敗北

スチュアートハイウェイへの復路も1日60キロペースで進んだ。
残念ながら月が出てしまい、毎日の楽しみであった満天の星空は見る事ができなくなったけど、月明かりを頼りにテントを片付ける事ができ、これまでよりも出発準備は楽なものとなった。
月のせいで星の数は日本で見るものとそう大きくは変わらなく思えたけど、強い光を放つ星は相変わらずどんどんと落ちていった。
日本では数えるほどしか流れ星を見た事はないのに、この違いは一体何なのか。
復路ではただ来た道を戻るのではなくて、同じ道を130キロ歩いた後、道を折れ、別の舗装路を70キロ弱歩き、さらには未舗装路を100キロ歩いてハイウェイへ戻ろうと決めた。
全く同じ道を歩くのは面白くないし、来た道を戻って北上した場合の距離とほぼ同距離だし、何より未舗装路を歩きたかった。
未舗装路への入口近くに7頭くらいのラクダの群れがいた。
こちらのラクダのコブは1つ。
カンガルー島でお世話になったロニが野生のラクダを捕まえて旅行した時の話を聞かせてくれたのだけど、その際、「簡単に捕まえられるか」と尋ねてみたが、「車じゃないと無理」とロニ。
試しに近付いてみたけど、あっという間に逃げられてしまった。
そして未舗装路へ。
4駆以外は無理だから舗装路を走れという看板もあった。
こうして未舗装路の旅が始まった訳だけど、歩き始めて1キロもしないうちにこの未舗装路を歩くという選択が間違いだった事に気付いた。
カンガルー島では一部のメインルートを除けば、あとは未舗装路だった。
車が通過すれば土煙が舞うけど、地面は硬く、しっかりとしたものだった。
それと同じ様な道路を考えていたけど、砂が深い所も多く、まるで砂漠の様。
舗装路と同じ様に時速5キロペース、100キロ歩くのに1日半と考えていたけど、そんなプランはあっという間に崩れた。最悪2日半かかってしまう。
戻る事も何度も考えた。
前日歩いた道を70キロ弱引き返し、ウルルを目指した時と同じ道へ戻る事を。
しかし首を振り、そんな考えを打ち消して、足に腕に力を入れ、深い砂の上を進んだ。
いつも以上に時間がかかった。
いつも以上に疲労を感じた。
それでも何とか約20キロ進んだ。
そしてここまで歩いてようやく決意した。
「よし戻ろう」と。
戻る事はそれまで何度も考えていたのに、なぜここまで歩いておいて戻る事を決意したのか。決意できたのか。
それはここが自力で引き返す事のできるギリギリの所だったからか。
多くはないけど数台の車が通過し、何かあっても助けを求められる環境で、遭難の危険はなかったけど、自分の力で進みたかったし、不本意ではあるけど自力で退きたかった。
一応2日分の水は携帯していたものの、この日の暑さはいつも以上に厳しく、さらには悪路を進む事で水分摂取量も多く、スチュアートハイウェイ、さらには次のロードハウスまで水がもつか不確かだった。
深く悩むでもなく、とてもあっさりとした決断だった。
戻るといっても、もちろん徒歩、そして悪路を20キロ。
この20キロを後ろではなく、前に進めば、スチュアートハイウェイまで残り60キロ。
「行けるんじゃないか」そんな事も何度も考えた上での結論。
20キロ後退し、前日歩いた道を70キロ引き返し、その後Erldundaまで110キロ、そしてさらに70キロ。
戻れば計270キロ歩く必要があるけど、前へ進めば同地点までわずか80キロ。
3日間、190キロのロスというのには頭を抱えたくなったけど、それも承知の上での結論。
後ろを振り返れば、往路と復路、2度にわたって刻んだ足跡と車輪の跡。
かっこよく言えば勇気ある撤退。しかしそんな事は微塵も思えず、ただの敗北だった。
Uluru
予定通りYularaに4日で到着した翌日、ウルルへと向かった。
もちろん徒歩で。リヤカーを引いて。
チケットは3日間有効なので、本人以外の使用を防ぐために自分の名前を書くように言われた。
車で訪れた人はさらに車のナンバーを書かされるのかもしれない。
Walkingと記入されたチケットを渡された。
国立公園の開閉時間は季節によって異なる。
自分が訪れた5月は6時から19時30分まで。
テントを張ったYularaからウルルへは約20キロの距離があり、歩けば片道4時間、往復8時間。
時間は限られているので、開園時間に合わせて国立公園へ入った。
