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ALKINIST -あるきにすと-

Earth trek expedition -Road to Uyuni-  

チリ・サンペドロからボリビア・ウユニへの動画。



大きな画面はこちらから。

ラパスへ 



オルーロから首都ラパスを目指す。
約230キロ、日に日に日照時間は短くなっているが、頑張れば4日で着けるかという距離。

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オルーロからは片側2車線の分離道路となり、路肩も広々でとても歩きやすい。
路上で1日の大部分を過ごす者にとって路肩の広さはとても重要。
広ければ安全だし、不快なクラクションを鳴らされる事もない。
南米3カ国目だけど、路肩に不満があったのはアルゼンチンのみ。

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ボリビアでも基本キャンプ生活。
ラパスまでの3泊のうち2泊は道路下の通路にテントを張る。
もう1泊はテント設営場所が見つからないまま小さな村に辿り着いたのだが、村人は皆「安全だ」というので村の中に堂々とテントを張らせてもらう。
絶対に人目につかない場所、あるいは確実に人の目につき安全を確保できる場所というのがテント設営場所の条件。

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5~10キロ置きに村や町が現れるが、たいていは何もない小さな村であり、食事をとれる場所は多くはない。
レストランに入る事はほとんどなくて、こういう青空食堂が最近のお気に入り。

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アルゼンチン・コルドバからペルー・リマを目指しているイギリス人サイクリスト。
カラファテ、サンティアゴで会ったサイクリスト・トムから自分の事を聞いていたらしい。

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雨季はすでに終わっているので雨は降らないものと思っていたけど、オルーロ手前では自分にとって2カ月半振りの雨が降り、その後もパラパラと雨に打たれる事が多い。
ラパスから50キロ地点で迎えた朝も雨がテントを叩き、その後雪へと変わる。
予想外の雪。やはり標高4000メートルは侮れない。
この日のうちにラパスに着きたかったので雪と雨の中を2時間程歩く。

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そしてラパスが見えてきた。

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写真で見た事のあるすり鉢状の街だけど、レンガ造りの家々が密集する景色は圧巻。
視覚でこれだけの衝撃を与えてくれる街はあまりないのではないか。

衝撃といえば、すり鉢上のエル・アルトという街で真横にいたインディヘナの婆さんが突然しゃがみこんで小便を始めたのも驚いた。ボリビア人はベトナム人並に大胆な人達である。

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中心部のサンフランシスコ寺院に到着。

悪天候だし、疲れもあり、夕食は宿周辺で売られていた屋台のハンバーガーで済ませたのだけど、こいつが原因で夜は思い切り嘔吐。
水は生水、現地人と同じものを食べ、食当たりなんてほとんど経験がないのに……。

Oruro 



チリのある宿の宿帳には名前、パスポート番号だけでなく、「好きな国」という項があり、カザフスタンが直感的に思い浮かんだので書き込んだ。
宿帳をパラパラとめくってみれば、自分が書き込んだ数ページ前まで「嫌いな国」という項があり、圧倒的に多かったのがインド、次いで中国。
そして目についたのがボリビアという国だった。

「フレンドリーで親切な人が多かった」と自身の経験を前置きした上で「ボリビアを嫌う人は少なくない」と出会った日本人サイクリストは言っていたし、わずかながら不安を感じていたボリビアだけど、この国を嫌いになる要素は見つからない。

最初の2週間はほぼ無人地帯の4000メートル超の高地、ウユニ塩湖で過ごし、この国の自然の素晴らしさを知った。
それ以上に魅力的なのは人。
先住民インディヘナの比率が高い国であり、カラフルな民族衣装に身を包んだ女性が多い。
難解なスペイン語でコミュニケーションをとり、時には差し入れをいただく。

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牧歌的な風景が広がる田舎を歩く限り、治安は問題なさそう。

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そんなのどかなボリビアの片田舎で遭遇したスイス人サイクリスト・プルー。
彼もまたチリから4900メートルの峠を越えてきており、共に経験した苦労話で盛り上がる。
この日は偶然にも彼のテント設営場所を見つけたので同じところにテントを張る。
1年の自転車旅はボリビアの首都ラパスで終えるらしく、時間も余しているので超スローペース。翌日、翌々日も路上で出会う。

