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ALKINIST -あるきにすと- パナマ

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Paso Canoas 



朋あり、遠方より来る。

中米を訪れている知人とDavidで会う。
この日は夜行バスで移動予定のため日中は時間があり、一緒に歩きたいとの事で22キロ歩いた。

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2009年以来、6万キロ超を歩いてきたが、海外を歩き始める前は日本を中長期的に、いや短期的にも1日歩き続けた経験すらなかった。
さすがに何の経験もないまま歩くのはまずいと仕事休みの週末に徒歩トレーニングを始めた。最初は20キロから始め少しずつ距離を延ばしていったが、普段全く歩かなければ20キロですらきつく感じられた。
そんな事を思い出しながらの休憩。

中国を歩き始めてからはインターネットの歩き旅サイトで推奨されていた1時間に1回の休憩をとり、足裏にまめができるのを防ぐため靴下は脱いで乾燥させるという事をしていたけど面倒ですぐにしなくなった。
歩行前後のストレッチもやらないし、歩くのに慣れてきてからは休憩の頻度も減っていった。
今となっては休憩の必要はなくて、足を止めるのは昼食時、写真を撮る時、誰かと話す時くらい。

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知人と別れた後、さらに10キロ歩いてテント。

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差し入れをいただいた。
パナマシティだけを見るならパナマは先進的で他人の事に干渉しないクールなパナマ人を勝手にイメージしていたが、パナマの人は親切でフレンドリーだった。

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コスタリカとの国境まで20キロ程なのでパナマ最後の夜となる。
近くの商店でビールを買い、お疲れさまディナー。ここもやはり中国人経営の店だった。


ここには2軒のガソリンスタンドがあり、裏には屋根もあったが小便臭いのでここで寝る気にならず。もう1軒の方にテントを張った。
夜は雨。フライシートを付けていなかったので、飛び起き、フライを装着するため外へ出た。
小便臭い中での安眠とどちらが良かったか。

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翌日、国境へ。
国境施設というのは基本周りに何もないのだが、ここはパソ・カノアスという町の中で2国が分断されている。
めったにないパターンなので面白い。

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地面に引かれた線が国境。
このすぐ前にはコスタリカの警察が立っていて、赤色のタクシーがうじゃうじゃいた。
コロンビアもパナマもタクシーは黄色だったので猛烈な違和感。
国が変わるのだという事をタクシーの色によって強く意識させられた。

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パナマを西進 

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パナマシティから2日目。100キロ地点。
パナマシテイから大陸を北上しているつもりだったけど、地図を見るとパナマ国内は西進する事が分かった。
北上というより緯度を下げて、実はパナマシティより南にいたりする。

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マンゴーがたくさん落ちているので拾って行動食に。
これまで散々食べてきたであろう現地人は見向きもせず、自分以外に拾っている人はいない。
ボルネオ島にエチオピア、ケニアなどで食べたくらいで、これまでの人生で口にしたマンゴーは恐らく20個程。26時間程で同数の20個のマンゴーを完食。
マンゴーがなくなればまた拾って貪る。重いのと手がベタつくのが難点。

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日中はとにかく暑い。
現地人が連続して水を差しいれてくれるくらいに暑い。
商店が現れれば冷たい瓶コーラで喉を潤しているが、商店は頻繁にあるわけでもないので、突如冷たい水が差しだされればなんていうかとにかくありがたいとしか言えない。

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ペノノメ通過。パナマでは大きいと言える規模の町だけど、マクドナルドや大型スーパーがある程度。パナマシティは都会だけど、それ以外は大した事ない。

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基本的に単調で退屈な景色が続く。

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ツナ缶に玉ねぎ、醤油、砂糖で味付けした炊き込みご飯とラーメンが毎日の夕食。
ご飯を多めに炊き、翌日昼食分も用意。パナマは物価が高いし、必ずしも昼時にレストランがあると限らないので。

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商店という程の大きさではないけど、小さな村の売店が中国人経営じゃなかった。
パナマ滞在中50軒くらいの商店へ寄ったが、9割以上が中国人経営の店だった。

