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ALKINIST -あるきにすと- 2010年03月

イスタンブール35日目 

ギリギリにならないと、追い込まれないと準備しない人間でして。

5週間も滞在しておきながら、歩行再開に備えた準備など全くしてなく、慌しい一日。
誤って欧州地図を日本に送付してしまった事に気付き、地図探しから一日が始まった。

スルタンアフメットの書店で見つけた地図は20TL(約10ユーロ)。
これまで使っていたミシュランマップと比べれば、精巧とは言えず、また高くもあり、その後も地図を求め、書店を巡っていると同じものが12.5TL。
やや雑だが、スルタンアフメットのぼったくりに比べれば納得の値段なので購入。

地図を入手した後は食料。
これまでいくつかのスーパーをチェックしたが、どの店にもインスタントラーメンはなく、缶詰もやや高め。これまでのようにハム、チーズを買ってサンドウィッチを作ろうにも、春の訪れと共に気温は上昇、常温保存できるものでもないのでそれもできず。

これから何を食べればいいのでしょうか。
真剣に悩んでます。

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とりあえず米など適当に購入しておく。

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バザールの日本語ペラペラのトルコ人、取材してくれた記者の方々、毎日通ったドネル屋など、今回もたくさんの出会いがあり、お世話になった方々に出発のご挨拶。
5週間お世話になった宿のスタッフとも写真を撮る。

そのうちそのうちと思っていたら、あっという間に歩行再開前日。
やってない事がたくさん。やり残した事も少々。
洗濯物をため込んだまま、イスタンブールを去る事に。
あーガラタ塔へ登るのも忘れてた。

しかし充実した5週間でした。
やり残した事もあるけれど、また再訪する理由ができたと考えよう。
また再会したい人達もできた事だし。

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明日より再び西へ向かいます。

郷愁 

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この街にどっぷりと腰を落ち着かせること、およそ1ヶ月。

これまでもビシュケク、オデッサ、ブルガスでそれぞれ1ヶ月程足を止めざるを得なかったのだけど、それらとは全く異なるイスタンブールでの1ヶ月。

心底安らぐというか、落ち着くというか、安堵するというか。
もともとイスラム好きであり、トルコも好きな国の一つであり、また7年振りの再訪であったり、いくつかの要因があるのだけど、日本との距離というのもその一つ。
距離といっても何キロあるとかそういったものでなく、感覚的な距離。

見渡す限り地平線、延々と乾いた大地が続いたカザフスタンでの歩行。
あの時はまるで別の惑星に来たかのような気さえしたのだけど、さらに遠く離れたここイスタンブールでは日本という国が身近に感じられる。
中国以降、キルギスでもカザフでもその他欧州の国々で全く感じる事のできなかった日本という国が身近に感じられ、そしてそんな現在の環境がとても居心地良く思えるのです。

スルタンアフメット周辺を歩けば、連日日本人旅行者を見かけ、それどころか日本語を話すトルコ人もたくさんいて、日本食レストランもいくつかあって、旅行代理店では日本行き航空券が売られていて。
これだけたくさんの日本人を見かけるのは上海へ向かった時の蘇州号以来かと。

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<写真>
大阪まで423ユーロ、約5万円。


ガイドに先導されながら歩く日本人ツアー客と擦れ違えば、「この人達は数日のうちに日本に戻るんだろうな」とか「14ヶ月歩いてきた道を飛行機で10時間弱で帰るのだな」などと色々と思いを巡らしてみたり。

わざわざ話しかけるなんて事はしないもの、同胞が、日本語で話せる人間がすぐ側にいるという事に安心感を感じる。イスタンブールまでの14ヶ月、大半を独りで過ごし、日本語などほとんど話す事がなかったので尚更そんな風に感じてしまって。


これまで感じる事のなかった感情。
これを郷愁というのだなと、宿のバーでビールを飲みながら一人納得する。



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出発間近 

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1ヶ月も滞在していれば、宿のトルコ人スタッフともすっかり仲良くなり、顔を合わす度に「トモダチー」「ゲンキデスカー」と声を掛けられる。

安宿とは言え、一応はゲストなのだけど、「タバコをくれ」「コーヒーを飲ませろ」となぜかゲストの自分がスタッフにコーヒーを入れ、もてなしてやる事にもなる。

さらには予約を過剰に受け付けたせいでベッドが足りなくなり、同じくロングステイ中のジョンレノン風欧米人(以下ジョン)と共に「部屋を移れ」と独房のような一室に移される事にもなる。

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非常に狭く、窓もなく、さらには寒く、衛生上よろしくない環境。
中国でもこんな部屋に何度か泊まったなと思い出す。

ジョンはいつもこの狭い部屋にいて、ベッドでPCを広げ、アニメサイトにアクセスしていた。
腕にいかついタトゥー、ピアノを弾きながらイマジンを歌ってそうな風貌なのだけど、彼が睨んでいるモニターには秋葉原にありがちな美少女系のアニメキャラが常に映っていた。
そんなジョンが「この部屋のせいで顔が痒くなった」と言い残し、元いたドミトリーに戻っていったのが昨日の事。

