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ALKINIST -あるきにすと-

ノーパサポルテ 

ボートで一緒だったクナ族のおばちゃんが慌ただしく準備していたので「もうプエルト・カルティへ出航するの?」と尋ねると、「そうだけど、あなたは行けないよ。ノーパサポルテ」と言われた。他のおばちゃんも「そうだ、そうだ。ノーパサポルテ」と言った。


ノーパサポルテ・・・?
ノーパスポート…?
パスポートがない・・・?


「ドンデエスタ パサポルテ?(パスポートはどこにある)」と聞いてみると、「オバルディア」と返された。
この状況を即座に理解するのは難しかったが、船長との前日のやり取りを思い出す。

カルティ島に着いた後、その場に居合わせた中国人を介し、彼は何か伝えようとしていた。
中国語と日本語は全く別物だし、中国人の英語も拙いもので、内容はあまり理解できなかったが、「パスポートが警察にある」という事だけ分かった。
保安上の理由からこの島の警察にパスポートが預けられているのだと勝手に思い込んでいたのだが…。

すぐさま船長を捕まえ、「パスポートはどこだ?」と迫る。
彼の答えは「プエルト・オバルディア」。パスポートを忘れてきたらしい。



その後船長は警察を連れて戻ってきた。
この間におばちゃん達は別のボートで島を去っていった。

オバルディアからカルティ島まで7時間。
「今日中に持ってこれるのか?」と船長に尋ねると、「今日か明日」と彼は答えた。
前日オバルディアを発つ前に「パスポートを持っているか?」と何度も確認した事を伝えるが、船長曰く「自分は知らない」。ボートを操縦した男は「忘れたのはこいつだ。自分は関係ない」と責任転嫁。
こちらからしてみたら全く納得できない状況であり、支払った運賃の一部の返還を求めたが、彼は首を横に振り続けた。この後も返還を求め、さらに大揉めとなったが結局戻ってくる事はなかった。
若い警官が「今日中にパスポートが届くようにする」と言い、とりあえずこの場は収まった。


警察が間に入り、「島に滞在中の寝床、食事に関しては彼らが用意する責任がある」と言ったにも関わらず、この昼は一切の食事が出されなかったし、家主不在。
夕方さらに大揉めになった際、この事を警察に告げ、それ以降はレストランで食事ができるようになった。
足止めを食らったというのにボート代の返金もなく、当然ながら彼らの対応には不満しかない。
食事の支払いはすべて船長もちのツケだったので、朝食から夕食まで毎回コーラを頼み、ささやかな反撃をする。レストランの食事に関しては満足いくものだった。

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寝床は船長宅。
階上が宿になっているが、とても汚い。
数カ月も交換していないであろうシーツは中国で宿泊した最低レベルの旅社を思い出す。

バケツシャワーは浴びれたが、この島では主に太陽光発電で電力を賄っており、暇つぶしにパソコンのソリティアで遊ぶなんて事はできない。ハンモックで揺られながら、延々と退屈な時間が続く。

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この辺りの海は透明度が高く、泳ぎたいところなのだが、それはできなかった。
海上に突き出ているのは全てトイレ。
海沿いの家では海上に排便するわけで、こんなところで泳ぐわけにはいかない。

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便が海上に落ちた瞬間、魚が群がってくる。
ここの魚も食べたくないなと思った。

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あまり信用していなかったのだが、警察が「この日のうちに届く」と言ったパスポートは結局来ない。
どうやら警察の船で運ばれてくるらしい。
「翌日12時に来るだろう」と上官は言ったが、やはり来ない。

その際、「昨日は12時って言ったじゃないですか!」と彼に言ったが、「我々にコントロールする事はできないんだよ」と返された。
いや確かにその通りであり、彼らに落ち度は全くないし、本当に良くしてくれているので、時間の事を言うべきではないなと思った。しかしその後も何度か警察に足を運び「17時」「夜には来るだろう」と言われるも、船がやって来る事はなかった。

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ボートに乗った観光客がたまにやって来るような島であり、せっかくなので観光しようかという気になったが、15分もあれば回れてしまう島なので、どうしても時間を余してしまう。

