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ALKINIST -あるきにすと- 東ティモール

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インドネシア国境までの2日半 

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メディアによって伝えられる報道は自衛隊を海外に派遣するか否かに集中。国民の関心も同様で、かつて自衛隊が派遣された事を覚えているとしても、こういう支援がされているって事はあまり知られてないんじゃなかろうか。
支援している事は分かっていてもそれがどういう形での支援なのか、なかなかそういう情報は入ってこないと思う。東ティモールに限った事ではないけど。

インドネシアへと至る道で見た日本が援助した事を示すものは少なくとも2つあった。

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日本の援助で建てられた学校前には東ティモールの国旗と日の丸。
あまり税金を払っていませんが、とても嬉しく、誇らしく思いました。

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ディリでも田舎でも、常に子供達に声をかけられ、囲まれた。
東ティモールの子供達はとてもパワフルだった。
ぼくはこの子達、大好きです。

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ただ一方でなんだかなと思った事は、子供達と接し、「写真を撮るよー」とジェスチャーなどで伝え、バッグからカメラを取り出そうとした際、子供達が一斉に集まり、何かくれるんじゃないかとバッグの中を覗き込んだり、手を差し出したりなんて事は1度や2度じゃなかった。

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子供達に何の罪もないけど、援助される事に慣れているのかなと思った。
そしてこの国の将来を担うこの子達がどう成長していくのか、この国がどう変わっていくのか、とても興味深い。この子達の無垢な笑顔を見れば、大丈夫だろうとは思うけど。

縁あってこの国を歩かせていただいた訳ですけど、この国の将来、変遷を注視していきたいなと思っています。

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情報はあまり持ち合わせてなくて、インドネシアまでの正確な距離や道中の町、分からない事だらけで4日程度を予定していたけど、2日半で国境着。

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ティモール島北側の海岸線に沿っての歩行だったので景色は良かった。

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道はひどかった。足を踏み外したらサヨウナラ。

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国境までの2泊は夕方に到着した町の警察署にテントを張らせていただく。オブリガード。

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東ティモールにおける選挙事情と今日のディリ 

昨日、ある容疑をかけられ、東ティモール警察に木の棒で尻を殴られた。

容疑をかけられたんですけど、冤罪です。
身に覚えがないのに、突然「この人痴漢です」なんて騒がれるやつです。

まあかけられた容疑は痴漢じゃなくて投石なんだけど。

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3月に大統領選挙があった事はニュースを読んで知っていたけど、近々国民議会選挙があるらしく、ディリでは選挙に向けて活動をしている姿がよく見られる。

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昨日、街を歩いていたところ、ある候補者を支援する数台の車が列を組んで騒ぎながら走っていた。
ちょうど自分がいたのは学校前で、そこにはたくさんの学生がいて、詳細は分からないけど彼らが(学校が?)支援する候補者は別の人らしく、その車に向かって彼らが支援する候補者の旗を見せ、煽っていた。

ここまでは問題ないのだけど、自分の頭上をいくつもの石が飛んでいくのが分かった。
学校から敵対する候補者の車列へ投石。これは本当に危ない。車に乗った人もキレていたけど、停車するよりは通り過ぎた方が安全なのでそのまま通過していった。


10代半ばくらいの学生が学校から集団で投石なんて考えられない。
この国の教育はどうなってんだと思った。

すぐに投石をしていた連中が走って逃げていくのが見えた。
さらには後方にいた奴らも走って自分を追い越していった。
なんだろうと思い振り返ってみれば、木の棒を持った5人くらいの警察が学生の尻を思い切り叩き、蹴り上げ、すごい光景だった。


「ちょっとやばいだろこれ」なんて思ったけど、自分は旅行者だし、こいつらとは無関係だし、歩道の端で様子を見ていたのだが、1人の警官がこちらへ向かってやって来て、頭に血が上ったような形相を見て、これはまずいと思った。

