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ALKINIST -あるきにすと- エジプト
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酷暑 

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今の時期のエジプトは雨が降ることなどなく、アフリカ大陸上陸後の1ヵ月は毎日快晴である。
土地柄なのか、それとも秋めいてきているのか、この2日ほど上空を雲が覆うようになり、日中の歩行はずっと楽になったと思いきや、南下するにつれて気温は上昇。雲間から突き刺す陽射しは鋭さを増した。
今のところ何とか日中は歩けているけど、そろそろ限界が近付いているのは確かである。

口内は粘々とし、喉の奥は干上がった土壌のように渇き切っている。
水分の過剰摂取は良くないと分かってはいるけど、渇きへの恐怖心が半端なく、ボトルに手を伸ばす回数が増え続けている。

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先日はアフリカ入りして初めてストーブを使って食事を作った。
今回からストーブはMSRのドラゴンフライを使用。
暑いので生鮮食品は持てないし、食欲も失せるのだけど、米を炊いて具なしの味噌汁を作った。うまい。

南下中 

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テロが散発するルクソール以北のナイル川沿いでは外国人の行動が制限されるので別ルートを歩行中。
こちらでも治安上の問題から歩行を制限されるのではという懸念があったけど今のところ問題なし。問題があるとしたらそれは暑さか。

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これまでは暑さを理由に日中の歩行を控える事はしなかったがとても歩ける状況ではない。歩きながら嘔吐すること二度。
4万キロ以上を歩いてきたが、最も肉体的にきつい場所である。
カザフスタンの無人地帯では時折集落が現れ、豪州の砂漠地帯では低灌木の下で陽射しを遮る事ができたけど、生命の存在を拒絶するかのような砂漠には何もない。

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そんな時は道路標識のわずかな影に身を潜め、じっとしているしかない。

もう一つ付け加えるなら100キロの無補給区間を歩きぬいた先、あと5キロで町という場所にいたのに、その5キロを歩く事すらできなかった。
極寒のブルガリアでは凍傷を負ってまで車への乗車を拒み続けてきたというのに、たまたま停車したピックアップトラックに助けを求めた。(後日しっかりと歩き直したけど)
ドライバーと会話をしようにも暑さに声帯がやられてしまったのか声を発する事ができなかった。

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お金の受け取りを断固拒否したドライバー。ありがとう、シュクラン。


太陽に心底恐怖し、真剣に生命の危険を感じ、辿り着いた小さな町で「無難に楽なルートを進むべきでは」とカイロへの帰還を数日間検討したものの、砂漠地帯の歩行継続中。さらに南下していくのでまだ油断はできないけれど暑さのピークを過ぎた気がする。
宿の人曰く「もうすぐ良い気候になるよ」との事だ。

何はともあれ今は平和な町にいる。荷物を部屋に運んでいるとテレビを見ていたおっさんが声をかけてきた。テレビを指差し満面の笑みで「ブルースリー」と一言。

平和である。

そろそろいきますか 

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これからエジプトを南下していくわけだけど最長の無補給区間は220キロ。
それ以外にも175キロ、153キロなど、豪州中央部を彷彿とさせる無人地帯ぶり。

水の補給が難しい無人の砂漠地帯ではラーメンや米など水を使って調理するものは避けるようにしている。
調理に水を使わないにしても食器を洗う際に水が必要になるわけで、無人地帯では缶詰とパンが食事の基本だ。
カザフスタンではナン、豪州では食パンだったが、エジプトで食パンの入手は難しい。
こちらではアエーシという円形のパンがあるけど2日もすれば確実にカチカチになってしまいそうである。主食をどうするか悩み中。

町に立ち寄る度に食料を補給していくつもりだけど、ひとまずこれだけの食料を積み込む事にした。あとは6リットルの水を2つ購入。

Cairo 

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10年振りのカイロ。
このぼろいビルには3軒の安宿があるのだけれど、懐かしさはもちろん、階段の上り下りが面倒という理由などから最下層に位置する10年前と同じ宿に投宿。
3往復かけて荷物を部屋へ運び、砂塵と排ガスと汗にまみれた体をシャワーで洗い流す。
すぐにビールを買いに酒屋へ向かった。10年振りとはいえ数ヵ月を過ごした街なので宿周りについては何があるのかよく覚えている。

革命やクーデターにより政権が変わった。
街中では装甲車や銃を持った兵士を頻繁に目にし、かつてのカイロになかった物々しい雰囲気ではあるが、宿周辺やカイロ中心部の街並みはそれほど変わっておらず、日を追うごとに記憶が鮮明になっていく。

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カイロでは最重要目的の黄熱病予防接種とビザの延長を済ませた。
今日は15キロ歩いてギザへ。入場はせず、外から写真だけ。