同部屋にパナマ人がいて、彼もまたオバルディア行きボートが出るのを待っているとの事だった。その日数なんと10日。
10日もいてオバルディア行きボートが本当に出ないのか定かではないが、警察も3、4日に1便くらいと言っていた。
オバルディア到着翌日にボートがあったのは運が良かったが、彼らのボートに乗ったのは不運だったなと思う。

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カルティ島に3泊というのは予定外だったが、島に着いてから4日目の朝、警察へ行くと、「船が来るからここに荷物を持ってこい」と上官。
カルティ島からプエルト・カルティへは警察の船で行く事になっているのだ。

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お世話になったレストランのおばちゃんにも挨拶。

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ようやくやって来た警察の船。
そしてパスポートを受け取る。

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トゥルボから乗り継ぐこと4艘目はパナマ警察の船。
陸地では10人くらいの警察が待機しており、敬礼で出迎えた。
パスポートを忘れられるという不幸な日本人旅行者への労いなどではなく、カルティ島から上官を含めて3人の警察が船に乗っていたので彼らに対する出迎え。
「僕も同じように船がやって来るのを心待ちにしているんだ」と若い警官は話してくれたけど、久々の休暇で家に戻ったり、あるいはカルティ島での任期を終えたのだろうか。
家族も出迎えにやって来ていたくらいなので。

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後にその家族から送られてきた写真。
パナマ警察と不幸な日本人。

Carti island 



出航時間がよく分からないので早めに出発準備。
プエルト・オバルディアのメインストリートを歩いていたら、「カルティへ行くのか?」と男に声をかけられ、乗船名簿に名前など書き込まれる。
言い値は145ドルと完全に足元を見ている感じだったが、100ドルしか払わないと言ったらすんなり100ドルになる。

一緒にここまで来たドイツ人は週に数便ある空路でパナマシティへ。
飛行機なら100ドルもせず、ボートより安いし、時間もかからない。何より楽。
自分がボートを選ぶのは空路よりも距離感を感じられるからという理由があるからなのだが、数人いた現地人の乗客はなぜきつく時間のかかるボートを選ぶのか謎。
現地人価格でのボート代が安いからという理由しか考えられないのだけど、後にお世話になった警察からも「100ドルは妥当な料金」と言われた。

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今回のボート。
そういえば前日の移動で何度も腰と尻を打ち付けたため、腰が腫れ上がり、尻にも痛みが残っていた。今回は7時間の移動になる。耐えられるのか?

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オバルディアでは民族衣装に身を包んだクナ族の女性を目にした。
女子プロレスのリングコスチュームみたいだなというのが第一印象。
ボートが波を越え、大きく揺れる度に「ウヒャウヒャ」とかわいい声を上げた。

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乗客。
最後尾にいる男がボートを操縦する。
もう1人の男にパスポートを預けていたので、「ちゃんとパスポート持ってるの?」と3度程しつこく確認。「大丈夫」と言うし、乗客の男も「カルティに着いたら渡される」と言い、何か手続きのために必要なのだろうと思い、その言葉を信じる。

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出航。今回も荷物代は取られず。

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時折島や集落が現れる。

挑戦したいと持っていたカヤックで海を渡る様子を何度もイメージ。
大きな波がある場所では相当厳しく、無理だろと思うのだけど、穏やかな海域、こうした集落のある場所では人力でいきたかったなと未練を感じる。

相変わらず揺れるけど、慣れたからか前日よりましな気がする。
しかし7時間の移動は長い。実際のところ、数人の人から5時間と教えられていたので、余計に長く感じられた。

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途中島にて給油。

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島の風景。

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ボートに乗っていた夫婦はここで下船。
数棟のロッジとヤシの木が生えているだけの島。
そんな島が点在し、それを横目にボートは進んでいく。

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夕方、カルティ島に到着。
大陸本土は目の前であり、この日のうちにプエルト・カルティに行くものとばかり思っていたのだが、「パナマシティー、マニャーニャ(パナマシティへは明日行け)」と言われる。
追加料金なしでプエルト・カルティまで運んでくれるようだし、それに従うしかない。

