ブックマーク
ALKINIST -あるきにすと-

砂漠越え 

DSC_3652_R.jpg

何気なく眺めていたミシュランのアフリカ地図に諸都市の気温や降水量が載っている事に気付いた。そして知った驚愕の事実、ハルツームの11月の平均最高気温36度。
とんでもなく暑いではないか!

手元のガイドブックには「11月から2月はパーフェクトな気温だ」などと書かれていただけにこの時期は30度を下回るのだろうと勝手に考えていたのだけれどハルツームをなめてはいけない。
確かに11月から気温は徐々に下がり始めるのだが、最も涼しい1月でさえ最高気温32度。なんと30度を下回る月はないらしい。日に日に暑さが増していたのは砂漠という環境のせいだと思っていたけれどそういうことだったのかと納得。
ちなみに掲載されているアフリカ北東部、アラビア半島の他都市と比べてもハルツームの気温に匹敵するのはソマリランドのベルベラくらいでしかない。
世界で最も暑い場所の一つでなかろうか。

エジプトの東方砂漠でも思ったけれど、あれだけ準備期間がありながら事前の情報収集を怠るから暑さに苦しむ事になるのである。大体厳しい冬の前にカナダを訪れたり、豪州だって猛暑期だったりいつも行き当たりばったりで計画性がないのである。
そして全く進歩がない。

今回も8月下旬に外せない予定が入っていたから歩行開始が9月になったわけで、できる事なら書籍刊行を終えた7月にでも歩き始めたいと思っていた。酷暑のその時期を避けれた事だけは本当に良かった。

DSC_3512_R.jpg

それまでの道はナイル川に平行していたのに対し、地図を見る限りハルツーム以北300キロは無人の砂漠地帯であるようだった。この区間は砂漠のど真ん中を突き抜ける事になり町の記載は一切ない。やはり水のない所は人の住む場所ではないのだ。

実際のところ小さな村が3つくらいと数軒のカフェがあったもののそれらがいつ現れるかは不確かだった。カフェでは常に次の補給地点までの距離を尋ねていたが30キロと聞いていたにもかかわらず50キロ先なんてことは常であり、彼らの言う事は話半分に聞いていた。渇きに苦しみながら30キロを歩いたのにそこには何もなく、さらに4時間も歩く事になるなんて拷問以外の何物でもない。

正午近くになれば携帯している水は全て熱湯と化す。
あまりの暑さに水をかぶればまさにホットシャワー。
熱湯など飲みたくないのでお茶にしてみたけど、不快な口触りに変化はない。やはり暑い時に熱いものなど飲みたくないのだ。

DSC_3719_R.jpg

スーダンでの滞在期間は限られているのでのんびりとするわけにはいかず、夜明け前から正午まで40キロを歩き、最も暑い時間帯の3時間を休憩。その後また20キロを歩く事で歩行距離を稼ぐ。

DSC_3761_R.jpg

そんなハードウォ―クを続ければ疲労は重なり、体調を崩して歩けなくなった。
しかしながら有人地帯で体力が尽きるのとは話が違うのだ。歩けなくても最低限水のある場所までは辿り着いておく必要があり、10数キロを歩いて小さな小屋に到着。
体調不良を察してくれた小屋の主が一室を与えてくれた。

DSC_3748_R.jpg

屋外にはヤギの皮で作られた水入れが置かれている。
上温湯隆のサハラ横断挑戦時にもヤギ皮の水入れが装備品にあったと記憶している。
40年経った今でも砂漠の民にとっては必需品。そんな事に感動してしまう。
この皮製の水入れには何度もお世話になったが保冷効果は抜群であり無人の砂漠を歩く上では不可欠であると実感。
そして何より砂漠の民の助けがあるからこそ歩き抜けたのだと身をもって感じている。


連日何台も通り過ぎていく大型バス。
エアコンが効いて快適に違いない車内をうらめしく思う事もあるのだが、この暑さを体感し、水のありがたさや人の優しさに感謝の念を持ち、砂漠に足跡を刻み続けた事は何物にも代えられない経験なのだと思う。

出会いと再会 

DSC_3448_R.jpg

エジプトでは徒歩による完全踏破にこだわった結果、東方砂漠とかいう辺鄙な場所を歩く事になりサイクリストなどと遭遇する事はなかったのだけど、南北に一本の道が貫いているだけのスーダンでの出会い。