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「スフィンクスの目線の先にある」とトリビアの泉で紹介されたKFCからの景色。

首都へ 

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休憩をとったカフェで「この先の町にホテルはありますか?」と尋ねてみれば、「ラー(ない)」という返答。「もし眠りたいのならそこで眠ればいいよ」と彼は続け、指差した先にはモスクがあった。
まだ昼前の早い時間だったのでお世話になることはなかったけれど、彼の言葉が緊張や不安をほぐしてくれたように思う。これまで歩いてきた国々と同じようにエジプトにも救いの手を差し伸べてくれる人がいるという事実が安心感を与えてくれる。

地図を広げてみれば65キロ、60キロ、50キロという間隔で宿のありそうな街があり、当初は無難に街に寄り宿に泊まるつもりでいたけれど、1年間全く歩かず、脂肪をつけた体でそれだけの距離を歩くのは不可能で1日40~50キロペース。

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カイロまでの4泊の間、モスクでお世話になること1日。

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あとはテントを張り続けた。
アレキサンドリアとカイロとを結ぶ幹線道路沿いには幸いな事に24時間営業のカフェなどが点在しており、その隣の空き地などにテントを張らせていただく。

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日本を発つ3日前まではカイロに立ち寄る予定は全くなかったけれど、エジプト国内の歩行ルートの見直しを迫られたため急遽カイロへ。

Alexandria 

外国人が少ないからか街を歩けば遠慮など一切なしの好奇の目でじろじろと見られ、話しかけられることも少なくない。
まるで十年来の友人に再会したかのように顔をほころばせ「ハローマイフレンド」と声をかけられ、握手の手を差し出されることが何度かあったのだけど、お前は誰だ状態である。

カメラを手に歩いていたところ「写真撮って」と可愛げな子供たちが現れた。
「液晶画面を見せて」という子供たちのリクエストに応えていたら、3人の可愛くないおっさんが現れて「写真を撮ってくれ」と一言。
撮り終えた後は子供たちと同じように液晶画面を眺めて満足するおっさん達。

この国では現地人との距離が非常に近く、良くも悪くも濃厚な日々を送れそうだ。

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今日は記念すべきアフリカ大陸縦断初日。
地中海沿いの道から道路を横断し、すぐ近くの宿までの60メートルを歩いた。
リヤカーを引いての1日の歩行距離としては間違いなく史上最短である。
本格的な歩行は明朝から。

今回に限ったことではないけれど初めて歩く国に対する不安はもちろんある。
1年振りの歩行なのだから尚更。程よい緊張感も持っている。
歩く日々が続けばこの繊細さはどんどんと摩耗して大胆になっていくものだけど、アフリカでは常に繊細さを持ち合わせていたい。

歩行初日くらいは宿に泊まりたい、テントは嫌だと考えているけれど、宿がありそうな町はなんと65キロも先。
1年のブランクがある足で果たして歩けるだろうか。
明日どこまで歩けるか、どこで夜を過ごすのかなんて分からない。
不安は不安なんだけど、それをどこか楽しんでいるのも確かである。

アフリカ上陸 

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関空からマニラ経由のドバイ行き。
リヤカー込みおよそ50キロの荷物代込みで3万円。

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さらにドバイからエジプト・アレキサンドリア行きに乗り換える。
荷物代別払いのLCCを使うより、荷物代無料のエジプト航空を使う方が安い。
19000円弱。

写真はドバイの高層ビル群。一際高いのが世界一高いビル。
ドバイでは30秒ほど空港外に出たけれど、ムッとするような不快な熱気に耐えられず快適な空港内へ逃げ込んだ。

青春18きっぷを使い鳥取駅を出発したのが3日の昼前。
スタート地点であるアレキサンドリアに到着したのが日本時間6日の午前0時半頃。
安く来れたのは良かったけど、マニラ18時間、ドバイ17時間の乗り継ぎがあり空港に2連泊。アレキサンドリアまで2日半を要す。

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10年振りのエジプトで10年振りの再会。
カイロからアレキサンドリアまで3時間もかかるのに、しかも空港がアレキ市街から40キロも離れているのに出迎えのためにわざわざ来てくださったアモーレ丸山氏。
おかげさまで空港からの移動、宿探しまですべてスムーズに進んだ。本当に感謝です。

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10年振りのエジプト。
スタンプがあるにもかかわらずその上にビザシールを貼り、しかも逆さまに貼られる。
入国前からこんな感じで始まったのだけど、タクシードライバーは後になって「もっと金をよこせ」と言い、宿の部屋は鍵がかからず。ガイドブックには「WiFiあり」とあったのに「壊れているから明日直す」という全く信用できないお返事をいただき、まあ平常運転といえば平常運転、10年前と変わらない気がする。

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