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2日で計11時間に及んだ長い船旅はひとまず終了。

Puerto Obaldia 

コロンビア・パナマ間は陸続きであるものの、その間にはダリエンギャップと呼ばれるジャングルがあり、アラスカからウシュアイアへと続くパンアメリカンハイウェイもここだけは途絶えている。
10数年前に英国人がここを徒歩で越えているし、サイクリストが通過した前例もある。
以前その英国人カールにダリエン越えの事を尋ねたところ「いくつもの川を越え、とてもハードな行程だった」と彼は言った。
徒歩で道なき道を進む事も可能といえば可能だが、ダリエンにはコロンビアゲリラが潜伏し、リスクは高い。あと多分違法だと思う。


人力にこだわりカヤックで海を渡る事も考えた。

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昨年、知人のチェコ人が自転車をカヤックに積み込んで挑戦した。
パナマからコロンビアを目指している途中、嵐に巻き込まれ、カヤックがひっくり返った結果、パソコンや過去数年の旅の記録が入ったハードディスクを失ったらしい。結局彼はコロンビアに辿り着く前に現地人に助けられた。

このカヤックによるカリブ海越えはとても魅力的だった。
できるかどうか分からない、そんな難題に挑戦心がメラメラと燃え上がるのを感じた。
久々にやる気が漲り、モチベーションはどんどんと高まった。赤道で歩くのをやめ一度は切れていた気持ちを再びつなげられたのはこの挑戦心があったからに違いない。

歩行再開前の1カ月、色々なところに連絡を取り、カヤックが手に入る寸前のところまで辿り着いたが、いくつかの現実的な問題があった。
コロンビアに入国後も引き続き考えたのだが、結局断念する。今もわずかながらもやもやとした気持ちが残ってはいるのだけど、強行しても残念な結果になっていたに違いない。


残された選択肢は動力を使っての空路と海路。
4月上旬にパナマまで130ドルという安いチケットもあったが、海路を選ぶ。
同じ動力を用いた移動でも距離感を感じられると思うので。

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南米大陸縦断を終え、トゥルボで1日休養を取った後、パナマへ船で渡るため港へ向かう。
まずはトゥルボからイミグレーションのあるカプルガナへ。

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チケットは購入済みだったが、問題はこの荷物の多さ。
リヤカー、食料も含め70キロもあり、積み込むスペースがない事を理由に1艘のボートに乗船を拒否された。

「100ミル(約35ドル)を荷物代として払え」と港の職員は言うのだが、人間1人の運賃が60ミルなのに高過ぎる。「25ミルまでしか払えない」と拒否。
もう1艘のボートがあり、この職員が交渉、「金を払っちゃえよ」と別の男も言ったけど、「何とかなるだろう」と楽観していた自分はあえてこちらから何も言わず、傍観していた。
港を離れていく2艘目のボートを眺めながら、「カプルガナへ向かうボートはどれ?」と職員に尋ねたら、「今日はもうない。明日また来い」と予想外且つ無情な返答。
チケットを持っているのに船に乗れないなんて全く考えていなかった。しっかり交渉するべきだったと今更ながら思う。


この辺りにはたくさんの船が停泊していて、パナマへ向かう貨物船もあり、一緒に乗せてもらえないか交渉するも、ダメだと言われた。結局朝出てきたばかりの宿に戻る。
多くのサイクリストは空路、あるいは500ドルもするクルージングでカリブ海を越えている。
このルートを自転車と共に越えたという情報は英語で検索していくつか出てくる程度だったが、荷物代の相場を把握できた。もう少し上積みしないと難しそうだ。


翌日再び港へ。
荷物代として「40(クアレンタ)」と言われたので、40ミル(14ドル)を渡そうとしたら、「違う、40ドルだ」と言われた。昨日より高くなっているではないか。

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出航が迫り、80ミルまで下がったが、50ミルまで値切る。
1人60ミルなのでこれでもまだ高い気がするけど、70キロ、大きな荷物なのでこれも仕方ないのか…。
最悪この日乗れなかったらカプルガナ行きの船が出ているネコクリへ行く事も考えていたので、船に乗れたのは良かった。