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ウユニから9日かけて到着したオルーロ。
宿近くにはマーケットがあり、シャワーを浴びるのも忘れて何かに憑りつかれたかのように歩き回る。
刺激的でこんなにもワクワクするのは久々だなと思う。
首都ラパスをスルーして、30日という滞在期限内にペルーへ抜ける事も考えていたが、この国を足早に駆け抜けるのはもったいないなと思い、滞在期間を延長。

続いて車輪の修理。
オルーロ到着前にスポーク折れに気付いたが、予備スポークは持っていなかった。
オルーロで自転車屋の場所を教えられるもそこはマーケットの一角にある自転車屋が集まる場所で、自転車本体は売っていても整備、修理はできないところだった。

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聞き込みを続け、何とか辿り着いた場所はとても小さな修理屋。

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スポークも新品を揃えているわけではなく、無数のスポークの中から車輪に合った長さのものを探し出す。

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ブレがないように調整してくれ、その仕事ぶりは間違いなくプロの仕事だった。

Salar de Uyuni 



雨季が終わり、水がなくなったウユニ塩湖を渡る。

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ずっと前から訪れてみたかった場所であり、見渡す限り雪原のように真っ白な世界は圧巻の一言なのだけど30分ほど歩けばすぐに飽きてしまった。

当初の予定では塩湖にある島を訪れた後、陸へ向かうつもりだったが、予定を変更し、島には寄らず最短距離で塩湖の踏破を目指す事に決める。
しかし周りに全く何もなく、頼りになるのは腕時計のコンパス機能だけ。どこをどう歩けばよいのか分からない。

チリで会った日本人サイクリストが迷い、2日間も自転車で彷徨い続け、現地人の車に助けられたという話も実際にここに来ればよく理解できる。

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観光地なだけあってツアーのランドクルーザーは多く、ドライバーに目指す村への行き方を尋ねると、「あの山を目指せ」と遠くにうっすらと見える山を指差した。
目指す方向に目標物があるのは本当に助かるが「84キロだ」との言葉に「えーっ」と声を上げてしまった。遠すぎる……。

しかしながら多くのツアーが向かう島へのルートを回避したので、遭遇するランクルの数は激減。
ボリビアに入って以来、ランクルの多さ、ツアー客の視線にはうんざりしていたので、誰に干渉される事なく静かに塩湖を歩けたのは本当に良かった。

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2日連続で寝坊し、のんびりと楽しみながら歩いたので、結局ウユニ塩湖で3夜を過ごした。

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ここでの星空を楽しみにしていたけど、真っ白な塩湖の夜は雪が降り積もった夜と同じようにぼんやりと周囲の景色が浮かび上がり、完璧な闇にならないためイマイチだったが、日の出後の淡い光に照らされる塩湖は日中とは違う美しさがあった。

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ウユニ塩湖に入って4日目、ようやく塩湖の終わりが見えた。
塩湖上での歩行距離は85キロ。



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Uyuni 



悪路の終わりにて記念撮影。
ここから先舗装路になるわけではないけど、地面は固く、時速5キロで歩く事ができる。

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食料が尽きかけた頃、ボリビアで最初の村であるアロタに到着。
人通りの全くない村のメインストリートに閉口してしまう。

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唯一開いていた商店。
南米大陸を南下してくる人はチリやアルゼンチンの先進国ぶりに驚くというが、北上すれば全く逆の印象を抱いてしまう。
噂通りボリビアの商店には値段が表記されてなく、いちいち尋ねないといけないのが面倒。
物価が安い国と聞くけれどチリやアルゼンチンからの輸入品が多く、チリのスーパーの方が安い。
歩行中に食べる行動食、自炊も多い自分にとっては格安という印象でもない。
ボリビアで安いのは宿泊費と外食費。

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ビラビラという村にてボリビア入国12日目にして初めて食べたボリビア飯。リャマの肉で100円くらい。
ボリビアの食事はまずいと聞いていたが、全然いける。
今のところまずいと思ったものは全くなし。

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こういう感じの屋台飯が色々な所にあれば嬉しい。
アルゼンチン、チリは白人移民が多かったが、ボリビアは先住民インディヘナの割合が南米で最も高い国。

悪路を抜けた後は187キロを3日半で歩き抜け、現在はウユニ。
ボリビアでの滞在期間は30日。悪路に苦戦したため、すでに13日目を迎えている。
ラパスに寄るなら延長するし、寄らないのならペルーまでの700キロを一気に駆け抜けるつもり。

