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ALKINIST -あるきにすと- チリ
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Los Vilos 

重い腰を上げて14泊した汐見荘を出発。
ビーニャ滞在中は曇りが多かったが、歩行再開初日に限って強烈な日差しが照り付けてきた。さらには2週間も足を止め、休養十分のはずなのに、左足の付け根に痛みを感じる。
これまで以上にテント設営場所は見つからず、暗くなるまで60キロ超を歩き、散々な歩行再開初日。

翌日もしばらく歩くと足に違和感を覚え、前日の暑さにやられ体調も良くない。
歩行を終えようと思うも、テントを張れる場所は全くなし。
前方に山、遥か上を走っている車が見え、この体調で山越えはまずいなと思う。



ただでさえテント設営地が見つからないのに、陰という条件を満たすものは難しいと思われたが、上り坂の手前でハイウェイ下にテントを張れた。
10時まで15キロ歩き、その後はひたすら眠り続ける。

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3日目以降は体調も足も万全だけど、やはりテントを張れる場所は多くない。
単調な高速道路ではあるけど、海も見えるし、サンティアゴ以南と比べたらまし。
この辺りはやけにアップダウンが多い。

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ルート5は高速道路なので道路沿いに基本何もないのだが、ガソリンスタンドが点在。
サービスエリアの役割を果たしているのだけど、中でもコペックの設備が素晴らしい。
WiFi、有料シャワー、水の補給、テントを張ったり、55~60キロ間隔でコペックの店舗があればコペックからコペックへ移動する毎日でコペック難民となり、何度もお世話になった。

しかしチリ北部ではコペックの数も激減。店舗の間隔も長くなった。
実際交通量も少なくなった気がする。

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今日は食料の補給に町におりたところ、ルート5入り口近くにコペックがあったので、久々にコペック泊。シャワーを浴びてすっきりした。
ここから30キロ先にシェル、140キロ先にコペックがあるが、それ以外で水の補給ができるか不確か。商店のおばちゃん曰く「店はない」らしい。
こんなにも早く水の事を考えないといけないのは予定外だったのだけど、2日分、10リットルくらいは携帯しようと考えている。

汐見荘10泊目 



前日から読み始めていた「ロバと歩いた南米アンデス紀行」を読了。
著者は汐見荘にも立ち寄っている。この本は出版後に寄贈されたもので巻末にロバとの写真が貼られていた。

バリローチェ以南の実際に歩いた土地が出てくれば、その情景が鮮明に頭に浮かぶ。
著者が歩いたのは93年頃だが、フエゴ島のトルウインでエミリオさんというパン屋の男に招かれている。トルウインのパン屋といえばサイクリストを無償で泊めてくれるラ・ユニオンがあり、自分もお世話になった。
本文中に『ラ・ユニオン』という名前は出てこないが、あの小さな村に旅人を招くようなパン屋がいくつもあるとは思えず、その可能性は極めて高い。
20年も前から旅人に救いの手を差し伸べていた事に驚き、20年前と変わらぬものを見つけた事にささやかな喜びを感じる。

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前々日から作っていたチャーシュー丼を食べ、今後のルートについてあれこれ調べる。

この先アタカマ砂漠が待ち受けるが、懸念していた無補給区間は思っていた程長くはなくて、長くても200キロ程。400キロの無補給区間を覚悟していたので一安心。
チリからはボリビアへ入る予定。
30個の卵を4日で食い尽くした同宿のサイクリストに気になる事など尋ねておいた。
ちなみに彼はウユニ塩湖で道に迷っている。3日も彷徨い、遭難しかけたらしいのだが、そんな彼からの助言を鵜呑みにして良いのか悩ましい。


のんびり過ごしているだけなのにあっという間に時間は過ぎ去っていき、気が付けば夕方になっていた。1日を無為に過ごしてしまったようで焦りを覚える。
10日も足を止めている間に日照時間は短くなっている事に気付いた。
前日に続いて一歩も宿から出なかったなと思っていたら、同宿の人に誘われ、久々に宿の門をくぐり、ビーニャ中心部へ。