手に棒を持ち、殴る気満々の警察に、「ツーリスト、ツーリスト、ツーリスト」と焦りながら連呼。多分最後の方、彼は「ツーリスト」という言葉を聞き取り、理解したけど、勢い余って尻に一発という感じだった。最後ちょっと躊躇した感じだったので痛くなかったけど。


痛くなかったとはいえ、善良な旅行者なのに尻に一撃を食らい、一瞬キレそうになって、「お前頭おかしいんじゃないの」的な事をジェスチャーで示せば、警察なぜか逆ギレ。
これ以上何か言うのは良くないと分かっていたので、これで終わったけど、この投石は本当に衝撃だった。

これを集団心理っていうのだろうか?
みんなでやれば怖くないという感じで、こういうのをきっかけに暴動が起こるんだろうなと納得。色々と刺激的です。

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街を歩けば候補者の広告をよく目にする。
候補者は20人くらいいるはずだけど、こういう広告などを出しているのは半数くらいか。
ちなみに投石学生が支持するのは写真左の12番。

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他国の政治に介入する気はないけど、個人的に一押しは11番。
政策とか公約とか全く知らないけど、渋い。大佐と呼んでいる。

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選挙の戦い方を熟知していて、アドバルーンを使う大佐。

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さらには大佐Tシャツ。
これちょっとほしいかも。
Tシャツは投石の12番のもよく目にする。

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選挙ポスター。
日本なら貼る場所も決められ、破損させれば公職選挙法で逮捕されるけど、東ティモールでは貼り放題、

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破り放題、

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何でもあり。



今日はインドネシアビザ受け取り以外、全く用事はなかったので出発準備をし、郵便局へ行ってみた。

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自分以外に客はいない。

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暇そうにしてた郵便局のおばちゃんに東ティモールのポストカード、切手を見せてもらう。
ちなみにポストカードは1ドル。1.5ドルで飯が食える国なのに高いなあと思ったけど、すでに切手がポストカードに貼られた状態で、その切手の額面は1ドル。
つまり実質切手代のみで、日本へも1ドルでポストカードを送る事ができる。

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以前は訪れた国々で切手を買っていたけど、面倒になってしばらく買っていなかったが、この国を再訪する可能性は非常に低いので記念に切手を購入。

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2002年の独立を記念したもの。
高かったけど、もう来ないと思って購入。

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明日以降の食料も用意。
この先どれだけ補給場所があるのか分からないけど、重くなるのは嫌だし、足りないのは困る。豪州から持ってきたものも含め、こんな感じ。3日分くらいかな。

今日のディリ 

東ティモールに関する知識は、首都がディリ、今年で独立から10年、日本大使館があり、マラリア、テング熱の感染地域という事くらいだった。
国旗、通貨、公用語、宗教、独立時の歴史背景、安宿がどこにあるのかなど一切分からぬまま、事前に情報など入れる事なくディリにやって来た。

あえて情報化社会という時代に逆らおうと思ったのは、情報というものは便利である一方で旅をつまらなくするという側面も持つから。
できる事ならインターネットなどなく、情報が限られ、旅人同士で情報を交換しながら旅をした深夜特急の時代を旅してみたいなと、そんな時代に思いを馳せる事がたまにある。

カンガルー島で会ったロニ達が旅をした時代はまさにそんな時代で、家族との連絡手段も手紙。受け取る際は大使館を利用していたのだとか。
彼らの話を聞きながらそんな時代に憧れた。


今の時代、どこに何があって、どういう人達がどんな暮らしをしているかなど、何もかもが明らかであるけど、こちらから情報を入れなければ未知である部分も多くはないけどまだ残されていると思う。

そして自分にとって未知なる場所の一つが東ティモールだった。

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入国後、至る所でこの旗を目にし、これが国旗である事を知る。
通貨は米ドルで、ポルトガル語が通じ、国民の大部分はキリスト教徒。
少しずつこの国の事が分かってきた。

現地人にインドネシアからの独立の事を尋ねようにも母国語でなければやはり理解するのは難しく、昨日はネットを駆使して東ティモールの歴史について勉強。

10年前の独立時の事は覚えているようで覚えていないし、2006年の混乱の事は全く記憶にない。新聞に目を通し、何か思う事はあっても所詮遠い国の出来事でしかないのか。

