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ALKINIST -あるきにすと- ホンジュラス

ホンジュラス3日目 



ホンジュラスでも日本の支援で造られた橋を何度か目にした。

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路面状態は前日に比べたらましだけど、路肩はやや狭い。

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ニカラグアから物価が下がったため、自分で昼食を用意する事もなくなった。
昼時のタイミングで食堂が現れるわけではないので、どのタイミングで昼食をとるのか判断が難しい。
常に食事をとれる場所があるとは限らないので、食堂などが現れなければ空腹のまま歩くしかない。
少し早い時間だったが、次の町まで距離もあるし、タコスを食べておく。

水を補給させてもらおうと思ったが、「飲用できる水はない」との事。

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すると隣の自動車整備工場から声がかかり、ミネラルウォ―ターをくれた。
今日もホンジュラス人は優しい。


食後、歩行再開するも、とにかく暑い。
これ以上歩くと危ないと思い、木陰で横になる。

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直射日光を浴びた温度計は40度を指していたが、実際の気温は37度。
この辺りが暑さに耐えられるかどうかのライン。
過去に何度か熱中症を経験していて、数日体調が悪くなり、歩けなくなる事は十分分かっているので無理はしない。
無理したつもりはなかったパナマでも同様の症状になってしまったから何とも言えないのだけど。

その後Nacaome通過。少しでも国境に近付くべく、歩き続けた。
夕方、水場が現れ、水を汲んでいる人がいたので、タンクを持って行くが、「飲めない」と教えられた。
するとそれを見ていた工事現場の作業員が水をたくさんくれた。

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グラシアス。

ネガティブな印象と不安しかなかったホンジュラスだが、人の優しさを感じる事が多く、世界で最も殺人発生率が高いという事実を信じる事ができない。
この国に対する印象は良い意味で裏切られている。


なかなかテント設営場所が見つからないまま歩き続けていたら雨に見舞われた。
雷を伴い、かなり激しい。
バーの前で雨宿りをさせてもらうも、どんどんと時間は過ぎていき、雨が止む頃にはすっかり暗くなっていた。
今夜はどうしようと不安を覚えたが、またまた救いの手が差し伸べられ、隣接する家の屋根下にテントを張らせてもらう。

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ホンジュラスの人には本当に助けられてばかり。
わずか130キロ歩くだけでは物足りず、もう少し歩いてみたいという気持ちも芽生えたが、翌日は予定通り20キロ先のエルサルバドルへ向かう。

そういえば2010年にイスタンブール滞在中、サッカー・トルコ代表の試合を観戦したが、相手はホンジュラスだったと唐突に思い出した。

ホンジュラス2日目 



明るくなり始めた5時過ぎより歩行開始。
一晩足を休ませたのに足が重く、まるで50キロを歩いたような感覚。
昨日暑い中を歩いたからか?大丈夫だろうか?と不安を覚えるが、2時間も歩けば気にならなくなった。

アップダウンが多く、体調万全ではない体には楽なものではない。
幸いにも終日曇り空という絶好の天候だったのは本当に良かった。

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ホンジュラスの道はひどく、穴がいくつも開いている。
中南米はどの国も路面状態は良かったのでダントツのワースト。
道幅はそこそこ広いので、この路面状態は特に歩行に影響を与えるものではなく、ボコボコの道と両脇に鬱蒼と茂る緑の景色はなかなか良かった。

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シャベルを手に道路を補修する少年達を何度か目にした。
賃金をもらって本格的に道路補修しているわけではなく、穴に土を詰めるだけの簡単な作業。

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しかし全くのボランティアでもなく、ここを通過する車に手を差し出し、チップをもらうらしい。

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皆止まる事なく素通りしていたけど。

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しばらく歩くと道脇で肉を焼いていて、多くの人で賑わっていたので立ち寄る。
値段を尋ねると40レンピーラ。格安というわけではないので迷っていたら、「俺が払ってやるから食えよ」と現地人。
ごちそうになるのも申し訳ないので、「自分で払うから大丈夫」と伝える。

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バーカというらしい。
食後、お金を払おうとしたところ、「料金はいただいてるわ」と店のおばさん。

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相席だった人が支払ってくれていたのだった。
ありがとうございます。グラシアス。


ホンジュラス国内での歩行距離は約130キロ。順調なら2日半の予定。
その間にある唯一大きな街Cholutecaを難なく通過。

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53キロを歩いて歩行終了。
警察の駐在所の近くにテントを張らせてもらう。

Guasaule 



コスタリカは快適な道とそうでない道の割合が半々くらいだったが、ニカラグアは90パーセントくらいは快適な道だった。
決して裕福な国ではないので、日本や欧米からの支援で道が造られているのかもしれない。

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日本によって造られた橋は度々目にした。

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ニカラグア最終日なのだけど特筆すべき事はなく、途中民家で水を補給して、あまりに暑いので2度程、頭から水をかぶる。この子達はその家の子供。

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国境まで数キロのところで雨に見舞われ、雨宿り。
この辺りはやたらと自転車タクシーが多く、1人のおじさんドライバーも屋根下に逃げ込んできた。

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ニカラグアとホンジュラスとの国境線は川。
そこに架かる橋も日本の支援だった。

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そしてホンジュラス入り。

インターネットで世界の殺人発生率ランキングを検索すればいくつかのサイトが出てくるが、多少の違いはあれど、ホンジュラスとエルサルバドルは殺人事件の発生率が高い国の上位3カ国に必ず入っている。
世界の殺人発生率 国別ランキング


友人のサイクリストはニカラグアからエルサルバドルまで船を使ってホンジュラスを避けた。
別のサイクリストは「エルサルバドルが危険だ」と判断し、エルサルバドルを避けてホンジュラスをたっぷりと走った。
どちらも安全な国ではないだろうが、人によって言う事が違うので少々困る。

ホンジュラスを回避する事も考えたけど、3日もあれば歩き抜ける距離だし、ルート上に大都市はない。
何よりこの国を見てみたいという思いがあったので、ホンジュラスを歩く事に決めた。

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ニカラグアは意外にも安全だったので、ここからが本当の戦いだと自らを鼓舞する。
本来ならば暗くなってからの越境は避けるべきなのだが、翌朝出入国で足止めされるのは面倒だったので、ホンジュラス入りしたのは日没後の事。

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数軒の安宿があったが、どうせ寝るだけなのだからとテント設営場所を探してみる。
数台のバスなどが停まったよく分からない施設にお願いしたところ、許可をいただけたのでテントを張る。
「2ドル払え」と言われたけど「ない」と答えたら、それ以上何も言われなかった。

テント設営後、国境付近にいる両替商を探して両替。
レンピーラというホンジュラスのお金を得て、食堂にて夕食。
1ドル=22レンピーラ、瓶コーラは11レンピーラ。ニカラグアでは1ドルで3本買えたのに、コーラの値段が上がったのはショック。