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ALKINIST -あるきにすと-

Dangla 

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4日半もいたバハルダールから脱出。

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6日振りのインジェラはワット(具)も豊富で悪くはない。

「マネーマネー」言われる事も、子供に追いかけられる事もなく、エチオピアにいたらこんな些細な事でも幸せを感じられる。じつに良い一日であった。
と言いたいところだが、民家近くにテント設営の許可をもらおうとしたら「金を出せ」とおばちゃん。さらに歩き続け、小屋の隣にテントを張らせてもらう。

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写真左側に人影が見えるように、道路からは丸見え。
許可をもらったとはいえテントを張った小屋は無人。
すぐに闇に覆われるのでそれ程心配はしていないけど、もっと慎重になるべきか。

日中は陽射しがきつく、短パン半袖、帽子は欠かせないけれど、標高2000メートルの朝は寒い。
ジャケットを着て外へ出てみれば結露でテントには水滴が付着、今朝の気温は10度。
エジプト、スーダンでは熱帯夜も多く、テントにフライシートをかぶせてなかったけれど、エチオピアに入ってからはフライシートを使っている。

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気候的な理由はもちろん、民家など人目に付く場所にテントを張らせてもらっており、フライシートを使わなければこんな感じなので視線を遮るためにも必要だ。


夕食はストーブを使ってラーメンを作り、食後はコーヒーを飲んでゆっくりするのだけど、朝食、昼食は自分で何か作る事はせず、カフェや食堂が現れたら食事をとる。
何も現れなければ食事抜き。

バハルダールから2日目の今日は10時過ぎに町が現れた。
決して大きくはないけれどガソリンスタンドが2軒、ホテルも数軒。昼食をとるには早い時間だけど、この先しばらく何もないとの事なのでここで昼食をとる事に。

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ノーインジェラデーにしようと「パスタ」と2軒の食堂で言ってみるが、いずれもインジェラしかなく、「パスタならあそこへ行け」と言われたのが、ホテル併設のレストラン。
バハルダールを出てまだ2日目だし安いインジェラでもいいかなと少し考えるも、逃れられる時に逃れておかないと毎日インジェラになってしまうわけで。

レストランへ行ってみたらパスタはなく、ベジタブルサンドウィッチを注文。
ラップトップを持っている人がいたので訊いてみればWiFiがあるらしい。
レセプションで料金を尋ねてみたら良い値段、見せてもらった部屋も値段の割に素晴らしく、早々に足を止めてしまった……。
バハルダールから70数キロしか歩いていないのに何をしているのだろうか。

このホテルへ来るきっかけとなったベジタブルサンドウィッチはまったく美味しくなかった。

停滞とノーインジェラデー 

クリスマスから数日はケニア大使館が休みとなる。
アジスアベバに早く到着しても時間を余す事になるし、さらに今日はサッカー天皇杯の決勝、エイシンヒカリという馬の重賞初挑戦というわざわざ足を止める程の事ではないけど興味があるイベントが重なり、理由をこじつけてさらにもう一泊バハルダールに滞在。

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イスラム圏ではチャイだったが、エチオピアはコーヒー発祥の地なだけあって街を歩いてもカフェが多く、そしてその味も絶品。ホテル併設のカフェへカップ持参で行き、部屋へ持ち帰って朝食というのがバハルダールでの1日の始まり。
コーヒーを啜りながら今後のルートを確認し、ケニア北部の治安状況について調べる。


バハルダールはエチオピア北部の観光地の一つ。
最大の見どころは青ナイル滝だが、街から離れた所にあるため、4日半もバハルダールにいたのに行く事はなかった。

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散歩がてら青ナイル川の源流であるタナ湖に一度だけ足を運んだくらい。

バハルダールに到着する3日前、遥か遠くに大きな海のようなものが見えた。
「海だ」と思ったけれど、ここは内陸。ならば川だろうと自分を納得させたが、テントで地図を広げてみればタナ湖だった。ずいぶんでかいなと思ったがそれもそのはずで琵琶湖の4.5倍もの面積を持つエチオピア最大の湖である。