独立時の背景を調べ、辿り着いたサンタクルス事件という1991年の大量虐殺事件。
ディリ市内にある事件の現場に足を運んでみる事にした。

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諜報活動と暴力集団の培養による弾圧を実施していたインドネシア政府。
特に、インドネシア国軍兵士を中心に組織した覆面の統合派武装集団「ニンジャ」は、夜に出歩く若者を襲ったり、活動家を暴行、家を破壊するなどしていた。ディリにあるモタエル教会は、こうした軍の迫害を逃れた若者たちが身を隠していたらしい。
10月28日午前2時ごろ、「ニンジャ」は、独立派の若者30人ほどが身を隠していたディリのモタエル教会を襲撃し、独立派の若者セバスティアォン・ゴメスと、アフォンソ・ランジェルを殺害した。



「ニンジャ」なんて勝手に我が国の忍者をパクんなよという感じなのだが、ニンジャがセバスティアォン・ゴメスらを殺害したモタエル教会。サンタクルス事件の発端となった場所。
事件から20年が経ち、念願の東ティモール独立から10年が経ち、周囲は平和そのもの。

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教会内では子供達が賛美歌の練習をしていた。
もちろん事件が起こった20年前、彼らはまだ生まれていない。
この中には独立後に生まれた子もいるだろう。平和な時代のみを生きている子も。

子供達の歌声が響く今という時代の教会で20年前の血で染まった教会を想像する事はできなかった。

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教会をあとにし、大量虐殺の現場となったサンタクルス墓地へ向かう。

セバスティアォンのミサの後、参列者はサンタクルス墓地へ向けて行進をはじめ、約3,500人の群集に膨れ上がった。群集はすぐにデモと化し、「シャナナ万歳」「東ティモール万歳」などと口々に叫び、横断幕や東ティモール民主共和国の国旗などを掲揚して行進した。

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サンタクルス墓地到着。
しかし墓が多過ぎる。通路もなく、かなりの密度で墓が建てられている。

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無数にある墓の中からセバスティアォンの墓を探し出すのは不可能。
現地人に「セバスティアォンの墓はどこだ?」と尋ねながら進んだ。
東ティモール人にとって彼は特別な存在らしく、皆が墓の場所を把握していて、方向を指差し教えてくれた。

しかしこの人達、墓の上で飲んでタバコを吸ってという感じなんだけど、この国では問題ないのか?
隙間なく墓があるので、時折道を塞がれたのだけど、現地人は「墓の上を歩け」と言った。
かなり抵抗はあったけど、「失礼します、歩かせていただきます」と唱えながら、縁部分を歩かせていただいた。

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そして遂にセバスティアォンの墓を発見。

今平和なこの国を訪れる事ができるのも彼の犠牲があっての事。
まだまだ課題は多いけど、念願の独立を果たし、10年が経ち、人々が平和な日々を過ごせるのも彼の犠牲があっての事。


この国に何の責任も持たない通りすがりの旅行者でしかないけれど、墓前にて感謝の気持ちを伝え、祈りを捧げた。


もちろん彼一人の犠牲の上でこの国は独立を果たした訳ではない。
独立への過程でたくさんの人々が犠牲になり、血が流れている。


デモ隊は7時40分ごろにサンタクルス墓地に到着した。墓地には500人が待っており、デモ隊と合流して儀式の傍ら独立のアピールを始めた。8時ごろ、そこへインドネシア国軍兵士がトラックで乗りつけ、突然彼らへ向けて発砲を始めた。発砲は2分間続いた。
また、多くの負傷者はディリ南部のウィラフサダ陸軍病院に運ばれたが、軍は証言者を消すために殺すという「第2の虐殺」に及んだ。このほか、ディリ西部のベムシでも、住民70 - 80人がトラックで運ばれ、目隠しをされて後ろ手に縛られた状態で、自動小銃により殺害されたという証言もある。


