原因で何か起こっても彼らは無関係を装い、自分は自己責任なんて言葉で片付けられる。なんて理不尽なんだろう。

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約400メートル上り、峠の頂上へ。
クスコからここまで上り坂で足を止める事はほとんどなかったが、最後は勾配がややきつめで何度も足を止めながらゆっくりと進んだ。

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最後の峠を越え、あとはナスカまでひたすら下るのみ。
峠を越えてからしばらくはビクーニャが多く生息する場所を抜ける。

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前方数百メートルのところで停車していたトラックドライバーがこちらに手を振り、「これ置いていくから」とジェスチャー。
オレンジの差し入れでした。グラシアス。
4100メートルの峠を越えた後は2700メートルまで降下。

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12日目。
ナスカへの道、最終日。

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高度が下がるにつれ暑さは増し、景色も変わってきた。

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あとはもう下るだけなので余裕過ぎる。

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コロンビア人のサイクリスト軍団。
フエゴ島で車が止まり、熱いコーヒーを差し出してくれたのはコロンビア人だったし、バリローチェ手前で声をかけてきたバイクもコロンビア人。そういえば喜望峰でもコロンビア人に声をかけられた。コロンビアの人ってとてもフレンドリーで非常に興味がある国。

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ナスカ近郊で後ろを振り返ればクスコ方面への距離標識。
我ながらよく歩いてきたものだ。

3400メートルのクスコから3700メートル→2000メートル→4000メートル→1950メートル→4500メートル→3200メートル→4100メートル→700メートルとアップダウンの連続だった。

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クスコから12日目、ナスカに到着。

ナスカへの道 3 



8日目。
高い場所からは集落などを見渡せる。
この地上絵っぽいのはすべて石で造られており、主にアルパカなど家畜の囲い。

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こんな感じで石が積み重ねられている。

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荒野に延びている線も石で造られた家畜用の囲い。
インカの石材建築は有名だけど、ここでも石の文化。
さすがはインカ帝国を築いたインディヘナの末裔。

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大きなアップダウンはなく4400~4500メートルの間を歩き続ける。
地平線へ向けて伸びていく道、青い空に白い雲。最高の景色だ。

南米での歩行距離が8000キロを超え、2009年以来の歩行距離も60000キロを超えた。


素晴らしい天候だったのだけど、次第に雲が空を覆い始め、陽射しが遮られた。
標高4500メートル。風は冷たいし、パラパラと雪まで降り始めた。

そんな時、前方からサイクリストの姿。
挨拶を交わしただけで通り過ぎて行ったのだけど、両親と12歳前後の2人の男の子の4人家族のサイクリストだった。家族でこういう旅ができる事をうらやましく思い、4500メートルの高地を走る少年にエールを送る。

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荒野に現れた村。

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食堂を兼ねた商店で昼食。

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死角はないが道路から離れた場所にテントを張る。
2晩続けて4400メートルの所にテント。
夜の冷え込みは厳しく、朝はテントに霜が張り付いている。

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9日目。

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確実にナスカは近付いている。

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遥か下に見えるプキオの町。
またあそこまで下るのか…と溜息を吐く。
プキオからナスカへの間には4000メートル超の峠があるというのに…。

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結局プキオは3200メートルだった。
クスコから9日目にして初めての宿に泊まるが、最低レベルのボロ宿を選んだのでシャワーは浴びる事が出来ず。

ナスカへの道 2 



4日目。
ひたすら下る。
少しずつアバンカイが近付いてきた。
高度を下げたくなく、何とか3000メートルくらいでおさまってほしいと思ったが、アバンカイの中心に着いた頃、2500メートルまで下がっていた。

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アバンカイで出会ったスイス人サイクリスト。
カナダを目指しているとの事。

アバンカイはクスコ・ナスカ間で最も大きな町なのだが、昼食をとっただけで素通り。
アバンカイを抜けた後も下りは続き、1950メートルまで高度を下げた。
前日と合わせ50キロ超の下り、4000メートルの所から下り続けた。