バハルダールで何もせずにこれだけとどまる事になった最大の理由は居心地の良い宿。
そして食の選択肢の豊富さ。しかしいくら選択肢が多くても、毎日ハンバーガーにサンドウィッチ、ビザなど西洋料理を食べ続ければいい加減飽きてきた。

かといってエチオピアの国民食インジェラはこの先歩行中ほぼ毎日食べる事になるので避けたいところ。決して嫌いではないのだけど、さすがに毎日は食べたくなくて、2日に1度と贅沢は言わないけど、できれば週に2日くらいはノーインジェラデーがほしいと思う。

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バハルダールを目指していた先日の話なのだけど、昼頃に現れた村は人の往来が激しく、食堂の数も多く、ノーインジェラデーになりそうな気がした。

しかし意思疎通は容易ではなく、さらにここは田舎である。
インジェラ以外に食べられそうなものはパスタくらいしか思い浮かばず、食堂が現れる度に「パスタはあるか?」と尋ねてみる。

「ない」「あるけど30分かかる」「ない」と繰り返し、4軒目にして「ある」という返事。

インジェラからの解放に自然と頬は緩んでいたのだが、運ばれてきたものを見て表情は強張り、苦笑いに変わった。

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パスタwithインジェラ。
希望通りパスタは食べれたものの、インジェラからは逃れられず。何だろうこの敗北感。
普通に皿に盛ってくれたらいいのに、エチオピア人よ、どうしてこうなる……。

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ホテル近くの路地で揚げられていたタナ湖の魚を買い、米を炊いて味噌汁を作って昼食。
味噌はカイロの丸山さんよりカイロ出発時にいただいたもの。
スーダンの砂漠を歩いていた時は何度も癒され、救われた。


スーダンでの疲れを癒すためという口実のサボりは今日で終わり。
気持ちも上向いてきたので明日からまたアジスアベバを目指す。

戦意喪失 

この先300キロ程のところに大地溝帯(グレートリフトバレー)がある事は把握していた。
現在の標高1800メートルから2500メートルまで上がる事は分かっていたものの、その後1200メートルの谷底まで急降下。そして3000メートルまで上昇するというハードなアップダウンである事を知った途端、気持ちが一気に萎えてしまい戦意喪失。
過酷な戦いを前にもう1日ゆっくりしていこうではないかと甘い考えが頭をよぎり始める。

ハードだったスーダンから一転、エチオピアではビザに3ヵ月もの余裕がある。
食の選択肢が豊富であり、宿は快適。「マネーマネー」と追いかけてくる子供もおらず、とにかく居心地が良いのだ。


そして延泊を決定づけたのがケニアビザだった。
諸事情によりアジスアベバでケニアビザを事前取得するつもりなのだけど、カレンダーを眺めてみれば、12月25日がクリスマス、26日がボクシングデー、27、28日が土日。
順調に進んでも大使館が休みの祝祭日、休日にぶつかるので、急ぐ必要は全くない。

ちなみに調べてみたところ駐日ケニア大使館は12月18日から1月5日までビザ申請を受け付けていない。こちらがどうなのかは分からないけど、12月29日に大使館が仕事をするのだろうか…。年明けまでアジスアベバから動けないかもしれない。

と、まあそろそろケニアについて真剣に考えないといけないところまで達している。
スーダンで会ったミニクーパーのデンマーク人・ダニエルは強盗多発地帯・ケニア北部のドライブを「チャレンジだった」と振り返り、サイクリスト・ジョンソンからは「ケニア北部はどうするつもりだ」とメールが届いた。サイクリストはもちろん、車であっても決して簡単ではない。東アフリカ縦断において最大の難関ケニア。悩みの種である。

今日は今後のルートをあれこれと考えてみた。



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Bahir Dar 

ゴンダールから3日半歩き、バハルダールで2日半停滞。
休みすぎな気もするけれど、アジスアベバまで550キロ。アップダウンと子供達との戦いに備えるべく、食の選択肢が豊富な街でゆっくりと過ごす。

田舎を歩いていて目にするのはバスやミニバス、大型トラックばかりで自家用車を目にする事はない。スーダンではピックアップトラックが農作業などに使われていたけど、エチオピアでは馬車やロバ車が荷物を運ぶ。
乗用車が街を走る光景に違和感を覚えた。

