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ALKINIST -あるきにすと- ロシア

1ヶ月振りのラフマット 

いざウクライナへ!

ロシア・ウクライナ国境はもう目の前。
意気込んで歩いていると、道脇に停車していたトラックから声がかかった。

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「コシャリ、コシャリ」
飯食ってけ、とトラックに招いてくれたのは、愛すべきカザフ人ドライバー。

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ロシアを歩行中、KZステッカーが貼られたカザフスタンのトラックを何度か目にする事があったけど、こうして声をかけられたのは初めての事。

1ヶ月振りに接するカザフ人に興奮。
「いやーあなたの国では色々と苦労したけれど、本当に素晴らしかった。ハラショー」

しかもこのドライバー、
アルマティ・ビシュケク間で山越えをしているところを見かけたというんだから、尚更嬉しい。
もう5ヶ月も前の話。
そんな彼と、今こうしてロシア・ウクライナ国境で接しているなんて不思議な感じ。

「お会いできて嬉しいです」
と、ガッチリ握手。

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シュムケントからアスタナなどカザフ国内を回り、ロシアへ。
ここまで12日かかったのだとか。
これからウクライナを経て、モルドバへ向かうという彼ら。
仕事とは言え、アジアからヨーロッパへ。
往復1ヶ月にも及ぶロングジャーニー。

スケールの大きい話だと思いませんか?

「ラフマット」

別れ際、1ヶ月振りに使う感謝の言葉。
ウイグル自治区から幾度となく使った懐かしい言葉。

懐かしい響きだと思いながら、ウクライナへと向け歩き始めた。



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<写真>
車輪復活後のリヤカー。
わずか2日でパンクしたりと、悩みは尽きない。
オデッサ辺りでこれまでのタイヤに合った車輪を見つけたいところ。

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<写真>
上海以来の海。
黒海ではなくアゾフ海というらしい。

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<写真>
さらばロシアンポリス。
ロシアではチェックポイントや巡回中の警察により、ほぼ毎日パスポートチェックがあった。
この写真のポリスは大変素晴らしい方々でした。

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<写真>
日没後の越境。
5カ国目・ウクライナへ。
17時30分でこの暗さ、ライトで照らしながらテント設営地を探す。

ヘイリーマムヌーン 

「ヘイリーマムヌーン」

ぼくの口から出た感謝の言葉は、ロシア語のスパシーバでなく、ペルシア語であった。

今回の窮地を救ってくれたのはイラン人。
いや、イラン人だけではない。
イラン人が指揮を取り、アルメニア人がタクシーを呼び、グルジア人ドライバーのタクシーで修理屋へ運んでもらい、ロシア人職人から車輪を購入。
その他、タジク人やベナン人にもお世話になり、国際色豊かなものであった。

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前日の修理屋にて、ロストフのバザールについて教えてもらった。
しかし、ここでは同サイズの部品は手に入らず。
その後もあきらめず、バザール内で聞き込みをしていると、救いの手を差し出してくれたのはイラン人・エーベであった。

彼の指揮の元、上述した方々の助けを受け、

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とても自分一人では見つけられなかったであろう修理屋に辿り着く事ができた。

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何とか車輪を入手できた。

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ただ残念な事に、これまで使用していたタイヤ・チューブとは若干サイズが合わず、
やや小さいものしか手に入らず。
また、亀裂が入ったタイヤ、スポークも1本欠けていたりと、手に入れたものは中古品。

しかしながら苦労の末、ようやく見つけた車輪。
文句どころか、ここまで助けてくれた方々に対する感謝の気持ちで一杯であった。

再びロカ岬を目指し、歩く事ができる。
その事が本当に嬉しかった。


当初予定していたシルクロードルート。
今となってはカザフスタンやロシアを歩き、たくさんの出会い、経験を経て、
このカザフ・ロシアルートを歩く事ができて良かったと思っている。

シルクロードに対する未練など微塵もないのだけど、
こういう形で大好きなイラン、イラン人と出会う事になるとは、おかしなものだなと思うわけです。



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<写真>
車輪を手に入れ、荷物を預かってくれていたロシア人の元へ戻る。
温かく迎えてくれたクーガアスとその友人達。