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日没前に到着した小さな村の商店前にテントを張らせていただく。

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この先のルートについて尋ねると、Chalhuancaまではフラットだがその後上りらしい。
「フリオ(寒いよ)」とおばさん。
地図を見てみれば確かに4300メートルと峠の高度が記載されていた。
うーむ、思っていた以上の高さである。

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テント場所を提供してもらえただけでもありがたいのに、テントに夕食を持ってきてくれた。
グラシアス。ありがとうございます。

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5日目。
Chalhuancaまではフラットとの事。
この日のうちにChalhuancaに着く事はないので上りはないはず。
こういうボーナスデーに歩行距離を稼いでおこうと気合を入れて歩く。

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初めて現れたリマへの距離標識。

フラットと聞いていたが、じわじわと苦にならない上りがあり500メートル上昇。
2000メートルからいきなり4000メートルの峠を越えるよりは全然いい。

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約62キロがっつりと歩く。
ちなみにクスコを出て以来、55キロ、55キロ、52キロ、56キロとアップダウンがあるにも関わらずいいペースで歩けている。

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6日目。
Chalhuanca着。
視覚的にきつそうな九十九折の上りは現れず、前日に続きじわじわと800メートル上る。

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7日目。
1時間程歩いたところで遂に九十九折の道が現れた。
この時点で3500メートルになっていたし、山を見上げれば上りの終わりも見えたし、精神的にはかなり余裕。

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楽ではないけど、きついという程でもない上り。

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アルパカ。

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結局4500メートルまで上がる。

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ボリビアでは海抜4000メートル超のラグーナルートを歩いたがほぼ無人地帯だった。
しかしここには4500メートルの場所で暮らす人達がいた。

ナスカへの道 



シクアニから2日半かけてクスコへ戻った翌朝、勢いそのままに1カ月半を過ごしたクスコを出発。
数えきれないくらいに足を運んだアルマス広場だがこの時間に来るのは初めて。
朝のアルマス広場はとても静かだった。

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クスコから約640キロ離れたナスカを目指す。
標高3400メートルのクスコに対しナスカは700メートルでしかないのだが、ただ2700メートル下れば良いのではなく、いくつかの峠を越えていかないといけないのだとか。
どの程度の峠をいくつ越えるのか、事前に調べる事もできたけど、あえて余計な知識を入れない事にする。

チョケキラオへ行った時、ナスカ方面へ約150キロ、車で向かったので知識としてあるのはこの150キロの区間のみ。
3400メートルのクスコから3700メートルまで上り、2000メートルまで降下、再び3700メートルまで上るというハードなルート。
今度はここをリヤカーを引いて歩くのかと思うと憂鬱な気分になった。

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クスコを離れればのどかな景色が広がる。

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初日は3700メートルまで上り、そこから200メートル下る。
日没後に九十九折の道を歩くのは危険なので3500メートルの所にテントを張る。
眼下には翌日下っていく道が見えた。

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2日目。
まずはひたすら下り。

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2000メートルまで下った後、上りが始まる。

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上の方に見える九十九折の道にやる気を失い、300メートル登ったところでテントを張る。
翌日は2300メートルから3700メートルまでひたすら上る事になり、想像しただけでも憂鬱。

しかしエチオピアでも1日で1300メートルを上った事もあったし、チリ・サンペドロからボリビア国境への過酷な上りも経験済み。あれよりきつい事はないだろうと考えたらずいぶんと気持ちが楽になった。
これまでの経験が背中を後押ししてくれ、勇気づけてくれる。まさにそんな感じ。

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3日目。

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まずは前日にやる気を削がれた九十九折から。
一晩ゆっくり休んだからか、視覚で感じる程のきつさはなく、思っていた以上に軽快に足が進んだ。

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延々と続く上り。
決して楽ではないのだけど、きつくて足を止めるという事もない。
これまで様々な環境下を歩いてきた事でタフになったのか、標高3000メートル超の高地で3カ月過ごしているからか。
もちろんそれらも理由として挙げられるけど、ペルーの上りは勾配が緩やかな気がする。