ボロボロの服を着て、裸足で生活している人の姿もなく、皆きれいな服に身を包んでいる。色褪せたシャツを着た自分の姿が浮いている気がしてならない。

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アフリカ大陸での歩行距離は3000キロを超え、トレッキングシューズの傷んだ部分を補修してもらった。

Don't look at me 

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放牧地や家々を前を通過しようとする度に、勢いよく駆けてくる子供達の姿が見え、「またかよ」と溜め息をつき、「来るなよ」と思う。まるでドラゴンクエストのモンスターの様に続々と現れる。

「ユーユーユー」「マネーマネーマネー」と連日声をかけられ、ひたすら後ろをついてこられ、荷台を触られ、食器洗い用スポンジが盗まれ、イライラが絶頂に達して「家に帰れ!」とジェスチャーを交えて怒鳴れば石が投げられるエチオピアでの日々。
殴る素振りを見せたり、手で追い払うジェスチャーをした日の夜は、「何を子供相手にムキになってるんだ」とテントの中で反省し、こちらまで不快な気分になる。

『愛の反対は憎しみではなく無関心』 というマザー・テレサの言葉を引き合いに出すなら、「無視」する事は憎しみの先にある無関心に近い行為なのだと思う。ストレスなく歩くために手も振らず目も合わさず無視してみたけど、後方から石が飛んできてプッツン。

剥き出しの欲望、本能で迫ってくる彼らに対して、こちらも「怒り」という剥き出しの感情で対応してもいいんじゃないかと思う今日この頃。

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朝食をとろうと小さな村のチャイ屋へ行けばすぐに現地人に周りを囲まれた。
荷物が心配なのでチャイ屋の中で食事をとれず、リヤカー横に腰を下ろしてチャイを啜る。
そんな自分を中心に半円を描くように現地人がずらりと並び、何をするでもなく無言でこちらをじっと眺めている。上野動物園のパンダになった気分だ。

「こっち見んな」
「周りを囲むな」

歩いても足を休めても、全く落ち着く場所のない国である。

とんでもない数だったので思わずパノラマ撮影してみるが、とても入り切らない。
何人いるのだろうと、こちらをじっと見つめる顔を数えていけば、その数なんと110人。
「110人もいるよ」と周りを囲む皆に言ったらどっと笑いが起き、同じように笑った。

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人間に疲れ、苛立つ事も多いけど、決して嫌いとは言えない国。しかしエチオピアでの行程がまだ1300キロも残っている事を考えると頭が痛くなってくる。

Gondar 

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1ヵ月で1500キロを歩き、休みはわずか4日と過酷だったスーダンでの歩行。
蓄積された疲労を癒すため、首都アジスアベバではなくゴンダールへ寄り道。

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エチオピアでは数種類のビールを飲んでみたけど、お気に入りはDASHEN BEER。
そんなDASHEN BEERの故郷がゴンダールであり、ビール工場もあった。

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標高約2200メートル、緑に囲まれたゴンダール。

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1軒目の宿には南京虫がいたので2軒目の宿に移動。
昼からビールを飲んでグータラ過ごすも、やるべき仕事をいくつかこなしてしまう。

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一般的な旅行者と違って、自分の旅の目的は観光地での観光ではなくて、歩く事である。
その過程で目にする景色、出会う人、毎日のキャンプ生活、あるいは蓄積されていく経験、というのがメイン。
観光地とか大きな街に着いたとしても、体を休める事が最優先で宿に引きこもる。
たまに街歩きをする程度なのだが、今日は珍しく観光というやつをやってみた。

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ダブラ・ブラハン・セラシエ教会。
アフリカで入場料を払うのは初めてのこと。

2日間ダラダラと過ごした後の3日目の休足日だからか、ずいぶんとやる気があって引き続き観光を続ける。

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これはもはや観光というものではないかもしれないのだけど、標高3000メートルまで上がり絶景を堪能。写真ではこの雄大な景色を全く伝えられないのが残念。
今のところエチオピアで最も美しい景色。
キリマンジャロに登らない限りはここが今回のアフリカ縦断での最高地点になるでしょう。