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連日の猛暑で体中から汗が吹き出すも、毎日テントなのでシャワーを浴びる事ができない。
3日目くらいから頭の痒さも気になり、早くシャワーを浴びたいと思い始めた。
オーストラリアでは3週間くらいシャワーを浴びれなかったが、今ほど汗はかかず、不快さは感じなかったし、レストエリアの水タンクで洗髪もした。
教会横の蛇口が目に留まり、ようやく髪を洗えたのは6日目の事。

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退屈としか言えない道。
起きて、変化の乏しい景色を歩いて、昼食とって、また歩いて、寝るというルーティンワークを繰り返す日々。

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雨季が近付いてきたからか激しい雨が降る。
パナマには屋根付きのバス停が多いので安心だ。

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パナマシティから7日目のテントはマンゴーの木の下。
目の前には警察のチェックポイントがあるので安心だ。
この辺りは延々と何もなく、水、食料共に十分でない。水は警察で分けてもらうも、商店がないので翌朝食べるものがない状況。

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そんな時はテント周りを歩いてみればいい。
翌日の朝食をゲット。ここのマンゴーは美味しかった。

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サンティアゴを過ぎてからは工事区間が点在。
片側2車線の分離道路だが、一方が閉鎖されている事が多い。
歩くには問題ないので閉鎖された側を歩く。工事車両しか車はやって来ないのでとても快適。

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しかし調子に乗って閉鎖された道を歩いていたら、工事中の橋にぶつかる。
引き返すのは面倒なので、作業員に尋ねてみたところ、渡らせてもらえた。

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「水はあるか?飲んで行けよ」と作業員用の水を何度かいただいた。
おかげで終盤はコーラを買う回数が減少。

パナマシティ脱出 

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宿があった新市街は安全で、ビル群が建ち並ぶ様はシンガポールのようでもあったが、そこを抜ければ雰囲気は一転。
ごちゃごちゃとして生活感溢れ、何やら危険な感じでもある。
パナマシティのきれいな部分しか見ていないというのも何だかもったいなくも思えたけど、病み上がりだし別にいいやと思い交通量が少ない早朝に街を去る。
途中道に迷い、危なげな路地に入ってしまったが、足早に通り抜ける。

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しばらく歩いた先には大きな橋。地図を持っていないので「ドンデエスタ プエンテ(橋はどこですか)」と何度も聞きながらここを目指した。
片側2車線の道路だが、朝のラッシュで上り線の交通量が多く、下り線の1車線も上り線になっていた。

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橋の下は有名なパナマ運河。

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橋を渡った先には中国人のパナマ移住150年を記念して造られた公園がある。

そういえば海外で見かける中国人(華僑)って、もちろん例外もあるはずだけどけっこうな確率で純血な気がする。
ペルーやブラジルに渡った日系移民は現地人と結婚したり、3世くらいになると日本語を話せなかったり、日本人としてのアイデンティティを失っているケースもあるが、中国人同士なら中国語で会話をし、漢字の新聞が流通し、独自のコミュニティが築かれている。
中国人としての血を守ろうという意識が彼らの中にあるのならそれは本当にすごい事だ。

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パナマの個人経営の商店はほぼ中国人が経営している。
パナマシティなど大きな街に限らず、旅行者が訪れないような田舎の村まで。嫌な言い方をすればパナマの小売り、流通を牛耳っているのかもしれない。

パナマの人口比率における中国人の割合がどんどんと高まっていき、この先小売りだけでなく、国の中枢機関にまで入っていき、パナマを乗っ取ろうとしているのではないかと妄想してしまうくらい異様な光景に思えた。

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暑いのでサトウキビジュースで喉を潤す。

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暑さと体調不良で食欲がないのでオレンジを食べる。

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とりあえず次に目指すDavidまでは400キロ。

Panama city 

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大陸本土に上陸し、パナマシティ南のパンアメリカンハイウェイより歩行を再開。
最初は広い路肩があったものの、すぐになくなる。中米の道が狭い事は聞いていたけど「歩きにくい」というのが率直な感想。