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向かった先はカジノ。ドレスコードはなく短パン、サンダル姿であるが、入り際に止められる事もなくすんなり中へ。ブラックジャックやポーカー、ルーレットのテーブルがいくつも並び、奥の方にはスロットマシンがずらり。
一世一代の大勝負をしに来たわけではなく、目的は両替。チリのATMでお金を引き出す際、4000ペソ、約6ドルという手数料を取られ、「高すぎるぞ」といつもぼやいていたのだが、カジノでカード決済して現金を得れば手数料はかからないらしい。

4000ペソを浮かすためにカジノへ行き、それ以上に大きなお金を失えば本末転倒なのだが、ブラックジャックのミニマムベットが5000ペソと安くはなかったので遊ぶ事なく宿へ戻る。
昔なら50ドルくらいは遊んで帰ってはずなのに、良くも悪くも保守的になった気がする。

汐見荘9泊目 



汐見荘9泊目。
歩いている時より遅いとはいえ、昨日まではどんなに夜更かししても7時台に起きていたが、今朝は9時起き。
だらけてきたなと実感するが、他の宿泊客に比べればこれでもまだ早い。

宿から一歩も出ない完全引きこもりな一日を過ごす。
そんな宿泊客は何人かいて、自分だけが堕落しているわけではないのだという安心感がある。

当初3泊の予定がズルズルと伸びている現在であるが、「意志が弱いんですよね」と宿のご主人に話すと、「意志が弱い人間が歩けるはずない」と言われた。
確かにそうなのかもしれないけど、歩くのも、ダラダラ過ごすのも好きなのだ。

ワイン、コーヒーを飲みながら、「ロバと歩いた南米アンデス紀行(中山茂大)」を読み、昼寝。起きたら夕方だった。

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朝食 ホットケーキ

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昼・夕食 から揚げと炊き込みご飯

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昨夜から作り始めたチャーシュー


汐見荘にて調理技術が向上中。
新鮮なアサリと魚の見分け方を覚えた。

汐見荘のサイクリスト 

汐見荘に到着して間もない頃、宿の片隅に2台の自転車が置かれているのに気付いた。
宿泊客に尋ねてみると、2人のサイクリストが滞在しているとの事。
「日焼けして真っ黒だからすぐに分かりますよ」と彼は言った。

数日後、他の宿泊客とは明らかに異なる褐色の肌を持つサイクリストと出会う事ができた。
同じ宿にいながら彼らと顔を合わせる機会がなかったのは人力旅をする者同士だからか。
町に滞在中は休養に徹する自分と同じく、彼らも部屋から出てこず引きこもっているらしい。

「1日中宿に引きこもり、周りの旅行者からはなんだこいつと思われてるはずだけど、町では何もせずにゆっくり休みたいよね」という言葉に彼らが頷くも至極当然の事。
旅のメインは観光ではなく路上で過ごす毎日、常人の2倍は食べる食事量など、自転車乗りとの共通点は多い。
人力で旅する者にしか理解できない事も多く、そんな事を話し合えるのが嬉しい。

南米大陸を南下してきた彼らにこの先のルート、治安状況を尋ね、情報を交換する。
ガイドブックに載っていない生の情報はとても貴重なのだ。
アウストラル街道、プユアピの南30キロの所で13時から17時まで道路工事で通行止めという有益な情報をプレゼントした。
逆に彼らは「襲われるとしたらあそこですかね」と不謹慎な予想を始め、「そんな予想は頼んでない」と突っ込みを入れる。



コロンビアからウシュアイアまで南米大陸を単独で縦断中の女性サイクリストが汐見荘を去った。女一人で自転車南米縦断とか猛者としか言えない。

迷った末にマチュピチュへ行ったという彼女。「マチュピチュは興味ないから行かない」と言う自分に対し、「一応行っといた方が良いですよ」と助言をくれた。
そんな彼女は1週間も汐見荘にいたのに、9キロしか離れていない世界遺産バルパライソを訪れる事なく、ビーニャを去った。