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<写真>
クーガアスは寝床まで提供してくれ、シャワーにおいしい食事も与えてくれた。
久々に感じる家庭の温もり。

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<写真>
「寒いからこれを着ていきなさい」
別れ際、彼はジャケットを渡してくれた。

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<写真>
クーガアスと母。
車輪トラブルがあって彼らと出会う事ができた。
そう考えると、今回のトラブルも悪くはなかったかなと思える。
ロカ岬に到着した時、思い出すべき顔がまた増えた。

РOСТОВ (ROSTOV) 

昨日素通りしたはずのロストフに戻っています。
ウクライナはもう目の前、
あと100キロほどなのですが、
にも関わらず、ロストフへ戻らざるを得ませんでした。

車輪が壊れました。
ロストフから15キロ地点にてぶっ壊れました。
これ以上先へ進めなくなりました。

カザフスタン辺りから車輪の劣化に気付いていたものの、
部品を交換できないまま、入手できないまま、歩き続けてきました。

ウクライナ・ドネツクで修理するつもりでいました。
ウクライナまで耐えてくれ、
そう思いながら歩いてきた訳ですが、ついにぶっ壊れました。

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数日前、思い切り雪が降りまして、思い切り積もりまして、非常に寒いロシア。
冷たい雨、風が吹きつける中、壊れた車輪を目の前にどうする事もできませんでした。

いや、本当に途方に暮れました。

ヒッチハイクをしてロストフへ戻る事も考えましたが、車は停まってくれません。
これまで嫌になるくらい、「乗ってけ、乗ってけ」と声をかけられてきましたが、
こういう肝心な時に、そんな声はかからず・・・。

しかし、ヒッチハイクをしたところで、50キロはある装備品、動かないリヤカーを持ってロストフまで戻ってもしょうがない。
このロストフって街には安いホテルがないし、大量の荷物を抱えて戻ってもしょうがない訳で。

結局、ガタガタ、ボロボロの車輪で2キロを無理矢理歩き、何とか住宅地に到着。
幸運にも親切なロシア人と出会う事ができました。
とりあえず現在、彼の家に荷物を預かってもらっています。

この町の修理屋へも連れて行ってもらいましたが、車軸のサイズが合わず。

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ロストフで同じサイズの部品を見つけられるかも確かでない。
ロストフがダメなら、40キロ先の таланрол(タガンログ)へ行きますが、ここでも部品を見つけられなかった場合、どうするか正直分かりません。

とりあえず今夜は24時間営業のインターネットカフェで夜を過ごします。
日本語を打てないどころか、読めないんですが、外は雨、とても寒い。

寒く長い夜。

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バスターミナル周辺は危ない雰囲気だし、夜の街を出歩くのは避けたい。
無難にこのネットカフェで夜を過ごします。

ロストフの今夜の気温を調べてみたら-2度から-7度らしい・・・。

(ロストフにてローマ字で打ったものを日本語に修正)

初雪 

授業中、教室の窓から見たパラパラと空から舞い落ちる雪。
運転中、車の窓に落ちてきた小さな結晶。

初雪って言うと、まずはご挨拶とばかりに、どこか遠慮がちに降る、
情緒あり、風情のあるものだと思っていたのだけれど。

さすがはロシア。
ロシアの初雪をなめちゃあいけません。

朝、テントから出てみると、前日から大きく変わった景色。

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一面銀世界。

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テント周りもご覧の通り。

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延々と振り続ける雪。
寒いし、冷たいし、視界も悪いし、
天候の回復を待つ事にし、一日テントで過ごす事を決める。

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ニット帽や手袋を出し、慌しく冬支度をし、
バックパックに入れたままの文庫本を読み、
ストーブのメンテナンスをする。

あと10日、いや1週間もあればウクライナへ抜けていたのに、
と予定外の大雪を恨む一方で、
この国の厳しい季節を垣間見れた事は、本当に良かったかなと。
降り続ける雪を見ながら、そんな事を思う。