サイクリストなど人力で旅している人に限らず、バイクや車を自ら運転してる人達との出会いというのも嬉しいものだ。宿とかキャンプ場での出会いではなくて、「なんでお前こんな所にいるんだよ」ってシチュエーションがいい。

DSC_3456_R.jpg

ミニクーパーのデンマーク人と、

DSC_3449_R.jpg

バイクのオランダ人。
失礼ながら名前を聞き忘れた。

DSC_3503_R.jpg

イギリス人ジョンソンとオーストラリア人の女性。
5月に中国を出発し、ケープタウンを目指している。どのようなルートをとったかは定かではないが、恐ろしいスピードだ。

DSC_3730_R.jpg

6日後、少し遠回りしていた彼らを追い抜いていたらしく再会を果たす。
「ひどい暑さだ」とジョンソン。「まったくだ」と相槌を打ち、「今日は何時間走ったの?」と尋ねると6時間という答えが返ってきた。走行距離は120キロ超。
12時間かけて60キロを歩いてきた自分からしてみたら「なんじゃそりゃ」と言いたくなるようなスピードである。
追い抜いては追い越され、翌朝も彼らと出会い追い越される。

DSC_3115_R.jpg

そして再会がもう一つ。
10年前にスーダンを訪れた際、大型トラックをヒッチハイク。
トラックの荷台に乗って砂漠を突き抜け、その後運転手宅で2日お世話になったのだが、無謀にも町の名前と数枚の写真を手がかりにガイドブックにもグーグルマップにも載っていない小さな町で暮らす彼らの元を再訪する事を試みた。

DSC_3496_R.jpg

電波少年的なやり方であったが再会を果たす。
詳細は書かないでおくけど、スーダンを再訪した甲斐があったというものである。

アスワン最終日 

DSC_2918_R.jpg

ようやくアスワン最終日。
この数日は全く何もしていないので、船でナイル川を渡り対岸へ。


アスワンでの退屈な日常から一転、三日後からは歩く日々。
1500キロを1ヵ月で歩くというタイトなスケジュールになる。
1500キロという距離に加え、スーダンの首都ハルツームではエチオピアビザを取得するので、大使館の休館日と重ならないようカレンダーを睨みながらスケジュールを立てる。

ハルツームまで900キロ。
休まず歩けば16日。ゆっくり歩いて19日。
20日以上かかるようだとその後の行程に支障をきたしてしまうので少しでも余裕がほしいところ。悩ましい。

停滞 

DSC_2832_R.jpg

アスワンからスーダンへ向かうにはバスと船、2つの選択肢がある。
共に行き先はスーダン北端の町ワディ・ハルファ。

バスは180ポンド(約25ドル)、船を使えば326ポンド(約45ドル)。
バスが金曜日以外週六便運行されているのに対し、船は週一便のみ。
バスならば宿から5分の駅前から乗車できるけど、乗船場所は町から17キロ離れた所。
バスの座席は確保されても、船内に居場所を見つけられるかは不確か。
エジプト南下をあきらめたのが月曜日、週一便の船は次の日曜日。


船を使うメリットなど全くない。
しかし簡単に越境できるとはいえ、歩けなかった陸路をバスで通過するというのは許し難い事であり、東方砂漠を歩いてきた苦労が無になってしまう。
納得する事などできるはずもなく、現在は船待ちのため停滞中。

そんなわけでアスワンにはさらに6日、計10日を過ごす事となった。
なんて非合理的なのだろうか。



エジプトに限った事ではないけど、食に対するこだわりが全くないので、色々な食堂で食べてみようとは思わず、一軒の店に通い詰める。安く、まずくなければ良いという考えである。
朝昼夜とローテーションができ、おかげでサンドウィッチ屋の店主は注文を覚えてくれ、こちらが何を言わずとも「いつものやつ?」と聞いてくる。
常連さんになったかのようでなかなかいい気分だ。

DSC_2877_R.jpg

エジプトの国民的メニューであるコシャリ。
米、マカロニ、スパゲティが混ざったものにトマトソースがかかっている。
この8日で12食を食べた。
おそらく今最もコシャリを食べている日本人だと思う。

エジプト縦断終了 

DSC_2809_R.jpg

さらに南を目指すべく、まだ暗いうちから歩き始めるが、30分歩いた先に検問があり、アブシンベルへ向かう数台のツアーバスなどが停車していた。
「アブシンベル方面へ行くにはパーミッションが必要であり、徒歩での通行は認められていない」と警察は言った。
例え西岸へ渡って南下したとしても検問で必ず追い返されるだろうとの事だ。