もう一人のサイクリストは帰国間近であり、汐見荘でのんびりと過ごしている。
卵30個を4日で食い尽くした大食漢。人の事言えないけど、いつもガッツリと食っている印象。
今朝は特大ホットケーキを3枚くらいペロリと平らげ、「美味しそうだね」と語りかけた自分に1枚くれた。チャーシューを自分で作ったり、いつも美味しそうなものを食べている。
料理への情熱が凄まじい。

30個の卵が尽きた彼は新たに30個の卵を買うためスーパーへ行くというので、同行する。
ホットケーキパウダーにシロップ、豚肉のブロックに鶏肉……。
今日で汐見荘滞在8日目だというのに、すぐに出る気がないのでガッツリと食材を買い込んでしまった。

ここにいるべき理由は特にないのだけど最低あと4泊する予定。

Valparaiso 

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電車を降りると、小便の臭いが鼻をついた。
小便の臭いに迎えられるなんて嬉しいはずはなく、この街の第一印象は良くない。

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ビーニャからわずか9キロ、首都サンティアゴに次ぐ都会のバルパライソ。
丘が多く、丘陵地に街が築かれている。パステルカラーの家々が多く、良い感じの街並み。
しかし中心部はゴチャゴチャとして落ち着かず、パタゴニアからここへ至るまでなかった雰囲気がある。アジアやアフリカでも感じられなかった雰囲気。これが南米なのか。

宿のご主人にバルパライソの歩き方を教えてもらい、最初の丘を目指す。
坂が多い街なだけあって、斜面にはアセンソールというケーブルカーがある。
歩いていけそうだったので階段を登り始めるのだが、「しまった」と思うのに時間はかからなかった。

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人通りのない階段に男が腰かけ、周囲にはビール瓶の破片が散乱していた。

バルパライソを訪れる前、「パスポートもカードも宿に置いて、必要最低限のお金だけ持って行きなさい。旅行者だと思われないような格好をし、カメラもカバンの中に隠すように」と宿のご主人からの指導があった。

そこまでする必要があるのだろうかと思ったけど、早速バルパライソの治安の悪さを肌で感じる。
危険な雰囲気を醸し出す階段だった。
歩いてはいけない道だ。引き返すべきと思いつつも、なぜか足は前へと進んでいく。
男の横を通った時、大麻のにおいが漂っていた。
上へ行ったらまた変な奴が現れ、挟み撃ちにされるのではと思った。何度か後方を振り、注意深く進んで何とか無事に上に到達。

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また別の場所ではカラフルな階段があり、先へ進もうとしたが、「行ってはいけない」と第六感が警鐘を鳴らす。
人通りはなく、小便臭く、雰囲気は最悪。通りがかった現地人に「セグーロ(安全)?」と尋ねたところ、「ぺりグロ(危険)」と言われる。

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サンチアゴで危険を感じる事はなかったけど、バルパライソは雰囲気の悪い場所は多く、治安は良くない。
丘の上から街並みを眺めれば、貧しい家々を目にする事もしばしば。


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しかし旅行者の多い場所に限っては安全だし、路地裏散策がとても楽しい。

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当初はビーニャに3泊のみの滞在予定だったので、到着翌日にバルパライソを訪れた。
その後日本へ荷物を送るため郵便局を訪れたついでに街歩き、さらには珍しく青空が広がり快晴だったのでまたまたバルパライソへ。ビーニャ滞在7日のうち3度もこの街を訪れている。

なんだかんだで好きな街なのだ。



暇なのでまた動画を作る。

Viña del Mar 



サンティアゴから西を目指したのはこの宿が目的だった。
ビーニャ・デル・マールの汐見荘。

中南米には日本人宿が点在する。
かつてバックパックを背負って旅していた時、そんな日本人宿の名前は口コミで広まっていて、バックパッカーの間ではよく知られていたのだが、汐見荘もその一つ。

