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ALKINIST -あるきにすと- ポルトガル

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終わり良ければなんたら 

ユーラシア大陸最後の難所は無人地帯でも山でもなく、ブリティッシュエアウェイズチェックインカウンター。

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リヤカーに装備品を詰め込んだ大きなダンボール箱2つを超過料金なしに運べるなどと考えてはなく、前もって荷物一つ分の追加料金をカードで支払ってはいたのだが、問題はその重さで、リヤカーの方は規定の23キロ以内におさまっているはずだが、装備品は確実に10キロオーバーの30数キロ。持ってみた感じ35キロくらいはありそうで、とにかく重い。

「32キロを超える場合は貨物で運ぶか、荷物を2つに分けるように」とブリティッシュエアウェイズのHPにもあって、重量超過の代金を払うのはいいとしても、32キロ超の場合、もしかしたら面倒な事になるかもしれない。
さらには機内持ち込みの手荷物、装備品の入ったダンボールの重量を減らすため、70リットルのでか過ぎるバックパックに色々と詰め込んだのだが、手荷物にしてはでかく、重いバックパックを機内に持ち込む事はできるのか。
昨今の原油高、不況も重なり、航空会社も荷物の重量、大きさにシビアになっている事が十分に考えられ、不安を感じながらチェックインカウンターへ向かう。

しっかりと重量をチェックされたものの、荷物を2つに分けろと言うでもなく、超過料金を払えと言うでもなく、10キロ超の超過は見逃していただけた。これは本当に助かった。


終わり良ければすべて良し。

まさにこんな感じだったのだけど、一転し、最悪な形でユーラシアを終える事になる。
状況など割愛しますけど、サングラス、帽子を盗まれておりました。
犯人はタクシードライバー。貴重品じゃないからと油断してました。汗臭い帽子が盗まれるなんて考えてもいませんでした。
いずれも愛用していたものなので、このユーラシアの最後の最後に盗まれるなんて本当にショックで不快で、腹立たしくて。金がほしければあげるので返してくださいという感じで。
ていうか、このアホドライバーにチップまでやったのになめてんのかとキレそうになります。
アホドライバーを呪い、罵りながらポルトガルを発つ事となった。

終わり悪ければすべて悪いなんてさすがに思わないけど、残念な終わりでした。


終わりといえば、飛行機が動き始めた時、滑走路を走り始めた時、ロカ岬やリスボンで感じた以上に「終わり」を感じました。それはユーラシアの終わりでもあり、上海から自分の足でひたすら歩き続けてきた事が終わるという事でもあったり。

嬉しさなんて全くなく、悲しさと寂しさと悔しさだけでした。

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機体が浮いた瞬間、「終わったな」と思いました。
ユーラシアの旅が終わったのはロカ岬でもリスボンでもなく、この瞬間でした。



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経由地のロンドン着。
フィラデルフィア行きは翌日昼の出発。

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英国に入国すれば、出国時にセキュリティを抜ける必要があり、面倒なので、できれば入国はしたくなかったけど、トランジットエリアに喫煙所がないので屋外でタバコを吸うため、英国入国。

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20ポンドをキャッシング。

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空港内のマーケットで夕食購入。水以外は賞味期限切れ前の値引きで1ポンド。
1ポンドが今いくらか知りませんけど。計5.1ポンド。

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出国時、でかいバックパックに目を付けられ、サイズを測るように言われる。
何とかOKが出たけど、こういう事もありえそうだったので英国入国したくなかったのです。

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さらばユーラシア 

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リスボンでは十分な時間があったにも関わらず、梱包など、準備を始めたのは昨夜から。
出発が迫った今になってダンボールがもう一つ必要という事に気付き、道に落ちていた大型ダンボールを拾い、装備品やら衣類やら、全てを詰め込む。ついさっき出発準備が終わったところ。

上海から全ての動力を拒否して、ひたすら歩き続けてきたわけだけど、さすがに今回は空路での移動。ここ数ヶ月、大西洋を手漕ぎボートで越える方法など、色々と模索してきたものの、あきらめました。おとなしく飛行機で北米へ向かいます。

昨日掲載された毎日新聞の記事にある通り、これから向かう先はフィラデルフィア。
靴がないので人民サンダルで乗り込みますが、入国拒否とか勘弁してな。

600日近くを過ごしてきたユーラシア大陸ともそろそろサヨウナラです。
ありがとうユーラシア。また会いましょう。

史上最凶の部屋 

リスボンでもいつもの様に安ホステルのドミトリー(相部屋)に滞在しています。

初日こそ、さわやかなフィンランド人カップルがいたりして、なかなかいい雰囲気の部屋だったのだけど、翌日チェックアウトした彼らと入れ替わりにやって来たのは、

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いきなり床で筋トレを始める男。

毎晩全裸で眠る男。


素敵なナイスガイが現れました。

筋トレはまだいいのだが、今でこそ慣れたものの、初めて全裸男の姿を見た時っていうのは驚愕の一言。なんで君は全裸なのかって感じで。

もう一つのベッドに女の子がいたのだが、即チェックアウト。
その後二度程、女の子がチェックインして、この部屋へ一度は荷物を持ってやって来たのだけど、昼過ぎまで寝ている全裸男の姿を見て、そのままどこかへ消えていった。
そんなわけでベッドが一つ空いた状態が続いています。