ウユニへの道 

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ボリビア入りしてからはこれまでで最悪な未舗装路を歩いた。
大雑把に5日と予定していたが、想像以上の悪路で7日を要した。
時にはタイヤの轍の跡を追い、また時には深い砂の上を歩く。
時速3キロ、1日30キロ程しか進めない。

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このルートの存在を知ったのは数年前の事。
4000メートル超の場所に湖が点在するこのルートは日本人サイクリストから「宝石の道」と呼ばれている。

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青い空、白い雲、褐色の大地、湖のフラミンゴに黄金色の草などたくさんの色があったものの、なぜ「宝石の道」なのか分からないし、その名前がふさわしいとは思わない。
英語では「Laguna Route」と呼ばれているが、それでいいのにと思う。

あえて一つ宝石らしさを挙げるなら夜空に散りばめられた星。4900メートルの星空は素晴らしく、毎晩テントから顔だけ出し、コーヒー片手に星空を見上げた。

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公共の交通機関はなく、ツアーか人力でしかここを訪れる術はないので、秘境のような場所をイメージしていた。
住んでいる人はほとんどおらず、全行程未舗装、電柱など人工物はないし、手つかずの自然が残る場所であり満足度は高かった。

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しかし実際は1日数十台のランドクルーザーが行き来するツアー客の多い場所で興醒め。

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最高地点は4900メートル。
ただでさえ酸素が薄いのに、悪路に苦しみ、さらには向い風が鼻と口を塞ぎ呼吸がしづらくなる。

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日の出前の気温はマイナス11度。全ての飲料が凍りつく。
寒さで目を覚ます事も何度かあり、未明の気温はマイナス15度くらいまで下がっていたのではないか。
「寒い寒い」と言いながらテントを畳み、歩き始める頃に陽が昇る。東の空に向かって手を合わせ、太陽のありがたさを実感する毎日。太陽が昇ってしまえばすぐにポカポカとした陽気となる。

そんな毎日を繰り返し、サンペドロから13日目、ウユニに到着した。



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ボリビアへ 

サンペドロからボリビアとの国境近くまで舗装路を43キロ歩き、2450メートルから4600メートルまで高度を上げるのだけど、サンペドロからの10キロは平坦な道なので、残りの33キロで2000メートル超も上る事になる。
アタカマ砂漠の山越えでは1日に1700メートル上昇したけど、0に近い所から2000メートルまで上がっただけ。
未経験の4000メートル越えに不安と楽しみな気持ちが入り乱れる。

上がっていくにつれサンペドロの町やアタカマ塩湖を見渡せ、何度も後ろを振り返る。
できれば1日でと思っていたけど昼頃から疲労を感じ始め、終盤は50メートル歩いて足を止め、また50メートル歩くを繰り返す。

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結局この日は31キロ、3700メートルまで上がり、活火山リカンカブール山が見えるところにテントを張る。

普段は米を食べる事が多いのだが、この先4000メートルの高地が続き、米が炊けるか不確かなので、サンペドロから当分の間、昼夕食はパスタとなる。
9日18食分としてパスタ3キロ、パスタソース9袋を用意。その他米、ラーメン6袋、クッキーなどを携帯。作り慣れていないので2食分茹でたつもりが1食分でしかなく、うまくいかない。

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サンペドロから2日目。
3700メートルの朝は寒く、長ズボンとライトダウンを着用する。一晩足を休めたものの、序盤から何度も足を止め、足の疲労を感じ、呼吸が荒い。
最初の1キロは3キロしか歩けず、この日のうちにボリビアへ入れるのか不安。
9時頃、腕時計の高度表示が4000メートルを超えた。

50~100メートル歩いては足を止め、また歩くを繰り返す。これまで歩いてきた中で最もきつい。5.5時間で12キロという時速2キロペースだった。
きつい事は覚悟していたが思っていた以上の過酷な道のりだ。
足を止める度に乱れる呼吸をゆっくり整え、意識して空気を吸い、口は常に開いたままだった。

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4600メートル地点のガードレールにはサイクリストが書いたと思われる゛4600mts゛の文字。

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その後国境への5キロは未舗装路と化した。

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長かったチリでの歩行を終え、 ボリビア入り。
良い国だったな、チリ。お世話になりました。
アルゼンチン、チリでは5ヵ月半で6000キロを歩いた。