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セバスティアォンの墓に案内してくれた現地人。
彼らもまた墓の上に腰かけ、新しい墓穴を掘っていた。
テトゥン語かポルトガル語か分からないけど、ジェスチャーを交え、何か問いかけてきた。

「どこから来た?」多分こんなところだろうと推測し、「日本だ」と返答。
するとまたジェスチャーで「ティモールと日本は友達だぜ」みたいな事を伝えてくれ、「オブリガード」と返した。

満足に意思疎通を図る事はできないけど、こういう人と出会う事ができ、本当に良かったなと思う。
航空券は決して安くなかったけど、自分なりにこの国を知り、理解し、来た甲斐はあったかなと思っている。

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インドネシアビザを受け取り次第、ディリを発つ。
アジア縦断に備え、ローカル床屋で髪を切った。2ドル。

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頭を丸めてみたのはアジア縦断への気合とか、気持ちとかそんな大袈裟な理由ではなくて、単純に暑いから。すっきりした。

東ティモール散策 

東ティモール5日目。

この国の暑さはもう十分に分かった。
昨日なんか暑さにやられて日陰で2時間ぐったりしてたからね。
豪州での様に1日60キロペースで歩く事はせず、40キロ前後と考えている。

タイミングよく2週間おきのフェリーがあるようなので、ディリから西進、インドネシア・クパンを目指す予定。クパンまで約450キロ、10数日の行程で進む。
リヤカーの空輸は色々と面倒で、超過料金をいくら取られるのかと考えただけで胃が痛くなるので、歩行不可能な島間の移動は空路ではなく、基本的には海路を選ぶ。


豪州縦断を終えてから約10日。この間、大して歩いていないので、アジア縦断に備え、トレーニングを兼ねてディリから東へ海岸沿いに散策してみた。
比較的歩きやすい午前中だったけど、実際に歩く事でこの国の気候を把握する事が目的。

あとは今後、ルート上にどれだけの町や村があるか分からないので、食料や飲料を確保しておく必要あり。どれだけの量を持つべきなのか検討中、ティモール島の地図も欲しいわというアジア縦断開始3日前です。



目的地はディリ市内から遠くに見えるCrist Rei。

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海辺のグラウンドでサッカーをしていたので少し見学。
一応皆スパイクを履いていて、一方のチームは背番号入りの黄色いユニフォームを着用していたけれど、ゴールは枠のみ。
ボールが道路へ飛んでいくなんて事もしばしば。
恵まれない環境といえどもサッカーを愛する心は同じです。素晴らしい。

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ディリから少し離れれば、のどかな景色が広がっていた。

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これからこの国を歩き始めるのだけど、こんな感じの道なのだろうか。

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外国人向けのレストランやホテルは多く、海で泳いでいたり、サイクリングをしたり、ランニングをしている外国人の姿をよく目にした。
旅行者は少ないけど、この国の復興支援に携わる外国人は多い。

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約10キロ歩いてCrist Rei着。
数少ないディリの観光名所。

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ミットを打ち、トレーニングする場違いな人達。
右の人とか超膝蹴りいれてるし。

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岬からの景色は絶景。

Dili 

以前ブルガリアで会ったイタリア人ライダーに今後の行程を尋ねられ、東ティモールへ向かう事を伝えたら、「ディリに友人がいるからコンタクトをとれ」とありがたい事を言ってくれたのだが、申し訳ないけど最初からそういう出会いを予定に組み込むの事はできれば避けたくて、彼に返信する事なくディリにやって来た。


宿や通貨、公用語など、一切の情報を持たずにやって来た東ティモール。
空港からリヤカーを引いて歩いていると安宿の看板を見つけたので、そこにチェックイン。
スタッフ曰く「ディリ唯一の安宿」らしい。ちなみに通貨は米ドルだった。

しばらくして英国人のオーナーと会い、歩いている事など話すと「イタリア人のライダーは知っているか?」とオーナー。
偶然というか必然というか縁あってというか、このオーナーこそコンタクトをとれと言われていた人だった。狭い世の中だなと思いながらも、これにはちょっとビックリ。