南米ではアルゼンチン以外、基本的に広い路肩があり、ストレスなく歩く事ができた。
毎日路上で10時間も過ごすのだから、ストレスなく歩けるか否かっていうのはとても重要。
道はイマイチだけど冷たい水を差しいれてくれたり、パナマ人に対する印象は良い。

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初日のテント。
何年テント生活をしても、治安が良くない南米でテントを張ってきても、新しい国での最初のテントは少し緊張するし、設営場所にも気を使う。

ハイウェイから死角ではなかったけど、見えにくい場所。
すぐに闇に紛れるはずだし、大丈夫だろう。そういう部分は経験が裏打ちしてくれる。
周囲には家など何もないところなのだが、日没後、ハイウェイ上に橙色の街灯が灯り、パナマの国力を見せられたかのよう。

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瓶コーラ1本45~50セント。
パナマに入ってから物価は上がり、南米で躊躇なく買っていた1.5リットルのコーラが買えなくなった。
パナマ入りしてから暑さは増し、休憩の度に商店へ駆け込み、冷たいコーラを飲む。
1.5リットルのものを買うより割高だけど、その都度冷たいものを飲んだ方がいい。

まったく食欲なく、とにかく喉が渇いた。
体が熱く、冷たいもので熱を冷ましたく、5本のコーラを飲む。


終盤は何度も足を止め、明らかに体調がおかしい。
暑いのは暑いけど、強烈な陽射しを浴びた記憶もない。しかし熱中症のような症状。
足を止め、どこかにテントを張りたい気分だけど、すでに都市圏に入り、テントを張れる場所などなく、歩き続けるしかない状況。

フラフラの体で日没前に何とかパナマシティに辿り着き、目星をつけていた宿へ向かうがベッドの空きがないという非情な宣告。その場にへたり込んでしまった。
闇の中、宿を探し回り、何とか投宿。
しかし体に力が入らず、荷物を運び入れるのも宿の人の助けを借りたほど。その後嘔吐。

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パナマシティでは2日滞在したけど、世界遺産の旧市街に足を運ぶ事もせず、ひたすら静養に努める。

ノーパサポルテ 

ボートで一緒だったクナ族のおばちゃんが慌ただしく準備していたので「もうプエルト・カルティへ出航するの?」と尋ねると、「そうだけど、あなたは行けないよ。ノーパサポルテ」と言われた。他のおばちゃんも「そうだ、そうだ。ノーパサポルテ」と言った。


ノーパサポルテ・・・?
ノーパスポート…?
パスポートがない・・・?


「ドンデエスタ パサポルテ?(パスポートはどこにある)」と聞いてみると、「オバルディア」と返された。
この状況を即座に理解するのは難しかったが、船長との前日のやり取りを思い出す。

カルティ島に着いた後、その場に居合わせた中国人を介し、彼は何か伝えようとしていた。
中国語と日本語は全く別物だし、中国人の英語も拙いもので、内容はあまり理解できなかったが、「パスポートが警察にある」という事だけ分かった。
保安上の理由からこの島の警察にパスポートが預けられているのだと勝手に思い込んでいたのだが…。

すぐさま船長を捕まえ、「パスポートはどこだ?」と迫る。
彼の答えは「プエルト・オバルディア」。パスポートを忘れてきたらしい。



その後船長は警察を連れて戻ってきた。
この間におばちゃん達は別のボートで島を去っていった。

オバルディアからカルティ島まで7時間。
「今日中に持ってこれるのか?」と船長に尋ねると、「今日か明日」と彼は答えた。
前日オバルディアを発つ前に「パスポートを持っているか?」と何度も確認した事を伝えるが、船長曰く「自分は知らない」。ボートを操縦した男は「忘れたのはこいつだ。自分は関係ない」と責任転嫁。
こちらからしてみたら全く納得できない状況であり、支払った運賃の一部の返還を求めたが、彼は首を横に振り続けた。この後も返還を求め、さらに大揉めとなったが結局戻ってくる事はなかった。
若い警官が「今日中にパスポートが届くようにする」と言い、とりあえずこの場は収まった。