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先日チョケキラオへ行った時はこの分岐を曲がった。
この時点で標高は約3700メートル。
この先高度がどのように変化するか、どんな景色が待っているかなど全く分からず、未知の世界。

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3700メートルまでだろうと思っていた高度だが、その後も上りは続き、4000メートルまで上昇。

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峠を越え、言葉にならない達成感に浸っていたのも一瞬の事。
遥か下にアバンカイの町が見え、あそこまで下るんかと青ざめる……。
頑張って上ってきた貯金を一気に使い果たすようで憂鬱な気分にさせられる。
この先さらなる峠が待ち構えているのは確か。できる事なら高度を下げたくはないのだが。

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日没は近いものの、行ける所まで行っておこうと下り始める。
適当な場所でさっさとテントを張りたかったが、水がほとんどないという状況。
山のどこかに水源があるものと思っていたけど、まったく現れず。水を求めて暗くなるまで歩き続けたけど、大型車も走るこの道を歩き続けるのは危険と判断し、水がほとんどないままテント設営。

2300メートル→4000メートル→3700メートルという1日。
1700メートルの上りがあったにも関わらず、52キロを歩けた事は自信となった。

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持っていた水は4口分。
幸い標高が高いので夜は冷え、夜2口、翌朝2口を飲み、渇きをしのぐ。

Cusco 

チョケキラオからクスコへ戻り、すぐに歩行再開するつもりだったが食あたりによる体調不良、さらには階段を踏み外し足を負傷。という事でさらに6泊クスコに留まる。

シクアニからクスコ行きバスに乗ったのが5月20日。
予定よりずいぶんと遅れたけれど7月6日に歩行を中断していたシクアニへ戻る。



シクアニからクスコへは140キロ。3日を予定。

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歩行初日は昼前より雨。
強い降りではなかったが、夕方まで5時間くらい降り続け、服は濡れた。

わざわざリヤカーを運ぶのは面倒だったので、バックパックを背負いながらの歩行だった。
荷物も最低限のものだけで、テントなどキャンプ道具はないし、雨具も持っておらず。
そんなわけで雨が降っても雨具は着れないし、疲れたからといてテントを張る事もできない。
宿があると目星をつけていた町まで歩くしかない状況。

1ヵ月くらい足を止めた後の歩行再開初日というのは無理せず40キロ程にするべきなのだが、この日の目的地クシパタへは59キロ。
30キロを過ぎてから足に痛みを感じ始め、さらには雨のせいで体は冷え、終盤は痛みと寒さに耐えて歩き続けた。
宿に着き、部屋へ案内されるまでの間、震えが止まらなかったし、その後部屋へ移動する時は歩行困難な状態であった。

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翌日は快晴。
前日の歩行による足の痛みは少し残っていたが、歩行に支障はない。

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ウルコスの町。

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遺跡。名前は忘れた。

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リマまで1000キロ地点。

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マチュピチュへ行っている間に大統領選挙が終わってしまったけど、ポスターや建物へのペイントはかなり頻繁に目にする。
フジモリ前大統領の娘ケイコ・フジモリ氏。

2日目は57キロ歩く。

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3日目。
50日前にリヤカーを引いて、これを目にしていたなら込み上げてくるものもあったかもしれないけど、1ヵ月半クスコを満喫して歩きなおしている今となっては「やっと着いたか」というくらいの感想でしかない。

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さらに3時間歩いて、クスコ中心のアルマス広場に到着。
3日目は26キロ。

クスコに戻った事だし、もう数日ゆっくりといきたいところ。
しかしモチベーションが高まり、歩く気満々なので半日を出発準備に充てて、翌日よりリヤカーと共に歩く事にする。
食料などを揃え、クスコ滞在中に通った食堂のおばさん、おじさんに挨拶。

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50日間放置状態だったリヤカー。

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準備は整った。