現在も引き続き、オーナー・ダンの宿にいる。
北米にも豪州にもなかったボロい部屋。
色褪せたシーツ、硬いベッド、天井をグルグルと回るファン。
東ティモールを訪れるのは初めてだけど、どこか懐かしい感じがする。

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食事は適当にその辺の安食堂に入る。
壁に貼られているメニューの文字はアルファベットではあるけど、意味はさっぱり。
何が出てくるのか分からぬまま、メニューを指差してオーダーし、わくわくしながら待つ。
これまで口にしたものは大変美味しくて、ハズレはない。

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ディリに到着した日はゆっくりと過ごして、2日目はビザ申請用の写真を撮りに行って、3日はインドネシアビザを申請して、4日目の今日はブラブラ歩く。

ビザ関係の用事なんて大した労力、時間がかかる訳でないが、

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写真の背景が赤でないと受け付けないとかで、けっこう細かい。
好印象を与えるよう、写真屋においてあったしょぼいジャケットを着て撮影。

米国のESTA、カナダ、豪州のワーホリビザと全てオンラインで済ませたのでとても楽だったけど、大使館に足を運んでビザ申請なんてカザフスタン以来だった。こんな事でさえ懐かしさをおぼえる。



特に何があるという訳でもないけど、久々のアジア圏、しかも中国、中央アジアとは異なる部分が多いし、あえて一切の情報を持たずに来た自分とっては未知な国な訳で、路地裏を歩いているだけでも新鮮で、新たな発見に出会いに溢れ、楽しんでいるディリでの日々。

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「コイツは一体何者だ」と、彼の姿を横目に見ながら5メートル通過するも、引き返して「写真撮らせてください」と懇願。
日本からの支援物資なのだろう。空港から市内への道でもたくさんの古着を売る店がいくつもあったけど、それらもまた支援物資かと推測。

「これはなんていう意味なんだ」と胸を指差し尋ねてきたので、「サイタマサカエハイスクールだ、ナイスなハイスクールだ」と説明しておいた。

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バイクに乗った人達は意外にも皆ヘルメットを着用しているし、信号も数ヶ所で目にしたが、交通に関しては無法地帯。車、バイク優先、道を渡るのにも一苦労。
ディリを出てしまえば問題なく歩けるだろうけど、それまでは注意が必要。


アジア縦断は7月4日から始まる。

東ティモールの歩き方 

ダーウィンを出てからおよそ1時間、窓からは青い海だけが見えていた。
変化のない景色を眺めても面白いものではないし、思いを巡らす事もできず、読みかけの本をひたすら読んでいたのだけど、ふと窓を見れば遠くに山が見え、雲の間からは海岸線が見え、ティモール島南端に達した事が分かった。


東ティモールへの第一印象は山。
この国に対する情報などほとんどなく、海に囲まれた島国という事で海、ヤシの木、南国をイメージ。山など全く想像してもいなかったが、雲海の間を割って姿を現した山の存在感は圧倒的だった。

その後も飛行機から見下ろす景色は延々と山。
ところどころに舗装路ではない小さく細い道が見え、そこを走っている車もわずかではあるが確認できた。


そして人々が暮らしているであろう集落も見る事ができた。
自分の全く知らない環境下で暮らす人達。
ここは何という場所なのか、そもそも名前はあるのか。
どんな人達がどんな風に暮らしているのか。

好奇心は尽きる事がないし、ここまで3大陸を歩いてきたわけだけど、歩く理由、その根底にある部分は全く変わらない。

できる事ならこの集落を訪れてみたいと思うのだが、延々と続く山を見れば、東ティモールの地を踏む前に戦意喪失。当初は東ティモールを歩いて一周する予定だったが、着陸前の時点で予定を白紙に戻した。

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ティモール島南端から北端の海沿いに位置するディリまで延々と山が連なっていた。
ディリのすぐ側まで山が迫っている。

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東ティモールで最も標高の高い山は3千メートル近いらしい。