警察が間に入り、「島に滞在中の寝床、食事に関しては彼らが用意する責任がある」と言ったにも関わらず、この昼は一切の食事が出されなかったし、家主不在。
夕方さらに大揉めになった際、この事を警察に告げ、それ以降はレストランで食事ができるようになった。
足止めを食らったというのにボート代の返金もなく、当然ながら彼らの対応には不満しかない。
食事の支払いはすべて船長もちのツケだったので、朝食から夕食まで毎回コーラを頼み、ささやかな反撃をする。レストランの食事に関しては満足いくものだった。

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寝床は船長宅。
階上が宿になっているが、とても汚い。
数カ月も交換していないであろうシーツは中国で宿泊した最低レベルの旅社を思い出す。

バケツシャワーは浴びれたが、この島では主に太陽光発電で電力を賄っており、暇つぶしにパソコンのソリティアで遊ぶなんて事はできない。ハンモックで揺られながら、延々と退屈な時間が続く。

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この辺りの海は透明度が高く、泳ぎたいところなのだが、それはできなかった。
海上に突き出ているのは全てトイレ。
海沿いの家では海上に排便するわけで、こんなところで泳ぐわけにはいかない。

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便が海上に落ちた瞬間、魚が群がってくる。
ここの魚も食べたくないなと思った。

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あまり信用していなかったのだが、警察が「この日のうちに届く」と言ったパスポートは結局来ない。
どうやら警察の船で運ばれてくるらしい。
「翌日12時に来るだろう」と上官は言ったが、やはり来ない。

その際、「昨日は12時って言ったじゃないですか!」と彼に言ったが、「我々にコントロールする事はできないんだよ」と返された。
いや確かにその通りであり、彼らに落ち度は全くないし、本当に良くしてくれているので、時間の事を言うべきではないなと思った。しかしその後も何度か警察に足を運び「17時」「夜には来るだろう」と言われるも、船がやって来る事はなかった。

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ボートに乗った観光客がたまにやって来るような島であり、せっかくなので観光しようかという気になったが、15分もあれば回れてしまう島なので、どうしても時間を余してしまう。

同部屋にパナマ人がいて、彼もまたオバルディア行きボートが出るのを待っているとの事だった。その日数なんと10日。
10日もいてオバルディア行きボートが本当に出ないのか定かではないが、警察も3、4日に1便くらいと言っていた。
オバルディア到着翌日にボートがあったのは運が良かったが、彼らのボートに乗ったのは不運だったなと思う。

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カルティ島に3泊というのは予定外だったが、島に着いてから4日目の朝、警察へ行くと、「船が来るからここに荷物を持ってこい」と上官。
カルティ島からプエルト・カルティへは警察の船で行く事になっているのだ。

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お世話になったレストランのおばちゃんにも挨拶。

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ようやくやって来た警察の船。
そしてパスポートを受け取る。

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トゥルボから乗り継ぐこと4艘目はパナマ警察の船。
陸地では10人くらいの警察が待機しており、敬礼で出迎えた。
パスポートを忘れられるという不幸な日本人旅行者への労いなどではなく、カルティ島から上官を含めて3人の警察が船に乗っていたので彼らに対する出迎え。
「僕も同じように船がやって来るのを心待ちにしているんだ」と若い警官は話してくれたけど、久々の休暇で家に戻ったり、あるいはカルティ島での任期を終えたのだろうか。
家族も出迎えにやって来ていたくらいなので。

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後にその家族から送られてきた写真。
パナマ警察と不幸な日本人。

Carti island 



出航時間がよく分からないので早めに出発準備。
プエルト・オバルディアのメインストリートを歩いていたら、「カルティへ行くのか?」と男に声をかけられ、乗船名簿に名前など書き込まれる。
言い値は145ドルと完全に足元を見ている感じだったが、100ドルしか払わないと言ったらすんなり100ドルになる。

