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ALKINIST -あるきにすと-

アフリカ イズ ビューティフル  



2011年、カナダを歩行中にジャン・ベリボーというカナダ人と会った。
歩く事に11年を費やし、すでにアフリカ大陸を歩いていた彼に「アフリカはどうでした?」と尋ねれば、彼は穏やかに微笑みながら言った。


「Africa is beautiful」


アフリカは美しいという彼の言葉は脳裏に深く刻まれ、その後も事あるごとに思い出した。
雄大な景色、サバンナを駆ける野生動物、あるいは女性……。
彼が言った「Beautiful」が何を指すのか今となっては知る由もないのけど、「アフリカの美しさ」をこの目で確かめる事がアフリカ大陸縦断のテーマの一つだった。

10カ月半、11000キロを歩き抜いた今、アフリカの何が美しいのかを改めて振り返ってみれば、圧巻だった景色、迫力のある野生動物との出会い、思わず後ろを振り返ってしまった美女などなど、「ビューティフル」と呼べるものはなくもないが、うーんこんなものじゃないなと思う。考えて考えて考えまくったのだが、納得できる答えは思い浮かばなかった。

単に感性が乏しいのかもしれないし、ほんの10カ月程度歩いただけでアフリカの美しさなど分かるはずないのかもしれない。
しかし無理矢理こじつけるなら人かなと思う。アフリカは人間らしさが溢れる場所で、そんな人間の本質こそ「アフリカの美しさ」ではないかなと。

多くの人から見返りを期待しない優しさをもらい、「マネーマネー」と欲望を剥き出しにした子供達とも遭遇した。
そんな子供達に対し怒りを露にする自分もまた人間らしいなと思った。
自分の周りを囲み、じっと見つめる人達は好奇心の塊だった。
南アフリカで被害に遭った強盗も堕ちるところまで堕ちた人間の姿なのかもしれない。
右手で食事をとり、左手で尻を拭うという生活は人間の原点に戻った気がした。
良くも悪くも人間らしさが印象的なアフリカだった。


そろそろアフリカを去ります。
何度もキレ、ボロクソに文句を言い、さっさと終わらせたいと思ったアフリカなのに、いざ去るとなるとなんでこんなにも寂しいんでしょうか。

ありがとうアフリカ。さようならアフリカ。

喜望峰到着後の報道 



■共同通信社によって配信(2015年7月20日)
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■日本海新聞掲載(2015年7月21日)
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毎日新聞掲載(2015年7月21日)
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手荷物超過料金の話 

ケープタウンからの帰国便はドーハ経由のカタール航空をすでに確保済み。
空路移動には毎回頭を悩ませ、航空券の値段だけではなく、リヤカーがある自分は荷物の超過料金も含めて安い航空会社を探す必要がある。


今回のアフリカ旅はセブパシフィックの関空発のマニラ経由ドバイ行、エジプト航空のドバイ発アレクサンドリア行きでアフリカ大陸へ。
セブパシフィックのドバイ行は40キロの荷物込みで3万円という破格の値段だったのだが、関空でのチェックイン時、重量を量る際に2キロの超過があり、女性職員が難しそうな顔をして「2キロの超過がありますので6000円になります」なんて言われてしまった。

日本ならば多少の事は融通が利くだろうと楽観していたけど、予想外の展開に「何とかなりませんか?」と交渉開始。
地元のテレビ局が出発時の取材という事で同行し、遠くでカメラを向けており、「テレビの取材があってセブパシフィックの宣伝にもなるかもしれませんよ。だから何とかお願いします」と粘り、彼女は「上司に確認してきます」と白人の上司の元へ向かい、何とか超過を見逃していただいた。
機内持ち込み用荷物にもたっぷりと詰め込んでいたので、「重さを量らせてください」と言われたが、「これはテレビ局の人に持ち帰ってもらうものです」と言い、その後は出発前の慌ただしい時間だったが思い切り荷物を削る。
まあとにかく面倒だ。