ディリから南下すれば険しい山々、東西を海岸線に沿って進むなら、多少のアップダウンがある程度だと現地人に教えられた。


東ティモールを一周する気はもうなくなった。
ティモール島東端のTutualaまでバスなどを乗り継いで行き、ディリを経て、ティモール島西端のインドネシア・クパンを目指すか。
あるいはディリからそのまま西進し、クパンを目指すかの二択。

ティモール島を横断してみたい気持ちはある。
東ティモールの首都がディリである事をどれだけの人が知っている?
そんな国の東端のTutualaなんて誰も知らないだろう。
自分が惹きつけられるのは観光地なんかじゃなくて、そんな所なので。

しかしディリからTutualaへの直通バスなどなく、最悪バス2本を乗り継いで、さらには車をチャーターしないといけない。とてもとても面倒だ。

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とりあえず今日はバスターミナルというか、建物など一切なしのバスの発着場所を探す。
どのくらいの頻度でバスが出ているのか知りたかったけど、そんな事聞いても無駄だとすぐに分かった。

発着時間なんて存在しないだろう。人が集まれば出発する。


出発前のバスを眺めながらシミュレーション。
ダッフルバッグとバックパックは屋根の上でいいけどリヤカーはどこに載せようか。
荷物代としていくら必要なのだろうか。

車内を覗いてみれば、狭い座席に人がギッシリ。
超狭い通路、座席下には荷物がガッツリ。
ああこんなバスには乗りたくないなあ。

Tutualaまで行きたいのだけど、どんどんと歩行意欲が削がれていく。


この国をどう歩こうか。
現時点での予定は未定。
問題はTutualaへの移動手段と、クパンから次の島への船の予定。
そして自分のモチベーション。

ルートは無数にあるので、地図を見ながら検討し、悩む。
そんな喜びを今は感じている。



(昨日掲載された毎日新聞のウェブ版はこちら

ただいまアジア 

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これまで国際線を使う事数え切れず。
着陸後、空港のターミナルビルに飛行機を横付けするというのが一般的だと思う。
バスに乗せられた事も何度かあるけど、歩いて空港施設へ向かうのは初めての経験だった。

ビザを取り、パスポートに入国スタンプを押され、荷物を受け取り、入国。
他に到着便はなく、何かもがスムーズだった。


「タクシー、タクシー」と1メートル進む度に声がかかる。
こういうの久々だなとむさくるしいおっさん共の顔を見ながら嬉しく思った。

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タクシーは使わず、とりあえず街まで歩いてみる事にした。
客を捕まえられなかったタクシードライバー達、さらには暇そうな連中に囲まれながら空港内でリヤカーを組み立てる。

リヤカーを組み立て、空気を入れ、荷物を積み込めば、南国特有の熱気で額からは汗が流れた。
ああこの熱気の中をこれから歩くのかと思うと少しうんざりで、でもやっぱり楽しみで胸が高鳴る。

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街の中心までどれだけの距離があるのか分からなかったけど、中心へはこの道をひたすらまっすぐと教えられ、24カ国目の歩行が始まった。

もうこの日はここにやって来る飛行機がなかったのかもしれない。
客を捕まえられず、よう分からん日本人のリヤカー組み立てショーを堪能したタクシードライバー達は一斉に帰宅。後方からクラクションが鳴らされ、手が振られた。


タクシードライバーが去った後は子供達に捕まる。

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欧州や北米、豪州を歩いても子供達に話しかけられ囲まれる事ってほとんどなかったし、記憶にないし、こういう無邪気な笑顔を見るのって本当に久々な気がした。

道路沿いの風景などを見てもこれまでとは全く異なり、何を見ても楽しく、新鮮で興味深い。
ここへ来たのは初めてだけどどこか懐かしさを感じ、来て良かったなと心から思った。

日本とは景色が異なるけれど、でも欧米でも豪州でもなく、こここそが自分の属する場所、居場所なのだと思った。来たというよりは、アジアから欧州、北米、豪州と歩いてきた自分にとっては戻ってきたのだという思いが強く、とても嬉しく、感無量である。

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アジアへ戻ってきた。
東ティモールの首都ディリにおります。

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