一緒にここまで来たドイツ人は週に数便ある空路でパナマシティへ。
飛行機なら100ドルもせず、ボートより安いし、時間もかからない。何より楽。
自分がボートを選ぶのは空路よりも距離感を感じられるからという理由があるからなのだが、数人いた現地人の乗客はなぜきつく時間のかかるボートを選ぶのか謎。
現地人価格でのボート代が安いからという理由しか考えられないのだけど、後にお世話になった警察からも「100ドルは妥当な料金」と言われた。

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今回のボート。
そういえば前日の移動で何度も腰と尻を打ち付けたため、腰が腫れ上がり、尻にも痛みが残っていた。今回は7時間の移動になる。耐えられるのか?

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オバルディアでは民族衣装に身を包んだクナ族の女性を目にした。
女子プロレスのリングコスチュームみたいだなというのが第一印象。
ボートが波を越え、大きく揺れる度に「ウヒャウヒャ」とかわいい声を上げた。

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乗客。
最後尾にいる男がボートを操縦する。
もう1人の男にパスポートを預けていたので、「ちゃんとパスポート持ってるの?」と3度程しつこく確認。「大丈夫」と言うし、乗客の男も「カルティに着いたら渡される」と言い、何か手続きのために必要なのだろうと思い、その言葉を信じる。

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出航。今回も荷物代は取られず。

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時折島や集落が現れる。

挑戦したいと持っていたカヤックで海を渡る様子を何度もイメージ。
大きな波がある場所では相当厳しく、無理だろと思うのだけど、穏やかな海域、こうした集落のある場所では人力でいきたかったなと未練を感じる。

相変わらず揺れるけど、慣れたからか前日よりましな気がする。
しかし7時間の移動は長い。実際のところ、数人の人から5時間と教えられていたので、余計に長く感じられた。

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途中島にて給油。

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島の風景。

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ボートに乗っていた夫婦はここで下船。
数棟のロッジとヤシの木が生えているだけの島。
そんな島が点在し、それを横目にボートは進んでいく。

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夕方、カルティ島に到着。
大陸本土は目の前であり、この日のうちにプエルト・カルティに行くものとばかり思っていたのだが、「パナマシティー、マニャーニャ(パナマシティへは明日行け)」と言われる。
追加料金なしでプエルト・カルティまで運んでくれるようだし、それに従うしかない。

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2日で計11時間に及んだ長い船旅はひとまず終了。

Puerto Obaldia 

コロンビア・パナマ間は陸続きであるものの、その間にはダリエンギャップと呼ばれるジャングルがあり、アラスカからウシュアイアへと続くパンアメリカンハイウェイもここだけは途絶えている。
10数年前に英国人がここを徒歩で越えているし、サイクリストが通過した前例もある。
以前その英国人カールにダリエン越えの事を尋ねたところ「いくつもの川を越え、とてもハードな行程だった」と彼は言った。
徒歩で道なき道を進む事も可能といえば可能だが、ダリエンにはコロンビアゲリラが潜伏し、リスクは高い。あと多分違法だと思う。


人力にこだわりカヤックで海を渡る事も考えた。

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昨年、知人のチェコ人が自転車をカヤックに積み込んで挑戦した。
パナマからコロンビアを目指している途中、嵐に巻き込まれ、カヤックがひっくり返った結果、パソコンや過去数年の旅の記録が入ったハードディスクを失ったらしい。結局彼はコロンビアに辿り着く前に現地人に助けられた。

このカヤックによるカリブ海越えはとても魅力的だった。
できるかどうか分からない、そんな難題に挑戦心がメラメラと燃え上がるのを感じた。
久々にやる気が漲り、モチベーションはどんどんと高まった。赤道で歩くのをやめ一度は切れていた気持ちを再びつなげられたのはこの挑戦心があったからに違いない。

歩行再開前の1カ月、色々なところに連絡を取り、カヤックが手に入る寸前のところまで辿り着いたが、いくつかの現実的な問題があった。
コロンビアに入国後も引き続き考えたのだが、結局断念する。今もわずかながらもやもやとした気持ちが残ってはいるのだけど、強行しても残念な結果になっていたに違いない。