この瞬間エジプト縦断は終了した。
エジプトでの歩行距離は約1300キロ。

徒歩で南下できない事は残念だけど、一旅行者の都合で覆るルールではないし、当初よりエジプトはアスワンまでのつもりだったので割り切っている。
ここまで途絶える事なく足跡を刻めた事に比べれば全く大した問題ではない。

DSC_2810_R.jpg

出発から1時間半後、本日も宿へ帰還。
300キロの無人地帯に備えて用意した食料が重い。

さらに南へ 

DSC_2790_R.jpg

スーダンへの入国はアスワンからの船以外に選択肢がなく、エジプトの歩行はアスワンで終わる予定だったが、8月末に陸路での越境が可能になったとの事でさらに300キロ程を南下するつもりでいる。
開放されて間もない国境なので前例はなく、徒歩での越境が認められているかは実際に行ってみないと分からないが、行けるところまで行ってみようかなと。

DSC_2794_R.jpg

ナイル川西岸へ渡ろうとしたところ、歩行禁止のアスワンダムに行く手を阻まれる。
歩行禁止の道に遭遇する事はごく稀にあるのだけど本当に気が滅入る。
誰もいなければ見て見ぬフリをして渡ってしまうものの、そこには銃を持った数人の警備兵の姿。朝5時半という交通量の少ない時間だったが、交渉の余地なく、一切の権限を持たない警備兵は首を横に振り続けた。

ダム上の歩行を拒否されたものの道がなくなったわけではない。
アスワンへの帰路はいかにして西岸へ渡るかを歩きながら検討する。
船でナイル川を渡るか、10キロ北へ戻って橋を渡るか。
自分の足で渡る選択肢がある限りはそれを選ぶので20キロの距離増が面倒だがやはり後者か。

DSC_2796_R.jpg

モチベーションの低下により3時間前にチェックアウトした宿に帰還。
往復15キロを歩いたが足指に痛みや違和感がなかったのは良かった。
地図でルートをチェックすればさらに南のアスワンハイダム上にも道路があり、ツーリストインフォメーションで尋ねてみれば歩行可能との事である。

明日はアスワンハイダムへ。

Aswan 

DSC_2665_R.jpg

東方砂漠は全くの無人地帯ではなく軍や警察の施設などもある。
東方砂漠での最後の夜は救急隊の駐在所で過ごす。
近くにテントを張らせてもらうつもりが「そこに寝ればいいよ」と言われ、屋外に置かれたベッドで眠った。
秋の風情も季節感も皆無ではあるが、朝夕は日に日に冷え込んできており、季節の変化を感じている。潜るまではしなくとも寝袋を腹にかけないと寒くて眠れない。
いつでも取り出せるようにバッグの奥底に入れていたジャケットを上の方に移動させた。

DSC_2667_R.jpg

ナイル川が近付くにつれ一面褐色だった世界に少しずつ色が加わっていった。
900キロも砂漠地帯にいたのだ。風に揺れる草木を目にすれば自然と顔が緩み、心底癒される。

DSC_2671_R.jpg

有人地帯になればあちこちに水がめが置かれ、飲料補給に困る事はない。
北部でも店や家々の前にウォ―タータンクが置かれていたけれどその比ではない。
誰か特定の人のためのものではなくてあらゆる人たちのためへの水。
美しきイスラムの精神である。

しかしながら悪ガキどもから投石を受け、「マネー、マネー」と声をかけられ、人のいない砂漠地帯が恋しくもあり。

DSC_2750_R.jpg

突き刺すような足指の痛みに顔をしかめ、足を引きづりながらアスワンに到着。
トレッキングシューズを履けば足指が圧迫されて激痛が走り歩行困難な状態に。
当初は魚の目だろうと思っていたのだが、一夜明ければ足指はさらに腫れ上がり、血が溜まって黒ずんでいた。
患部を針で一刺すれば、どろっとした膿血が流れ、足の状態は良くなりつつある。
前回の地球一周の時はキズドライ2本にテーピング数本などを持っていたけど出番は全くなく、今回は念のためテーピングを1本持ってきただけ。また何かあれば患部にぐるぐるとテーピングを巻いてやろう。

スーダンビザを取得した。エジプトもそろそろ終わる。