こういうドミトリーに泊まる以上、守るべきマナーとかあると思うけど、この部屋はマナーもモラルも秩序も崩壊しています。

消灯時間は午前3時とか4時、それはぼくが眠る時間で、筋トレ男と全裸男は毎晩夜遊びに出かけているし、他に誰もいないし、必然的に自分の就寝時間が消灯時間となる。

翌朝、カーテンの隙間から差し込む陽光が眩しくて、でも少し気持ちよくて、さわやかに目を覚ませば、向かいのベッドで眠っている全裸男の姿が視界に入り、さらには少し酒臭さの残る部屋の空気。まったくさわやかな朝じゃないです。

物音に目を覚ました全裸男は自分の局部が露になっている事に気付き、枕を股に挟んで隠します。そんな姿を見て、彼が恥じらいというものを持っているのだと知り、少し救われた気分にもなるけど、次にこの枕で眠る人は救われません。


「史上最凶の部屋」と書いているものの、秩序が崩壊し、誰もやって来ない状況で、ぼくもパンツ一枚でうろちょろできるし、好き勝手できて、決して居心地は悪くはない。
どちらかと言えば、ぼくも全裸男側の人間なのです(半裸にはなるけど全裸にはなりませんが)。まともな人ばかりの部屋よりはよっぽど居心地いいです。


もう一つのベッドは今日も空いています。



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先日見つけた中国人経営のアジア食品商店。

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5ユーロのカレールーを買い、ユーラシア大陸徒歩横断終了記念晩餐会を開催。
カレーを食べるのはビシュケク以来1年振り。

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本日リヤカー輸送用ダンボールをゲット。

Lisboa 

「ロカ岬」

580日間、目指し続けてきた岬の名前を、このブログ上で何度か書いているものの、実をいうと、歩行中に出会った現地人や旅行者の前で「ロカ岬」と口にした事はほとんどなく、唯一出会ったポルトガル人に「カボダロカを目指している」と話したくらいだったりする。


「どこへ向かっているんだ?」


これまで何度も、数え切れないくらいに尋ねられたその問いに、いつもこう答えていました。


「ポルトガル、ポルトガルの首都・リスボンを目指している」と。


理由は単純で、世界地図にも欧州地図にも載っていないこのユーラシア大陸最西端に位置する岬の事を彼らが知っているとは思えなかったし、それを英語や現地語、ジェスチャーを織り交ぜながら説明するのが面倒だったから。
あと岬っていう英単語を知りませんでした。岬はCapeです。

ポルトガルに入り、いつもの様に「どこへ向かっているんだ?」と尋ねられ、「カボダロカ」と答えてみれば、「おお、カボダロカか」と皆が理解してくれて、改めてポルトガルまで来たんだなと、少し嬉しく思えたものです。


「どこへ向かっているんだ?」 と、そんな質問を投げ掛けられ、「リスボン、リスボン」と毎日の様に答えていくうちに、いつしかその存在は自分の中で大きくなり、ユーラシア大陸横断はロカ岬で終わりだけど、ユーラシアの旅はリスボンで終わろうと、そう考えるようになりました。ロカ岬経由でリスボンを目指したのもそういう理由から。

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コインブラでユーラシアの旅の終わりにふさわしい場所を調べてみたものの、なかなかいい場所が見つからなくて、結局、現在滞在中の安ホステル前にて15965キロのユーラシアの旅を終えたのが8月4日のこと。

リスボンに着いてからは、現地メディアから取材されたり、アメリカ大使館へ出向いたり、航空会社でリヤカー運搬について尋ねたり、その際に必要な大きなダンボールを探したり、日本へ送る荷物の送料を調べたり、その程度の事しかしていないのだけど、カザフスタンから答え始めた「リスボン」にいると思うと、あの時は遥か遠くだった「リスボン」にいると思うと、当時の事を思い出すと、色々なものが交錯し、ごちゃ混ぜになった妙な気分になる。


「どこへ向かっているんだ?」


無人の荒野で問いかけてきたトラックドライバー達は今日も車を走らせてるんだろうか。

アメリカは「NO!」と言った 

欧州での懸念であったシェンゲン協定。
実際に歩いてみれば全く問題なく、1ヶ月を余してユーラシア大陸徒歩横断を終えたのだけど、次なる懸念はアメリカ。

観光目的で滞在できる期間は最大90日。

シェンゲンは頑張れば何とかなるものだったけど、あの広大なアメリカをわずか90日で歩く事は不可能で、「1年程滞在できるビザをくださいな」とアメリカ大使館へ出向いてみる。