早朝ではあるけど、サンライズを見るために多くの車やツアーバスが走っていた。
約4時間歩いてMalaという所に到着。
歩いてウルルへ行くという狂った目標を果たす事ができた。
ここへ来るために豪州縦断のルートを外れ、260キロも歩いてきた。
訪れるべきか迷う事もあったけど来て良かったなと心から思えた。
ウルルの周囲にはいくつかのルートがあり、歩いて回る事ができる。
少し離れた所から見るウルルは良かったけれど、近くで見ればでか過ぎてよく分からない。
壁画とか変わった岩の形とかあったけど、あまり興味ないです。
散策ルートを適当に歩き、駐車場の方へ戻っていると、ウルルへと登る人の群れがあった。
ここに到着した際は頂上付近が強風との事で登山ルートは閉ざされていたけど、散策している間にゲートが開けられたらしい。
機会があれば登りたいと思っていたので、登ってみた。
見ての通り、かなり急な勾配。
岩の上に張られた鎖を掴みながら進む。
心臓の悪い人はやめた方がいいです。
トップオブザウルル。
頂上へは30分程。高度をチェックすると、約300メートルの上昇。
遠くにはカタジュタが見えた。
ここも国立公園内で、車やツアーでウルルを訪れる人達はここも訪れている。
しかし50キロくらい離れていて、さすがに徒歩では厳しいので行かず。
そして下り。
圧巻の景色だけど、気を抜いちゃダメです。危ないです。
過去には死者も出ているらしい。
3日間有効のチケットではあったけど、ウルルを訪れたのはこの1日のみ。
夕陽、朝陽を浴びて刻々とその岩の色が変化していくサンセットもサンライズも見る事はなく、前述した通り、カタジュタを訪れる事もなく。
Erldundaの分岐から260キロ歩いてきて、メルボルンから2000キロ超も歩いてきて、誰よりも苦労してここへ辿り着いたという自負はあるけど、ウルル観光という点では多くの旅行者以下だったと思う。
しかし自分の場合、歩いてウルルへ辿り着くという事が目的だったのでとてもとても満足し、未練なくウルルを去る事ができたのでした。
そして翌日。
Erldundaを出てからは60キロ歩行をするため、早起きな日々だったけど、久々にゆっくりと朝を迎えた。
Yularaには立派なスーパーがあり食料を大量に購入。
ガソリンストーブの燃料を補給。
ただでさえ退屈な景色が続くのに同じ道を260キロも歩くのは嫌で、復路はバスやヒッチハイクでErldundaまで戻るつもりでいたけど、何を血迷ったのかいつの間にか歩く事を決意しておりました。意地とプライドです。
この日は少しだけ歩いてウルルが見える所にテントを張った。
本当に最高、贅沢なキャンプだった。
ウルルへの道
オーストラリアの地理に詳しい人じゃなきゃ分からないと思うけど、現在豪州中央を南北に貫くスチュアートハイウェイを南から北上している。
そしてそのルート近くにウルルがある。
エアーズロックと言ったほうが分かりやすいかと思います。
ルート近くと言っても、広大な面積の豪州だからこそ近く見えるだけで、実際はハイウェイから260キロ西へ行かないといけない。ルートを迂回するとかでなく、ウルルを目指すなら260キロ西へ行き、その後また同じ道を260キロ歩き、ハイウェイに戻る必要がある。
つまりウルルへ向かうなら往復520キロ歩く必要があるという事。
連日、こんな単調な景色の中を歩き続ければ、
それはもう退屈で退屈で、さっさとこんな環境から抜け出したくもなる。
Coober Pedyからの歩行で、キンバリーへは行かず、ダーウィンで終わるという事を考え始めた。
ダーウィンで終わるとなれば、それはそう遠くない話なので、その後の上海へと至るルートを考えたり、無人地帯を歩いているとは言え、もう心はここにはない。
豪州縦断を決意し、ルートを考えた際、ウルルを訪れる事を考えていた。
「絶対に」とかそんな強い決意ではないけど、まあできたらという位に。
ダーウィンで終わる事を考えてから、ウルルはどうするかと迷っていたけれど、そんな迷いはこれを見た時に吹き飛んだ。
ノーザンテリトリーに入り、初めて現れたダーウィンへの距離標識。
ダーウィンまで1772キロ。
ウルルへ行けば往復520キロが必要な訳で、それはダーウィンへの距離の3分の1弱に値する距離。
もう早く終わらせたくもあったので、ウルルへの分岐まで70キロに迫ったこの日、ウルル行きの中止を決意した。