残された選択肢は動力を使っての空路と海路。
4月上旬にパナマまで130ドルという安いチケットもあったが、海路を選ぶ。
同じ動力を用いた移動でも距離感を感じられると思うので。

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南米大陸縦断を終え、トゥルボで1日休養を取った後、パナマへ船で渡るため港へ向かう。
まずはトゥルボからイミグレーションのあるカプルガナへ。

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チケットは購入済みだったが、問題はこの荷物の多さ。
リヤカー、食料も含め70キロもあり、積み込むスペースがない事を理由に1艘のボートに乗船を拒否された。

「100ミル(約35ドル)を荷物代として払え」と港の職員は言うのだが、人間1人の運賃が60ミルなのに高過ぎる。「25ミルまでしか払えない」と拒否。
もう1艘のボートがあり、この職員が交渉、「金を払っちゃえよ」と別の男も言ったけど、「何とかなるだろう」と楽観していた自分はあえてこちらから何も言わず、傍観していた。
港を離れていく2艘目のボートを眺めながら、「カプルガナへ向かうボートはどれ?」と職員に尋ねたら、「今日はもうない。明日また来い」と予想外且つ無情な返答。
チケットを持っているのに船に乗れないなんて全く考えていなかった。しっかり交渉するべきだったと今更ながら思う。


この辺りにはたくさんの船が停泊していて、パナマへ向かう貨物船もあり、一緒に乗せてもらえないか交渉するも、ダメだと言われた。結局朝出てきたばかりの宿に戻る。
多くのサイクリストは空路、あるいは500ドルもするクルージングでカリブ海を越えている。
このルートを自転車と共に越えたという情報は英語で検索していくつか出てくる程度だったが、荷物代の相場を把握できた。もう少し上積みしないと難しそうだ。


翌日再び港へ。
荷物代として「40(クアレンタ)」と言われたので、40ミル(14ドル)を渡そうとしたら、「違う、40ドルだ」と言われた。昨日より高くなっているではないか。

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出航が迫り、80ミルまで下がったが、50ミルまで値切る。
1人60ミルなのでこれでもまだ高い気がするけど、70キロ、大きな荷物なのでこれも仕方ないのか…。
最悪この日乗れなかったらカプルガナ行きの船が出ているネコクリへ行く事も考えていたので、船に乗れたのは良かった。

船の揺れがすごいという事は聞いていて、船首の揺れがまた激しいらしいのだが、乗船が最後になったので、前から2列目という席。大きな波を越える度に尻が浮き上がり、座席に叩きつけられ、あちこちから悲鳴が上がる。何度も何度も何度も…。
その度に内臓に大きな衝撃を感じ、また途中から首に違和感を覚え始めた。交通事故の衝撃でむち打ちになるのと同じような症状ではないか。これにずっと乗っていたら体を悪くするのは明白だが、カプルガナまで3時間も続き、その後も船旅は続く。
隣のおばさんが連れている犬がうんちをして悪臭が漂う。うんちで汚れた救命胴衣を見て、次にこれを着る人に同情する。

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カプルガナ到着。
バカンスで訪れる人が多く、不便なところにあるくせに思っていた以上に賑わっている。
イミグレへ行くも職員不在で、なんだかんだで2時間もかかってコロンビアの出国スタンプがパスポートに押された。

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パナマのイミグレーションがあるプエルト・オバルディアへのボートはすぐに見つかり、ドイツ人旅行者3人、現地人2人と乗船。ありがたい事に荷物代は取られず。
この辺りは陸の孤島みたいな所なので車はなく、代わりにボートが人々の足となっている。ガソリンスタンドがあったがもちろんボート用。

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1時間でプエルト・オバルディアに到着。
麻薬犬による荷物チェックを受け、パナマ入国。
観光客で賑わうカプルガナと対照的に自分達以外に旅行者はいない小さな村だった。
海辺にテントを張り、リヤカーに付着した潮を洗い流す。何人かの村人にカルティへのボート代について尋ねると、100~120ドルが相場である事が分かった。

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