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ALKINIST -あるきにすと- タイ

Aranyaprathet 

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インドネシア、マレーシア、ブルネイ、タイと国境が近付くにつれ気分が高揚しわくわくしたものだけど、日に日に少しずつカンボジアが近付いているというのに何も感じず。

人、食事、歩行環境など、タイは何もかもが素晴らしく快適で去り難いというのは否めないんだけど、もやもやするのがカンボジア。
まずは国境でぼったくってくるビザ料金を絶対に正規料金で取得しようとすでに臨戦態勢でいて、入国前からとても面倒な気分でいる。
未撤去の地雷がある可能性もあるので茂みにテントを張る事はできないし、ならばどこにテントを張ってどこで用を足せばいいのかとアランヤプラテートへ向けて歩きながら真剣に考えてみる。


しかし11年振りに訪れるカンボジアがどのような変化を遂げているのか目にするのは楽しみなのである。
タイのあまり変化のない景色にも飽きているし、何でもいいから変化がほしいと思う一方で、11年前から変わらず残っているものがあってほしいと勝手に願っている。

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アランヤプラテートに到着早々、バイクの修理屋を見つけたのでちょっとしたメンテナンスを依頼した。

ここまで4年、3万キロ超も共に歩いてきたリヤカーだけど、致命的なトラブルは皆無。
今回も歩行には全く問題ない事だけど、リヤカーの生みの親である永野さんより指示をいただき、その指示通りにメンテナンスをしたところ見事に問題は解決した。ありがとうございます。


アランヤプラテートに着き、総歩行距離は約32000キロに達した。
上海からユーラシア大陸最西端のポルトガル・ロカ岬までが16000キロだったので、ユーラシア大陸を往復した計算になる。

車輪トラブル、ビザ問題、盗難被害、凍傷とトラブル続きだったユーラシア大陸と比べたら北米後は大きなトラブルもなく順調であったけど、カナダと豪州でそれぞれ足止めがあったので、往路の16000キロと比べたら、この復路に相当する16000キロはやや長く感じられた。

しかしあくまで歩行距離ではあるが、ロカ岬からまた歩いて上海へ戻ってきたなんて我ながら誇らしいというかアホというか。

Kabin Buri 

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太陽が西に傾いた夕方、Kabin Buriという町に到着した。
カンボジア国境に近いアランヤプラテートへ至る33号線をここから歩き始める事になる。

地図を見れば大きな印、"Kabin Buri"と太文字で書かれているこの町はこの辺りでは大きな町の一つなのだが、「そんな名前初めて聞くわ」と思い、日本人でこの町の存在を知っているのはここで生まれた人か、住んでいる人か、配偶者がここの出身だとか、親戚、友人がここにいるとか、そんな事がない限り誰も知らないだろうなと、縁あってやって来た"Kabin Buri"という町について考えてみた。

特に何もないし、そもそも何があるのか知らないし、素通りしただけだし、そんな町ではあるけどこれまで知らなかった"Kabin Buri"を訪れたという事実がやけに感慨深く思えて。

この町だけが特別ではなくて、これまで知らなかった場所を訪れるというのは日常的な事なんだけど、西日に照らされた町を見ながらそんな事を思った。

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郊外のガソリンスタンドにテントを張った。
歩行中にいただいたチキンが夕食、敷地内の水道で髪を洗い、併設されたセブンイレブンで湯をもらってコーヒーを飲み、浮浪者みたいだなと思う。実際そんなものなんだけど。

ペンキ塗りたてのベンチに座り、短パンを汚した事がこの町での思い出。

バンコク脱出 

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4時10分より歩行を開始。
橙色の街灯の明りを頼りに夜明け前のバンコクを歩く。

日中と比べればもちろん人通りも交通量も少ないけど、すでに営業をしている屋台(いや前夜からの営業なのか)には客もいたし、開店準備をしている屋台もいくつか。
バスもすでに走っているし、バンコクの朝は早いなと思いながら足早に首都を去る。

いくつもの屋台が狭い歩道上に並び、多くの人が行き交い、車も長い列を作っている日中は絶対にリヤカーを引いて歩きたくはないヴィクトリーモニュメント周辺も余裕で通過。
早朝出発した甲斐があった。


大都市は入る時より出る時の方が苦労する。
入る時は多少道を間違えたとしても中心部へ至る道は1本だけじゃないので何とかなる。
「バンコクはどっち?」と尋ねれば、皆教えてくれるはず。