決意したはずだったのだけど、

ああやはり結局はこうなるのかと、ニヤニヤしながら分岐のErldundaにあるロードハウスへ。水とかプリングルスとか、僻地プライスで売られているロードハウス。
ここでおばちゃんに「ウルルとこことを結ぶバスはあるか?」と尋ねてみる。
ウルルへの往路260キロは歩く事ができても、同じ道を戻るだけの復路は歩きたくなかった。
復路を歩かないでいいなら、ウルルへ行くのもいいかなと考えていた。
しかしおばちゃんの返答がどんなものであってももう心は決まっていたのだけど。
「路線バスはないけど、金を払えばツアーバスに乗れるだろう」とおばちゃんは言った。
ウルル行き決定。
アデレードを出てからは日照時間は長くなく、1日50キロペースで歩いていたけど、そのペースだとウルル観光の拠点となるYularaまで5日かかってしまう。
時間をかけたくなかったので、1日60キロペースで歩き、4日でYulara到着を目指す事に決めた。
いかにして10キロもの歩行距離を伸ばすかというと、早朝出発しかない。
いつもより2時間早く起き、ライトで照らしながら出発準備。
月明かりはなく、満天の星空の下を歩くのは最高だった。
流れ星がありえないくらいに落ちていき、東の空が少しずつ明るくなっていけば、オレンジ色に染まった地平線付近と豪州独特の木のシルエットがとても美しかった。
日没後もまた素晴らしい。
豪州の景色には飽き飽きしていたけど、歩行を終えた夕方から星空、そして陽が昇るまで、数少ない毎日の楽しみだった。
ある朝はライト片手にテントを片付けているとサソリと遭遇した。
職質も受けた。
59キロ、64キロ、58キロ、62キロ。
ほぼ60キロペースで歩き続けた。
ひたすらウルルを目指し続けた。
この道中、テントの中でロードハウスでもらった旅行会社のツアーパンフレットを眺めた事があったのだけど、2泊3日のアリススプングからのツアーで299ドル。
25ドルの入場料、食費、キャンプ代、もちろん往復、さらにはウルルだけでなくキングスキャニオンも含まれての値段。
これを見た時は、何日もかけて徒歩で何をやっているのかと思ったけれど、ウルルまで徒歩で辿り着くという事が自分の意地でありプライドだった。
そして4日目、ようやくウルルが姿を現した。
無人地帯と雨

オパールの採掘で有名なCoober Pedy周辺はこの様に地面が掘られ、土が積み上げられている。
そんな景色を見ながらCoober Pedyを出発し、迎えた翌日。
いつもの様に日の出前から歩行を開始した。
徐々に明るくなっていく空。そして現れた虹。
前日夕方から雲が多く、嫌な天気だなとは思っていたけど、前方の空では雨が降っていたのかと思い、もう雨が上がったのだろうと1度は安堵したのだけど、
やはり嫌な空模様。
アデレードを出てから約20日。曇ったのはわずか1日。
いつも青空の下、強い陽射しを浴びながら歩き、あまりの暑さに「雲よ出ろ、雲よ出ろ」と思いながら歩く事もあったけど、いざこうして空が雲に覆われれば、勝手なもので「晴れろ、晴れろ」と唱えてしまう。
自分が望んでいるのはこんなどんよりとした雲ではなくて、さわやかな青空と入道雲のような力強い雲なのである。
そんな事を思いながら歩いていると、前方からやって来たバイクが止まった。
オーストラリア人との事で、少なくとも自分よりはこの辺りの天気についての知識もあるだろうと思い、彼にこの先の天気について尋ねてみると、「南は雨が降るけど、ここから北は問題ない」とライダー。
しかし自分の目にはむしろ南より北の空の方がどんよりしたものに見えた。
無人地帯と雨。
ウイグルとカザフスタンで経験済みなのでこの怖さは十分に分かっている。
ウイグルで雨に見舞われた時は幸いにも道路下に雨をしのげる通路があり、そこに逃げ込んだけど、カザフスタンでは周囲に人工のものなど一切なく、ただ雨に打たれるしかなかった。
どうする事もできず雨に打たれ続けた後、すぐにテントを張り、濡れた衣類を着替えたが、この雨で風邪をひき、その後数日は体に力が入らず、その後辿り着いた町で尻に注射を打たれた。
ライダーの天気情報は話半分に聞いておいて、とりあえず先を目指した。
雨に降られないうちに屋根のある所まで行き、その後の事は改めて考えようと思った。