カタール航空は通常の手荷物許容量30キロに加え、自転車やゴルフ、スキー用品など特殊荷物に関してもアフリカ・日本間は10キロ無料という優良航空会社だった。

帰国日が近付き、改めて荷物の許容重量を確認してみようとカタール航空のホームページを開くと、以前あったルートやクラスごとの特殊荷物の許容重量表が消え、代わりに「スポーツ用品の超過料金はこちら」なんていうリンクがある。
アフリカ・日本間だと15キロの超過で560ドル。おいおい航空券より高いではないか。

10キロ無料なはずだったのに、560ドルの出費を強いられるのか?
10キロ無料だったからこそカタール航空を選んだのに、今更560ドル払えなんてふざけた話である。

というわけでカタール航空のオフィスへ行き、確認してみると、料金システムが変わる以前に買った航空券は10キロ無料が適用されるけど、今新たに航空券を購入するならお金がかかるらしい。航空券が安くても荷物超過料金が高すぎるので自分やサイクリストにとってよろしくない航空会社になってしまった。

南米行はエミレーツ。32キロの荷物を2つまで無料だ。
カタール航空もまた2つの荷物を預けられるけど、1つにつき23キロまで。


※パスポートの再発行を済ませましたので何とか帰国できそうです

一国三景、時々二景、稀に一景 

■エジプト


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当初予定していたルート上で1カ月半前に武装グループによって軍の検問所が襲われ21人の兵士が死亡した。
そんな事を知ったのが日本を発つ3日前。同ルートを歩くのはリスクが高く、歩行を制限される可能性もある。急遽別ルートを探し、東方砂漠を南下する事に。


■スーダン

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砂漠での出会いは11月。
バイクのオランダ人は大晦日、ミニクーパーのデンマーク人は2月中旬にケープタウンに到着したとの事。3日後にはサイクリストと出会い、彼らは4月にケープタウン着。
さらに3ヵ月半遅れてリヤカーはケープタウンに達した。

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飲料水。


■エチオピア

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2カ月半と最も長く滞在した国。
チャイを飲んでいた時、テントを張っていた時などなど、常にたくさんの人に囲まれる。
「マネーマネー」と欲望剥き出しの子供達には何度も石を投げられ、毎日の様にキレていた。
少数民族が暮らす南部はとても面白く、良くも悪くも人間が印象だった国。


■ケニア

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エチオピア・ケニア国境

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最も過酷だったトゥルカナ湖ルート。
あまりに暑いので10時以降は歩く事ができず、木陰で横になるが、陰にいても温度計は40度を表示。直射日光下だと50度。
絶えず熱風が吹き付けるので、体力を奪われ、全く休憩にならない。
砂漠の様に深い砂の中にタイヤが埋まり、20キロも歩けない日が数日続く。


■ウガンダ

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赤道を通過。南半球へ。

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アフリカで最も長居した場所はニュートピアという小さな孤児院、学校だった。


■タンザニア

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タンザニアでは雨季につかまった。
キリマンジャロやザンジバル島、サファリツアーなど観光地とは無縁な中央部を縦断。
約500キロの未舗装路があり、降雨後にはぬかるみ、大きな水たまりができる。
タンザニアのドライバーは歩行者がいようがスピードを落とす事なく水たまりの中に突っ込んでいく世界最低レベルの運転マナーだった。


■ザンビア

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変化の乏しい退屈な景色と野生の象。


■ジンバブエ

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象の恐怖は続く。親切な人が多く再訪したい国。


■ボツワナ

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ザンビア以南の歩行は面白いものではなかったが、ボツワナもまた同じ。
「肉食獣が生息するので歩くのはやめた方がいい」という現地人の助言に従い、アフリカで最も楽しみにしていたボツワナ北部を回避。
歩いているとやたらと車が止まり、声をかけられた。ボツワナ人への印象もすこぶる良い。


■南アフリカ

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田舎はのどかなのだけど、無事に歩けるか否か、全ては運次第。
アフリカは思っていたよりずっと安全だったが、南アフリカの治安は噂通りのものだった。