しかし脱出時、次の目的地への道は限られるので、正確なルートを進まないといけない。
バンコク市内で「カンボジア国境はどっち?」なんて尋ねても、そんな200キロ以上も離れた場所の事なんて誰も知らない。

5キロ道を誤れば、行って戻って計10キロ、2時間のロスになる。
絶対に道を誤る訳にはいかないのである。

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首都脱出の朝は800メートルのロスがあったけれど、現地人に確認しながら下調べしておいたルートに忠実に進み、何とか10キロ地点まで辿り着いた。
次の信号を左折すればもう道に迷う事はないだろう。

頭上をハイウェイが並行し、交差し、圧迫感を感じる。
ハイウェイの隙間やビルの隙間からわずかに見える切り取られたような息苦しく、狭苦しい空なんてうんざりだ。

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約50キロ歩き、夕方には喧騒や人ごみとは無縁の田舎を歩いていた。
新聞を読んだという人に話しかけられ、タイ語は全く理解できないけど談笑。

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バスの後部にペイントされた不細工なドラえもんを見つけた。

240キロでカンボジア 

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バンコクで最後の夕陽を見ようとチャオプラヤ川へ出かけてみたら、ちょうどビルの後ろに隠れたところで夕焼け空のみ観賞。写真は昨日の夕陽。


今日は全く何もせず、夕方まで食事以外は部屋から出ないという素晴らしい休日だった。
日曜日なので屋台も人通りも少なくて、首都を脱出するのに適した日だったけど、カレンダーを見たら明日も祝日っぽいのでさっさとバンコクを出ようと画策中。
4時出発希望、起きれたらだけど。

いつも食事をとった食堂や顔見知りになった屋台のおばちゃんにも「明日バンコクを出るよ」と別れを告げた。
バンコクには予定外の11泊もしてしまい、行きつけの食堂もできたり、やや腰も重くなってしまったけど、なんだかんだで徒歩生活の方が落ち着くし、精神的にもよろしい。
テント泊の方がよく眠れるし。


カンボジア国境近くのアランヤプラテートまで約240キロ。
1日休むつもりではいるけど、一気にカンボジアに入ってしまうかもしれないし、その時の気分次第。

バンコク9日目 

予定では昨日アユタヤへ向け歩き始めるつもりだったけど、徒歩でのアユタヤ行きは中止。3泊延泊する事に決め、バンコク9日目。



自分以外に長期滞在中の旅行者は2人いるけど、中庭で読書したり、ラップトップを広げたり、あまり出歩く事なくのんびりと過ごし、自分もまた同じくのんびりと過ごしている。

普段朝から晩まで50キロ以上歩き続けているわけで、バンコクに来てまで1日中歩き回るなんて事はしたくなくて、外出は半日が限界。バンコクでの目的はリラックスする事。
多くの人が行き交い、車が走り回る中心部と違って今いる所はとても静かな環境でその目的を果たせている。

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本当は1日中宿で過ごしたくもあったのだけど、それじゃ何だか不真面目な気がして無理矢理外出。計3時間くらいブラブラしていた。

徒歩で1時間かけ旅行者がウジャウジャいてあまり好きではないカオサンへ。
ここを訪れるのは8年振りくらい。今滞在している場所とあまりに対照的で笑えてきた。

過去何度か泊まったゲストハウスを探すもつぶれていて、ファミリーマートも消えていた。

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宿に戻ってからはボロボロになったスペイン・クロアチアステッカーを剥がし、新しいステッカーを貼る。
トルコ、ブルガリア、マケドニア、モンテネグロのステッカーは耐久性抜群で優秀。

さらにはネジをグリスアップし、泥まみれのバックパックカバーを洗う。


そして今後のルート、歩行距離の確認と見直し。
連日50キロ超の歩行、山岳地帯など、たいていの事は自分の体力で何とかなるものの、唯一の不安要素が中国ビザ。
昨今の日中関係はもちろん、ビザ発給条件も厳しくなっている模様。

以前中国で掲載された記事を取り寄せ、ネット上の中国語に翻訳されたものをプリントし、ビザ申請時に提出してみるつもり。
これからホーチミン、ビエンチャン、ハノイと大使館・領事館を巡る事になるが、仮にビザを取得できなくてもノービザで15日滞在を繰り返すつもりなので最終目的地の上海は揺らがない。


ここまでの総歩行距離31700キロ。今後どこまでいけるか。

古都へ 

10年以上も前から興味はあるけどタイミングが合わなかったり、時間がなかったり、やる気がなかったり、なかなか足を運ぶ事ができない所がある。

こういうのを縁がないと言うのだろう。


古都アユタヤ。

およそ400年前、アユタヤには山田長政を頭領とする日本人町が存在し、最盛期には3000人もの日本人が暮らしていたという歴史に興味があった。
日本人町にはかつての面影も何も残っていないらしいけど、このアユタヤという街を訪れてみたいと思い続けていた。