ここもまたカザフスタンと同様に延々と何もないけど、ここから10キロも歩けばレストエリアがある事は分かっていた。多分そこには屋根があるはず。
そこを逃せば次のロードハウスまでまた100キロ近く何もないという環境だった。
レストエリアに着く前にパラパラと雨が降り始めた。
強い雨ではない、パラパラという程度ではあるけど、足早に進んだ。
なんとかレストエリアに辿り着き、空の様子を見ながら屋根下で昼食をとったものの、相変わらずパラパラという雨が空から降り続けていた。
この程度なら何とか歩けるというくらいの雨。
しかしこの雨がどう変化するのか全く予測できず、半日で歩行を終え、屋根下にテントという無難な選択をした。
降ったり止んだり、時折強く降りながら、その後雨は3時間で止んだ。
結局は歩こうと思えば歩く事のできた雨だった。
しかし後から何を言っても全て仮定の話でしかなく、さらに強く、長時間降り続けていたかもしれないし、落雷があったかもしれない。
こういう状況下での判断は難しいけど、やはり無難な選択をするべきなのだと改めて思う。
自然はいつも学ばせてくれる。
ハエがすごい
現在ぼくを悩ませているものは暑さでも肉体の疲労でも心細さでもなく、ハエ。
ハエがすごい。
この6文字だけじゃ全然伝わらないので、以下何枚か写真。
ポートオーガスタまでは全く問題なかったけど、スチュアートハイウェイを歩き始め、内陸へ進むにつれ、大量のハエが現れ、どんどんひどくなっている。
当初は歩行開始から2時間程経った頃にゆっくりと現れたハエ。
最近では歩行開始時から数匹が周囲を飛び交い、その後すぐにたくさんのハエが集うようになった。
Glendamboの入口の看板。
人間の人口はわずか30人なのに対し、羊22500頭、ハエ200万。
長い無人地帯。
町はなくても、家はなくても、人はいなくても、ハエはたくさん。
昼食をとろうと缶詰の蓋を開ければ、ハエもランチタイム。

少しでも側面にこぼしてしまえばこの通り。
食後。
缶詰だけならまだしも、目とか耳とか鼻とか口とか、とにかく色々な所に侵入してくる。
鼻の中に入り込んだハエをフンッと鼻水と一緒に噴射し、口の中に入り込んだハエをペッと吐き出すなんて事も少なくはない。
顔の周りを朝から晩まで何時間もたかられるのは非常にうざい。
ギリギリまで耐えたけど、もう我慢ならんという事でこいつを装着。
これさえあればうざいハエのストレスから解放される。
視界は多少悪くなるけど、選択の余地なし。
カナダの森で蚊に悩まされ、ウィニペグで購入したネット。
しかしその後草原へと変わり、ロッキーを歩く頃は夏の終わりから秋だったので、結局全く使わないままだった。
持ってるけど役に立たないグッズランキング上位にいたけど、今では持ってて良かったグッズでダントツナンバーワン。
途中で破棄しなくて良かった。持ってて良かったと心底思う。
Coober Pedy
終わりが見えた250キロの無人地帯。
前夜はCoober Pedyまで34キロ地点にテント。
歩けば7時間、13時頃にも到着できるはず。
しかし長かった無人地帯からの解放を前に気持ちは昂り、少しでも早く町へ着きたかった。
朝4時、暗闇の中ライトを頼りにテントを片付け、いつもより2時間も早く歩き始めた。
夜間とか未明とか、こんな時間に歩くのは過去に2度。
補給箇所は数箇所あったけど、350キロもの無人地帯が続いた新彊ウイグル自治区。
ハミが目前に迫った夜。興奮のせいか眠る事ができず、数時間休んだ後、深夜1時から歩き始めた。
さらには寒い12月、オタワからトロントを目指していた時。
いずれも今回同様、目的地に早く着きたいという強い気持ちがあった。
そして3度目の今回。
車が来る時以外はあえてライトを点けずに歩いた。
闇の中であっても路側帯、道路中央の白線は浮かび上がり、歩くのには問題なし。
時折通過する車のヘッドライトを除けば、周囲に光はなく、空を見上げれば満天の星空。
この環境はとても贅沢なもので、わざわざ光を発するなんて愚かな事だと思った。
景色も見えず、退屈かなと思っていたけど、そんな事は杞憂に終わり、空を見上げ、何度も落ちていく流れ星を目で追った。
予定通り7時間でCoober Pedyに到着。
ここはオパールの採掘で有名な町というのは知っていたけど、今尚掘られ続けているとは知らなかった。
遠い昔の話だとばかり思っていたのだが、道脇には採掘の際に積み上げられた土、重機が並ぶ。