アフリカでの総歩行距離は11000キロ。
エジプト~ウガンダ、タンザニア~南アフリカの距離はほぼ同じなのだが、ウガンダまで6カ月半をかけて歩いたのに対し、タンザニア以南は4カ月で歩き抜いた。

南部アフリカは延々と舗装路が続き、インフラも整っており、大型スーパーにはモノが溢れている。
おかげでパンクの回数も減ったし、ホットシャワーを浴びる事ができるし、水だって透明だ。スーパーに入る度に心が躍るのも確かだけど、楽すぎて物足りない環境だった。
どちらが楽しかったかというのは言うまでもない。

Day 316 Cape of Good Hope 

ケープタウンから喜望峰へは約70キロ。歩いて1日半の距離。

出発前日、パスポートの再発行のため日本領事館を訪れた際、職員の方と少し話し、ケープタウンの治安を確認。
安全だと思っていたケープタウンだがそれはあくまでヨハネスブルグよりは安全というくらいであって、邦人が被害に遭うケースも少なくないのだとか。
犯罪発生件数はヨハネスブルグの方が上だけど、犯罪発生率はケープタウンの方が高いと教えられる。
無数のバラック小屋が集まるタウンシップがあると聞かされた時は嫌な予感がした。宿のスタッフも「郊外は危ない」というくらいだしどうしたらいいのか……。
職員の方に交通量が多く、タウンシップを避けられるルートを教えてもらったが、最後の最後まで気を抜く事ができない国である。


今更ながら南アフリカは歩いてはいけない国なのではと思い始め、「南アフリカを1400キロを歩いて強盗被害1度って結構良い方なんじゃないですか?」と訊いてみたら「悪くはない」との事である。



これ以上何も失いたくないので、万一の強盗に備え、喜望峰へ行く際の荷物はこれだけ。雨具、パンク修理道具、空気入れ、三脚、歯ブラシ、シャンプー、タオル、食料。
カメラを置いていく事はできないけど、パソコンやHDD、日記などなど、大切なものは全てケープタウンの宿に残し、最低限のもののみ持っていく。


宿を出て2キロ程歩いたところに歩道に堂々とテントが張られていて足早に通過。
さらにその先には路上生活者が5人くらいおり、不穏な空気を感じ、彼らの横を通るのはまずいと判断。
彼らに気付かれないよう踵を返し、迂回路を探す。
その後も茂みの中にテントが張られていたり、嫌な雰囲気の場所もいくつかあったけど、何とか海沿いに到着。

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ミューゼンバーグから先は安全と聞いていたので一安心。

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そして一夜明け、エジプト・アレクサンドリアから316日目。
喜望峰への最後の歩行。
水平線から昇る日の出は拝めなかったけど、淡いピンク色に染まった空が美しい。
スーダンの砂漠やケニアのトゥルカナ湖沿いを歩いていた時、毎朝の様に地平線から昇る太陽を横目に歩いていたが、アフリカ大陸縦断中に拝む日の出はこれで最後かと思う。


アレクサンドリアで地中海を眺めながら、大陸南端に立ち、海を見ている自分の姿を頭に思い描いてみたものの、全くイメージできなかった。
1万キロを超える途方もない距離はもちろん、病気や治安、政情不安な国に過酷な自然環境など不安要素も少なくない。もちろん歩き抜くつもりでいたけれどそれができるかどうか不確かであった。

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大陸南端の喜望峰が近付き、そんな事を思い出し、エジプトからここへ至るまでの長い旅路を振り返ってみる。
目の前にはあの時イメージできなかった青い海があった。

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そして遂に喜望峰到着。
過酷だったトゥルカナ湖沿いを歩いていた時、強盗被害に遭った後など、歩く事をあきらめそうになった事もあったけど、最後まで歩き続けてきて本当に良かった。

お世話になった人達の顔が浮かぶ。
出会い、救いの手を差し伸べてくれたアフリカの人達に感謝。
いつも支え、応援してくれている人達にも感謝。
おかげさまで無事アフリカ大陸縦断を終える事ができました。