当初はアユタヤまで歩く予定だったけど、面倒になったので昨日中止を決めた。
今日は始発列車に乗り込みアユタヤへ日帰りしようと思ったものの寝坊し、あまりやる気はなく、やはり今回もまた縁がなかったのかとベッド上で思ったのだけど、何とか頑張ってアユタヤへ出かけてみた。



普段あまりしない観光だけど、いくつかの遺跡と巨大な涅槃仏を足早に見学。

世界遺産に指定されている古都なだけあって観光客はとても多かった。
バンコクでは郊外にひっそりといるのでツアー客を見る機会は全くないけど、久々に遭遇する日本人の集団がとても新鮮だった。
かなり多くの日本人が訪れるのか、遺跡内にある注意書きはタイ語、英語、日本語の3語で書かれていたし、実際日本人は多かった。


10年前から思い続けてきたアユタヤ。
遺跡も涅槃仏もそこそこ良かったけれど所詮はそこそこという程度。
結局3時間も滞在せず、訪問したという事実を作り上げ、さっさとバンコクへ戻る。

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アユタヤへの往復で乗車した3等列車の雰囲気や車窓からの景色。
たまに停車する駅のプラットフォームを観察している方が面白く、興味深かった。

かつて繁栄した古都よりも今を生きる人の方が魅力的なのだなと思う。
現地の人にとっては変わらぬ日常、些細な事であったとしても。

国王誕生日 



言葉、文字、通貨に宗教・・・。
マレーシアからタイへ国境を越えての変化を挙げていけばキリがないけど、タイに足を踏み入れ、まず最初にプミポン国王の肖像が視界に入りマレーシアからの変化を感じた。
ここはタイなのだなと実感。

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過去何度か訪れていたバンコクで目にした記憶はあったけど、今回ゆっくりと地方を歩いてみて、至る所で国王の肖像を目にし、路上から見える民家の壁にも国王の写真が貼られていたり、いかに国民から尊敬、信頼されているかよく分かった。

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毎日目にするとかそんなレベルではなくて、有人地帯なら常に目にする。
10分以上歩いてみて肖像を目にしない事はほぼない。

若き日のものから王妃と一緒に写っているものなど様々だけど、個人的に最も好きなのはこれ。

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若き国王と老婆。
この老婆を見れば国王がタイ国民にとってどういう存在であるのかよく分かる。


イラク、イエメン、トルクメニスタンなど大統領が絶対的な権力を握った独裁国家を訪れ、同じ様に街では肖像を目にしたものだけど、そんなものとは明らかに違う。




12月5日は国王誕生日で祝日。

ここ数年、国王誕生日の一般参賀は国王の体調悪化により中止されていたらしいのだけど、今年は数年振りに一般参賀、演説があるとの事でアナンタ・サマコム宮殿前の広場へ行ってみた。

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奥に見えるのが宮殿。
ここに着いたのは8時頃だが、すでにこれだけの人で埋まっていた。
宮殿前の最前列に陣取った人は一体何時に来ていたのか。

集まった国民は国王の色である黄色いシャツを着用し、宮殿前は黄色く染まった。

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こんなに多くの人が集まる場所は初めてで「これジャニーズコンサートより多いよな」なんて思ったりしたけど、毎日新聞によると20万人の国民が集まったのだとか。

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宮殿には近付けないし、身動きが取れないので、ぼくはこの車上にいた。

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大型スクリーンがいくつか設置され、国王が病院を出発され、宮殿へ向かうところも中継された。
宮殿前だけではなく、国王が通過する道路脇にも多くの国民が集まり、旗を振っていたし、手を合わせ、涙を流す人もいた。

宮殿バルコニーに現れた国王がスクリーンに映し出されれば、広場を埋めた国民は歓声と共に旗を振った。


何人かの人が祝辞を述べたのだが、インラック首相の祝辞の際、首相がスクリーンに映れば大ブーイングが起こった。熱いトルコサッカー以上のブーイングだった。

スクリーンが国王に切り替われば、「ワー」っと歓声が上がり旗が振られ、首相が映ればまたブーイング。


ちなみにインラック首相はタクシン元首相の実の妹。
色々な思惑、感情があっての事なのだろうし、タクシン派とか反タクシンとかよく分からないけど、1つだけ言わせてください。

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メチャメチャ美人です。