船の揺れがすごいという事は聞いていて、船首の揺れがまた激しいらしいのだが、乗船が最後になったので、前から2列目という席。大きな波を越える度に尻が浮き上がり、座席に叩きつけられ、あちこちから悲鳴が上がる。何度も何度も何度も…。
その度に内臓に大きな衝撃を感じ、また途中から首に違和感を覚え始めた。交通事故の衝撃でむち打ちになるのと同じような症状ではないか。これにずっと乗っていたら体を悪くするのは明白だが、カプルガナまで3時間も続き、その後も船旅は続く。
隣のおばさんが連れている犬がうんちをして悪臭が漂う。うんちで汚れた救命胴衣を見て、次にこれを着る人に同情する。

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カプルガナ到着。
バカンスで訪れる人が多く、不便なところにあるくせに思っていた以上に賑わっている。
イミグレへ行くも職員不在で、なんだかんだで2時間もかかってコロンビアの出国スタンプがパスポートに押された。

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パナマのイミグレーションがあるプエルト・オバルディアへのボートはすぐに見つかり、ドイツ人旅行者3人、現地人2人と乗船。ありがたい事に荷物代は取られず。
この辺りは陸の孤島みたいな所なので車はなく、代わりにボートが人々の足となっている。ガソリンスタンドがあったがもちろんボート用。

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1時間でプエルト・オバルディアに到着。
麻薬犬による荷物チェックを受け、パナマ入国。
観光客で賑わうカプルガナと対照的に自分達以外に旅行者はいない小さな村だった。
海辺にテントを張り、リヤカーに付着した潮を洗い流す。何人かの村人にカルティへのボート代について尋ねると、100~120ドルが相場である事が分かった。

Turbo 

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Turboに到着し、南米大陸縦断終了。
一度はエクアドルの赤道で終えた南米大陸縦断だけど、ここまで歩いてきて本当に良かったと思う。南米でやり残した事はもうない。

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歩行距離12700㎞。

Chigorodo 



この日の目的地は59キロ先のChigorodo。
上りは終わり、この先はフラットな道なのでとても気楽。
パタゴニアから続いたアンデス山脈が終わったというのはとても感慨深い。

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朝食が物足りなかったので、その先に現れた村で食事。
アルゼンチンから歩いている事を話したらソーセージを付けてくれ、スープを注ぎ足してくれた。

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昼食。

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ここで食べた。

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フルーツ屋。

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パイナップル1つ2ミル(80円)だったが、「1ミルのやつない?」と聞いてみたら1ミルにしてくれた。
その場でカットしてもらい食べる。濃厚で飽きる味だし、腹にずっしりとくるボリューム。

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食べてばかりだったけどChigorodoに到着。

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消防署。

Mutata 

サンタフェ以降は「安全ではない」と言われたルート。
確実に安全を確保するためにも夜は町で過ごしたい。
この日はDabeibaまで61キロの歩行を予定。前日は1450メートル上って57キロ歩いたが、それに比べたら楽なはず。

しかし最短でも12時間はかかるので、早朝より出発。
ディエゴ達はまだ起きていなかったが、14キロ歩いたところで抜かれる。

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コロンビア、南米大陸縦断の最終目的地として目指しているのはTurbo。

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前日レストランで居合わせた現地人にDabeibaまでの地形について尋ねると「下り」とだけ言い、「山はない」と言った。
その言葉に一瞬安堵するも、しかし地図を見るとわずかながらクネクネトした道があり、ディエゴはこの先Turboまでの間にもう一つ山があると言った。どちらの言葉を信じるかと言えばもちろん自転車乗りのディエゴ。

1400メートルから800メートルまで高度を下げた後は500メートルの上り。
前日の疲れが残っているので足取りが重い。前日も自分に言い聞かせたけど「南米最後のヤマ場だ」と自らを鼓舞する。

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上りの後は600メートルまで下り、何とかDabeibaまで歩く。
消防署にテント。WiFiが使える優良物件だった。
高度が下がったのと、屋内にテントを張ったため、熱帯夜。寝袋なしで眠る。