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田舎の食堂ではインジェラしかない事が多いので、選択肢豊富なゴンダールではインジェラは避けている。
手頃なパスタやハンバーガーを食べているが、このアボガドジュースが激うまだった。
スプーンが添えられ、飲むというよりは食べるに近いが、これもまたエチオピアで最も感動した味である。

Azezo 

国境の町メテマではリヤカーを引いているわけでもないのに歩いているだけで突き刺すような視線を感じた。
メインストリートにはバーが並び、男達は昼間から競うようにビール瓶を何本も空けている。
何かと縛りの多いイスラム国と違って開放的。悪く言えば猥雑な雰囲気。
エチオピア人はフレンドリーに声をかけてくれるのだけど、隙を見せてはいけないと直感した。気を抜けばあっという間にやられてしまうだろう。アフリカは甘くない。

イスラムの人の優しさを知っていたから北アフリカのイスラム圏ではあまり不安を感じていなかった。
エジプトもスーダンもアフリカ大陸に位置するとはいえアラブ圏であり、エチオピアからが本当のアフリカなのだと個人的には考えている。

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エチオピアはとにかく子供が多い。
未就学児に「ユーユー」と声をかけられるのは、バカにされているような、なめられてる気がして苦笑いしてしまう。

「ワッツユアネーム」と名前を訊かれることもある。
エジプトでも子供達の知っている数少ない英語がこの言葉で何十回も尋ねられた。
お前らが名前を知ってどうするのだといつも思う。

これくらいならまだいいが連日何度も「マネーマネー」と言われるのは良い気分ではない。
きつい上り坂を歩いている時は子供の相手をするだけの余裕がなくて、後ろをついてこられるのも声をかけられるのも嫌なのだけど、そんな時に「マネーマネー」と子供がしつこく手を差し出してきた時は無意識のうちに睨み返していた。
子供達のパワーに圧倒され、ギラギラとした視線を浴び続ければ、日を追うごとに精神的な余裕がなくなっていくのがよく分かる。


「マネーマネー」と欲望むき出しの子供達がいる国。
大人が手を差し出してくる事もわずかながらあったが、欲望をうまくコントロールしているだけで密かに牙を剥くタイミングを窺っているのかもしれない。

そんな事を考えていたらどこにテントを張ればよいのか分からなくなった。
放牧や農作業に従事する人が広範囲に点在し、絶対に人目につかない場所というのがなかなか見つからない。子供に見つかろうものなら確実に面倒な事になってしまう。
こんなところでは慎重になりすぎるくらいがちょうどよい。

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色々と考えた結果、人目につかない場所を探すより、現地人の目の届く場所にテントを張って安全を確保するのがベストだという結論に達した。

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家の横にテントを張らせてもらったある日、ラーメンでも作ろうかとストーブを取り出していたところ、おばちゃんがやって来て「食べなさい」とインジェラを渡してくれた。
毎日の様に子供達が差し出す手を拒み続けているというのに、おばちゃんはそんな自分に手を差し伸べてくれた。

また別の日は搾りたてのミルクを飲ませてくれたり、「テントではなく家の中で眠りなよ」と気遣ってくれたり、結局この国でも現地の方の優しさに触れ、助けられる事が多い。


そんな平和な日々に亀裂が入ったのは食堂で昼食をとっていた時だった。
食堂のおばちゃんが外へ向かって何やら怒鳴りつけ、リヤカーを動かし始めた。
荷台に積んである荷物など、見た感じ何も問題なさそうだったが、何者かが荷物を狙っていたらしい。

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その後しばらくして鼻水を垂らした子供が持ってきたのがこのお守りだった。
彼あるいはその友人が盗ったのか定かではないけど、バックパックにつけていたお守りが引きちぎられていた。縁結びの神様を引きちぎるとはいい度胸をしているではないか。

被害はお守り一つだけ、しかも手元に戻ってきた。
しかし未遂とはいえ盗難に遭ったという事実はここ数日平和ボケしていた自分の目を覚まさせてくれるかのような衝撃があったのも確か。エチオピア入りした直後、隙を見せてはいけないと直感したのにそんな意識が薄れつつあった。

犯人はエチオピア人だけど、それを未然に防いだのもエチオピア人のおばちゃんだった。
それが唯一の救いというか、彼らを引き続き信じてみようと思うのだ。