前日から何度かこんな看板が現れていたけど、納得。
250キロの無人地帯の先に現れた小さな町。
ポートオーガスタ以来500キロ振りに現れた町だった。
終わった、終わった、終わった。長かった250キロが終わった。
喜び以外の感情はなかった。
町に入り、まず最初に感動したのが規則的な間隔で並ぶ街灯。
文明社会に戻ってきたと思った。
長く、過酷だったカザフスタンを歩き抜き、ロシア・アストラハンに到着した時もオレンジ色の光を灯す街灯にすごく感動した事を思い出した。
町の規模としては決して大きくはないけど、スーパーマーケット、リカーストア、宿もあり、無人地帯の中にあるオアシスだった。
実際ポートオーガスタからの500キロ、さらにこの先アリス・スプリングスまでの700キロ、この規模の町は存在しない。間違いなくオアシスなのである。
久々の町に興奮しながら宿へ向かい歩いていると異様な光景、雰囲気があった。
建物の陰に座り込んだ数人のアボリジニ。時には酔いつぶれたかのように横たわり、ハエがたかろうが全く気にしていない様子。
そんなアボリジニが少なくなかった。
ここまでアボリジニと接する事はなくて、ポートオーガスタで少し見かけたくらいだったのだけど、「なんなんだこいつら」というのが最初の印象だった。
「アボリジニに気を付けろ」
メルボルンから歩き始めた時にかけられた言葉を思い出した。
この町で目にしたアボリジニは普通ではなかった。
もちろんスーパーなどでしっかりと労働しているアボリジニもいるんだけど、自分の目にそう映ったのも確か。
注意するに越した事はない。
現在はこの町の目玉の一つである鉱山跡を利用した宿に滞在中。
地下へと進んでいけば、薄暗い廊下が伸びていて、その脇に洞窟の様な部屋がいくつもある。この名物宿でアデレード出発以来初めてシャワーを浴び、ビールを飲み、がっつり食べる。
当初は1泊だけのつもりだったけど、写真のデータ整理や2週間分の洗濯など、意外とやるべき事は多かったし、何より少し疲れていたので延泊。昨日と合わせ1日半を休養に充てた。
当面の食料も揃えたし、また明日から無人地帯へと戻る。
250キロの空白

スチュアートハイウェイを歩き始め、173キロ、113キロと無補給区間を順調に消化。
そして最初のヤマ場と考えていた253キロにも及ぶ無補給区間を迎えた。
始点のGlendamboに到着したのが4日前。
113キロを歩き抜いてきたので、冷たいビールを飲んで己を労わり、Coober Pedyへ向かうための準備。
ここで5日分の水を得るつもりでいたけど、この町の水は飲めないという大誤算。
その場で今後携帯する飲料を計算し直し、ミネラルウォーターなどを購入した。
250キロの無人地帯。
250キロの空白。
延々と似たような景色が続いて。
延々と地平線が広がっていて。
そしてまた延々と同じ様な日々を繰り返す。
町もない。家もない。人もいない。
過去に誰かが住んでいた形跡すらない。
何もない。
明日の事、明後日の事、さらに翌日の事。
何度も先の事を考えてみたけど、250キロとか5日とか、とにかく長くて遠過ぎて、とりあえずは今日の事、目の前の一歩の事だけを考えようと切り替えた。
無人地帯ではあるけれど、豪州の北と南とを結ぶ主要道路なので、交通量はそこそこ。
対向車とすれ違う際は手を振られたり、指を1本立てたり、クラクションを鳴らされたり。
あるいは車が停車して「水はあるか?」と声をかけられる事も何度か。
こちらの方は道脇でぬるいコーラを飲んでいたところ、ペットボトルを渡してくれた。
なんと半分以上が凍った状態の水。
冷水をあっという間に飲み干した後は、ぬるい水を氷の中に入れて冷やし、その後また冷水を飲むという事を何度か繰り返した。
長い無人地帯にいれば妙な不安に襲われる。
それは海で泳いでいて、浜が少しずつ離れていく時に感じる不安に近いものがあった。
有人地帯から離れていく不安。水を補給できない事から生じる不安。
ドライバーとすれ違う際に一瞬ではあるけど交わされるコミュニケーションは、唯一自分が外部とつながっている事を意味し、安らぎ、落ち着きを与えてくれた。
とまあこんな感じで5日間、250キロの空白を歩き続け、Coober Pedyに到着。
町の外れで振り返ってみれば、過去に立ち寄った所への距離標識。
けっこう遠くまで来たなあ。