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翌日も53キロ先のMutataを目指す。
60キロ前後の距離は楽ではないけど、町が一定間隔であるのでそこを目指す。

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コロンビアで最も美味しかった食事。
照り焼きチキンだった。

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ハキリアリの観察。
頻繁に目にするので、たまに足を止めて動画や写真を撮っている。

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たまに土壁とかビニールシートで覆っただけのいかにも貧しそうな家があり、ジョナサンが危険だと言ったのはこういう事なのだろうかと思う。
この辺は高床式の家が多く、女性は巻きスカートをはき、ビーズのアクセサリーを身に付けた民族がいた。ボリビアやペルーの山地にいそうな民族。

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緩やかなアップダウンを繰り返していたら激しい雨に見舞われ、雨宿り。前日もDabeiba手前で雨に見舞われたし、雨の日が多くなってきた。

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茅葺き屋根の家々。アフリカみたいだ。
前々から調子の悪かったカメラがここで完全に壊れる。
この先はしばらくGoProで撮影する事になる。

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夕方Mutata着。

Canasgordas 

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サンタフェからは山越え。
パタゴニアから続いたアンデス山脈の終わりが見えてきたし、恐らく南米大陸縦断最後のヤマ場になるはず。

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高度を500メートル上げた辺りで遠くにうっすらとサンタフェの町が見えた。
この辺りまではとても余裕だったが、延々と続き、終わりが見えない上りに疲れを感じ始め、1000メートル上がった辺りから足を止める回数が増える。

「サンタフェから先は治安が良くない場所があるから適当に野宿するのではなく、町に滞在した方がいい」というジョナサンからのアドバイスに従い、57キロ先のCanasgordasを目指すつもりだったが、ちょっと無理なんじゃないかと思えてきた。

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レストランで昼食をとっていたら現れたコロンビア人サイクリスト・ディエゴとセバスチャン。

「それ自分で払ったのか?」と尋ねてきたディエゴの質問の意味がよく分からず、「は?」という顔をしていたのだが、レストランの人に「自転車で旅をしていて金がないので何か食べさせてくれ」と交渉する彼の姿を見て、「なるほどこういう手があるのか」と納得。
彼らがもらったのはスープとライスというシンプルなものだったけど、タダなら悪くはない。
しかし誰かの善意でごちそうになるならまだしも自分から食べ物を乞う事はしたくないのだが。

そんな事を思いながら歩いていたら、3台の車が止まり、水、スポーツドリンク、ポテトチップスを渡された。感謝。

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彼らより先に歩き始めていたが、しばらく歩いたところで抜かれる。

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さらに先で横になり昼寝をしていた彼らを横目に再び追い抜く。
ウサギと亀みたいだ。

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結局1450メートル高度を上げ、最高地点は2250メートル。
1日でこれだけ上った事はあっただろうか?
そしてここから800メートル超の下り坂。

下り始めたところでまた2人に抜かれた。自転車にとって下り坂は頑張って上ったご褒美みたいなものだけど、徒歩だと別に嬉しくもなんともない。フラットな道が1番だ。


日没後だったが、何とか19時にCanasgordasに到着。
しかし消防署を探すも、この町にはないらしくアテが外れる。 
テント場所を求め、町外れへ向かっていたら「この先は危険だ」と首を掻っ切るジェスチャーをされ、町へと戻る。
警察署は宿泊拒否。どうしようもないので今日はホテルに泊まろうと宿探し。
意外にも12ミル(480円)と安く、ここに泊まる事を考え、外へ出れば、リヤカーの傍にはディエゴとセバスチャンの姿があった。

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彼らも消防署のアテが外れたらしく、「今日はプラザにテントを張る」と言った。
プラザというのはしょぼいマーケットで、宿泊拒否された警察からもそこでテントを張るよう言われていた。
確実に安全でない場所に1人でテントを張りたくなく、そこへ行くのは避けたけど、彼らと一緒なら安心だ。便乗してプラザへ。

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1450メートル高度を上げ、57キロ歩き、その後もテント設営場所を探し歩き、とても疲れた。