エジプトから歩いてきた事を知った人達と記念撮影。
「これからどうするんだ?」と尋ねられ「次は南米です」と答えれば、そこに居合わせたコロンビア人に「コロンビアも歩け」と言われた。
うーん、まだルートは決まっていないけど、検討します。

大西洋を眺めながら、次はこの海の向こうだなと改めて決意。
五大陸目となる海の向こうの大陸に想いを馳せてみた。

Cape Town 



雨にも負けず 風にも負けず 山道にも強盗にも負けぬ。
ついにケープタウンへ100キロのところまで来た。

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目的地を尋ねられた時、現地人が理解できるとは思えない喜望峰ではなくてケープタウンと答え続けてきたけど、アレクサンドリアを出発してから312日目、ずっと目指してきた場所がようやく目の前に現れた。

歩くのをあきらめてバスでケープタウンへ向かっていたら何の感慨もなかったと思うけど、恐怖と闘いながら自らの足で歩き続けたからこその高揚感があった。
歩いてきて良かった。諦めなくて本当に良かった。

正面に見える大きな山はケープタウンの象徴テーブルマウンテン。
ちなみに40キロ手前、いやあるいはもっと遠くからも見る事ができた。

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ケープタウンの街以上にじーんときたのが大きく青い海だった。
最後に海を見たのはエジプト。アレクサンドリアで見た地中海ではなくて、マルサアラムで目にした紅海だった。

紅海を眺めながら「次に海を目にするのは南アフリカだな」と思ったものだけど、やっと海が見れました。やればできるものです。

トラウマ 

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ビューフォートウエストを出発後、5日目辺りから前方に山々が聳え立った。
タンザニアの山越え以降、単調で退屈な景色がずっと続いていたので、景色を楽しみながら歩くのは久々な気がする。
何度も足を止め、写真を撮りながら歩いていたら、「この先は危険だからカメラを出すな」と青年が忠告してくれた。
よく見ると坂の下の方に家々が見え、目を凝らせば粗末なバラック小屋である事が分かり、カメラの入ったバッグをジャケット下に隠す。

たいていこのスラムのような居住地は町の端にあり、何かあったとしても町へ行って助けを求める事ができるのだが、ここはなぜかこのスラムだけがぽつんとあり小さな村を形成していた。
ここで何か起こればどこへ助けを求めればよいのだろう。
路上を走っている車は面倒な事を避けるため助けてくれないと思った方がいい。こんな時に限ってパトロールの警察車両も見えない。


路上では数人の男が等間隔に立っていた。
ヒッチハイクしているように見えたが、彼らの手にはブドウがあり、それを売るために車を止めようとしていたのだった。

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この辺りはワインの産地であり、道の両脇にブドウ園が続いているのだが、「泥棒が売る盗品のブドウに注意するように」という看板を目にした。
彼らがブドウの生産者であるはずはない。生産者から委託されて売っているのか、それとも盗んだものなのか、定かではないけれど後者の可能性が圧倒的に高いだろう。

バラック小屋の前ではガラの悪そうな男達がこちらをじっと見つめている。
「引き返したい」と思いながらも、その思いに反して足は前へ進む。できる事なら駆け足でこの場を立ち去りたいけど、逆に彼らを刺激してしまうだろう。
心臓を激しく鼓動させながら早足で「襲うなよ、襲うなよ」と念じながら早足で進む。
無事にここを通過した時の気分はどう表現したらよいのか分からない。生還した気分だった。


強盗被害に遭った後、例え日中であっても路上で誰かとすれ違うのが怖くなった。
前方から歩いてくる人影が見えたら強盗被害時の記憶がよみがえり、逆車線へ移動する。
唯一の武器である三脚はビューフォートウエストを出て以来、いつでも手に取れる場所に置いている。
不穏な空気を感じたら威嚇の意味も込めてそれを手に持つ。

あの強盗事件がすっかりトラウマになっている。
ていうかこんな国を歩くべきではないです。
失業率30パーセント、殺人事件は日本の110倍。
いくら気を付けていても運が悪ければ普通に襲われます。