1970年代に自転車でヨーロッパなどを走られたご主人が1990年に始められた宿。
ご主人が旅していた時代の話、インターネットが普及した現代と昔の旅人との違いなど、当時の話を聞かせてもらうのはとても興味深い。
最も長い人で5年滞在し、数か月の滞在は当たり前だったけど、現在は1カ月も滞在する人はいないのだとか。現代の旅行者がしているのは『旅』ではないと言われた。

インターネットが急速に普及し始めたのは2000年頃だと思うけど、パソコンを携帯している旅行者はとても少なかったし、WiFi環境も整ってなく、SNSもスマホもない時代。
旅人が集う宿には情報ノートが置かれ、それを頼りに情報を交換しながら旅をした。

情報が少なく困難な事が多かったであろう沢木耕太郎『深夜特急』の時代に憧れた事もあった。しかしほんの十数年前の事だけど、現在より旅しているという手応えを感じられる良い時代だったなと思う。
インターネットの普及により便利な時代になり、その恩恵を受けているが、その利便性と引き換えに失われたものは確実に存在する。

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長い海岸線を持つチリであるが、宿からは海を見渡せ、魚市場も徒歩圏内。

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カモメだけでなく、アザラシもいる。

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市場の人が桟橋から魚を捌いた後の不要な切り身などを捨てるので、ごちそうにありつくべく、桟橋下で待機しているのだ。


「土曜日が最も魚が多い日で市場が賑わう」と宿のチェックイン時、ご主人に教えてもらった。
しかし到着した日は日曜日であり、3泊で出るつもりだった自分には関係のない話だと思っていたのだが、気が付けば7泊目、土曜日を迎えてしまった。

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市場へは3度出かけ、サーモンの刺身、アサリの炊き込みご飯と新鮮な海の幸に満たされている。土曜日の今日は刺身、炊き込みご飯に味噌汁。
炊き込みご飯はツナ缶、サバ缶をそのままぶち込んでも十分に美味しいので今後のキャンプ生活のメインメニューになる事必至。
この作り方をマスターしただけでもここへ来た甲斐があるというものなのだ。

西へ 



「もう一泊……」という誘惑に打ち勝ち、首都脱出。
交通量の多い大都市への出入りは憂鬱なのだけど、サンティアゴには自転車道や歩道があるのであっさりと郊外へ抜ける。

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10キロほど歩き、交通量が落ち着いたところで再びルート5。
ペルー国境までチリの南北を貫くハイウェイなので長い付き合いになるでしょう。

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ハム、チーズを携帯するには暑すぎてサンドウィッチを作れなくなったので、最近は米とサバ缶という昼食が多い。サバ缶の残りは夕食に回り、全く同じものを食べる。
夕食時に翌日昼食用の米も炊いておく。

チリ北部は砂漠地帯があり水の補給はとても難しい。
携帯する水は全て飲用とし調理用の水は持たない予定なので、今後ずっとサバ缶生活が続くものと思われる。
同じく水の補給が困難だったオーストラリアでもパンと缶詰生活だったが、缶詰の種類が豊富で美味しく、飽きる事はなかった。しかしチリでは選択肢が限られてしまう。

北か西か…。
ギリギリまでサンティアゴからの行き先について悩み、地図を睨みながらの食事。

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悩んだ末にルート5を外れ、西へ。
前回とは逆側のタイヤ、4200キロにして初パンク。

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道の両側には延々と有刺鉄線の柵が続き、テント設営場所を探すのに一苦労。

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サンティアゴからルート68を西進すれば短い距離をもっと楽に歩く事ができるのだが、歩行不可のトンネルがあり車に乗せられるため、あえて迂回路を選んだ。
しかしそこには山があり、延々と10キロも上り坂が続く。
ここ最近雲が空を覆う日が続いていたけど、こんな日に限って雲一つない快晴。
滝のように流れる汗を拭いながら、そこまでして人力での踏破にこだわるのかと思ったけど、こだわるのである。

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サンティアゴから2日半。
山を越えた先には太平洋がありました。