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<写真>
翌日。
天候の回復どころか、雪は降り続け、状況は悪化。
ここに居てもしょうがない、と60キロ先のロストフを目指す事に。

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<写真>
何をしているのかと言うと・・・
リヤカーが雪に埋まり、動けなくなったのです。
ここら辺が特にひどく、ひざ位までの高さがあった。

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<写真>
この日はロストフ手前まで50キロ歩く。

Arrived at Russia 

ロシア入国から12日。
現在、カルミキア共和国エリスタに滞在中。
写真はカザフスタン。
まあ疲れましたわ。

たくさんの安否確認メールありがとうございました。

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川越えて欧州 

カザフスタン側での出国手続きを終え、ロシア側イミグレーションへと向かう。

今歩いている所はどちらの領土にも属さない緩衝地帯なのだろうか。
そんな事を思っていると、どうやらここまでがカザフスタン領土らしい。

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橋の手前に建つ「0」の標識。
この標識、ここからアクトベまでの距離を示すもので、
ぼくがこの道を歩き始めたカンドゥアガシュではこんな感じだった。

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右側がアクトベへの距離、左側が国境への距離。
我ながらよく歩いたものよ。


そしてこの標識の先に架かる橋。

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対岸にはロシア国旗を掲げた小さな詰所。
ここがカザフスタンとロシアとの境界。
もっと言えばアジアとヨーロッパとの境界。

およそ3ヶ月かけて歩いてきたカザフスタンがここで終わり、
上海から10ヶ月、8000キロ超にもおよんだアジアの旅がここで終わる。


「サヨナラ アジア」


妙な緊張感を感じながら、ヨーロッパ側へとぎこちなく、一歩踏み出した。
カザフスタンが、アジアが終わってしまう。
少しばかりの寂しさ、溢れるくらいの嬉しさ、何とも言えぬ達成感、色々な感情がごちゃ混ぜになりながら、一歩、さらに一歩と歩を進めた。

橋を渡りながら何度も後ろを振り返った。
視線の先には数ヶ月かけて歩き抜いた広大なカザフスタンの地、
上海から10ヶ月かけて歩いてきたアジアの地。

そんな風景を眺めていると、自然とアジアでの歩行が思い出される。
これまでの10ヶ月、お世話になった人の顔が浮かんでは消え、出発の地・上海、あるいはきつく、つらかったカザフスタンでの歩行を振り返る。

お世話になったあの人達にアジアでの歩行を終えた事を伝えたい、
そんな事を思った。


急に何かが込み上げてきた。
どう表現すべきか分からないけれど、熱い感情。
橋を渡り終えた先にはロシア側の詰所があるので、泣かない様にしようと思ったのだけれど、後ろを振り返る度に、あるいはこれまでの10ヶ月を振り返る度に、熱い感情が込み上げてくる。

この感情、
達成感と言うのか、あるいはまた別の何かか、自分でも判断できないのだけれど、
悲しいとかつらいとかというものではなく、嬉しさのみ。
アジアを終えた事、カザフスタンを歩き抜いた事。
どちらかと言えば、後者に対する嬉しさだった。


炎天下の中での歩行、熱中症にダウンする事2度、
無人の砂漠では車輪トラブルにより遭難しかけ、
数百キロに及んだ悪路を歩き抜き、
草原で大雨に打たれ、あまりの寒さに体を震わせ、
尻に注射を打たれたりと、
この2ヵ月半、かなり苦労したので。

そして何よりカザフ人に対する感謝。
幾度となく受け続け、すがり続けた彼らからの親切、助け。
彼らの助けなしではこのカザフスタンの地を歩き抜くなど、到底不可能だった。
そんな事を振り返っていると、熱いものが込み上げてきたわけです。


そしていざ対岸へ。


「ここロシアですか?」


欧州での第一声は何とも間抜けな質問となってしまった。
そんな事分かっている。
ここがロシアであり、欧州である事など分かりきっている。
けど、尋ねずにはいられなかった。

「そうだよ」

と、詰所のロシア人職員は予定通りの返答をしてくれた。


川越えて欧州。

ヨーロッパでの歩行が始まった。