星条旗が掲げられ、堂々とした立派なアメリカ大使館。
大使館前には銃を持った守衛が数人いて、真っ黒に日焼けした怪しげなアジア人を凝視する。これまで数え切れないくらいにビザ申請のために大使館へ足を運んできたけど、妙な緊張感を感じます。

大使館外の窓口でさっと我がジャパンパスポートを提示し、
「1年程滞在できるビザをくださいな」と伝える。

彼らは言いました。言いやがりました。
いや実際はちょっと違うけど、でも言いました。


「NO!」


アメリカにビザ免除で入国するには、事前に電子渡航認証システムで申請を行い、認証を受けていないと米国行きの航空機等への搭乗や米国入国を拒否されるとの事なので、とりあえず申請。
外務省のHPをチェックすると「申請に対する回答はおおむね即座になされますが」とあったのだけど、「保留」って嫌がらせですか?ぼくが何か気に触ることでもしましたか?(数時間後、「渡航認証許可」)


アメリカさんはこう言いました。
「あなたの渡航認証は許可され、ビザ免除プログラムに基づき米国に渡航することができます。この回答は、米国への入国を保証するものではありません。最終決定は入国地で米国税関国境警備局審査官が行ないます。 」


何が自由の国だよ。メチャメチャ不自由ではないか。
めんどくさいなこの国。


※アメリカ行き航空券確保しました。次は北米。

Day581 Lisboa 

上海出発から581日目。
ロカ岬を経由してリスボンに到着しました。

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ユーラシア大陸最西端ロカ岬に着いたのは昨日のこと。

目の前に広がる青く広大な大西洋は圧巻だったけど、感極まって涙を流すでもなく、特に感動するでもなく、「終わったな」「やっと着いた」というのが率直な感想。「もうこれ以上西へ歩く事はできないんだな」と、そんな事を思う。

寒いこと言いますけど、感動とか涙という意味ではカザフスタンを歩き抜いてロシアへの橋を渡るときの方がよっぽど感動しましたし、泣けました。
ぬるく、楽な欧州を数ヶ月歩き、ロカ岬に辿り着いたとしても感動など得られるわけがないのです。涙なんか流れるはずがない。


ただ、中国で足首が腫れ上がり、一歩も動けず路上にうずくまった時、カザフスタンの無人地帯で車軸がダメになり、やって来る気配など全くない車を夜通し待ち続け、遭難しかけた時、あるいは凍傷を負い入院したベッドの上。事ある毎に思い浮かべたのはこのロカ岬でした。

このロカ岬という存在はモチベーションを保つためには不可欠だったし、ロカ岬を目指すために歩き続けてきたわけだし、その過程でたくさんの人達と出会い、色々な経験をしたり、まあなんていうかロカ岬あってこその旅でした。

580日を費やして、16000キロ近くを歩き続け、いくつか思う事もあるけど、ネット上でペラペラと話すような事でもないし、とりあえず到着報告だけしときます。


色々とご支援くださった皆様、本当にありがとうございました。
また応援してくださった方々も本当にありがとうございました。

何より歩行中に出会い、救いの手を差し伸べてくれた方々、
あなた達と会わなければ、助けがなければここまで来る事はできなかった。
本当にありがとうございました。



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Coimbra 

謝謝から始まり、ラフマット、スパシーバ、ディヤークユ、ムツメスクにブラゴダリア。
トルコは忘れたけど、旧ユーゴはファーラ、グラッツェ、メルシー、グラシアス。

ウクライナ以降はどんどんと国境を越え、英語も通じる事もあってか、それぞれの国の言葉を覚える暇はなかったけど、「ありがとう」だけはしっかりと覚えている。

ユーラシア大陸最後の「ありがとう」はオブリガード。

ポルトガル語圏は初めてだし、ポルトガル語なんてさっぱり分からないけど、唯一知っていたのがオブリガード。昔、あのジーコに「ポルトガル語でありがとうは何て言うの?」と尋ね、教えてもらった言葉だったりする。

そういやジーコの本名もなんたらかんたらコインブラって名前だったけど、ポルトガル語でコインブラっていうのは何か意味があるのだろうかなどと考えながらやって来たコインブラ。

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ジーコの本名の街という程度の認識でしかなかったけど、なかなかいい街でして。

リヤカー引いて歩くにはややきついものの、坂が多く、石畳が敷かれた情緒溢れる街。
リスボンの北200キロに位置するこの街で最後の休息をとっておりました。

ユーラシア最後の国で気持ちが昂ってとかじゃなく、純粋にこのポルトガルっていう国は大好きですね。
文句なしに西欧ナンバー1。ポルトガル人最高!

あと200キロちょっと、楽しんで歩いてきます。


ではそろそろ行くか。



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<写真>
ポルトガル初日。

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<写真>
田舎の町。
これまで通ってきたポルトガルの町の中では大きい方。

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<写真>
ポルトガル入国からコインブラへの300キロ、山の中を歩き続けた。

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<写真>
ベンフィカユニフォームをくれたポルトガル人達。

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<写真>
コインブラ。

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