色々と不快な条件が揃ってはいるものの、快適なシングルルームへと変化した。

この宿で過ごすのもあと数日。
あっという間の1ヶ月でした。




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再会 

「イスタンブールにいるの?うちらもいるんだけど」

昨夜、メールをチェックしてみると、そんな内容の英文メールを受信していた。
差出人はピーター。正直なところピーターだけでは誰か分からなかったが、メールを読み進めていけば、彼の妻である「サラ」という名前、さらには「ビシュケク」「Nomad's Home」と懐かしい言葉が続き、すぐに彼らの顔を思い出した。

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ビシュケクで出会った英国人ピーターと米国人サラ夫妻。

旅行者と出会う事がほとんどない今回の旅。
そんな旅の中、2週間という長期に渡り、同じ宿で共に過ごしたのは彼らくらい。
毎日宿の共用スペースで顔を合わせ、何か話をしていたくらいで、わざわざ特筆するほどの彼らとのエピソードはないのだけれど、ビシュケクでの日常、何気ない日々を思い返す時に真っ先に思い出す顔とでもいうか、最も強く印象に残っている旅行者の1人でもある。

そんな彼らが今イスタンブールにいるらしい。
翌日の夜、ギリシャへ向かうのだが、それまでにもし会えるなら電話してほしいと携帯電話の番号が書かれていた。

彼らと再会できるのは今日一日だけ、しかも夜までという制限つき。
早速電話をし、彼らの滞在するエリアにて待ち合わせをした。


まず、1人でやって来たピーターとビシュケク以来、約9ヶ月振りの再会。
自然と顔がほころび、ガッチリと握手。

チャイを飲みながら互いのビシュケク以降の旅について尋ね合う。
メールで連絡を取り合っていたわけでもなく、ビシュケク以降の話はお互い全く知らない。

「やはり歩いてここまで来たの?」
「ロシアを歩いた?どうだった?」

思えば彼らとビシュケクでの日々を過ごしていた頃、今後のルートに頭を悩ませていた。「ロシアへ行きたくない」などと愚痴ってると、「ウズベキスタンは楽しいよー、ロシアは寒いよー」と笑いながら誘惑してきた事を思い出す。
ウズベキスタンビザを申請した事を告げれば、「よしっ」と彼は納得した顔をしたけど、ぼくは結局カザフスタン、ロシアを歩いた。

こちらとしても色々と尋ねたい事があった。
何よりサラの事。

ビシュケク滞在時、サラは妊娠していた。

「お産のため里帰りさせていただきます」

日本人ならこんな事を言うかもしれないが、サラは旅中に旅先で出産する事を選んだ。
ビシュケク滞在時、「とりあえずイスタンブールへ向かい、さらに医療水準の高いフランスで出産する」と聞いていた。
それだけに彼らが今イスタンブールにいる事が不思議だったのだが、話を聞いてみて納得。彼女が出産する場所として選んだのはまさかのインド・ゴア。
勝手な先入観ではあるが、インドの医療水準って高いとは思えないのだが、彼ら曰く「ノープロブレム」。
1月に出産し、2週間前にイスタンブールへ着いたらしい。

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遅れてやって来たサラの胸には生後2ヶ月の娘レイラが抱かれていた。
あれから9ヶ月経ち、ビシュケクで出会った夫婦に新たに娘が加わった。

ピーターと再会し、すぐに尋ねられたのは、「タバコはまだ吸ってるのか?」という事。
ヘビースモーカーだったピーターは娘の誕生を機にタバコをやめたらしい。

チャイを飲みに立ち寄ったカフェで泣き出した娘をあやす姿は、9ヶ月前に見られなかった父親の姿だった。
「もうドミトリー(相部屋)には泊まれないよ」と笑いながらピーターは言った。

ビシュケクから9ヶ月。
この間、色々な変化を感じ、触れてきたけど、
彼ら一家に訪れた変化、
新たに娘が加わり、父となり、母となる。
最も嬉しい変化でした。

心からのコングラッチュレーションをもう一度。

3度目 

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またまたアジア側へ行ってきた。
3度目です。

またまたライターを没収された。
3度目です。



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<写真>
何者かは分からぬが有名人らしい。

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<写真>
激写。名前聞いたけど忘れた。

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<写真>
前列は車椅子の方々のためのエリア。
試合前はボールを客席に蹴り込むサービスもあります。

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ジプシーのせいで2400円費やした 

ウクライナでジプシーに荷物を盗まれたものの、ウクライナ警察のおかげで大半のものは戻ってきた。
しかし、いくつか戻らなかったものもあり、日本から送ってもらうこととなった。

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わざわざ日本から送るまでして、
コアラのマーチなど食べたいわけでなく、
グリコやミルキーなどほしいわけでなく、
マイルドセブンなど吸いたいわけでもなく、
でもたけのこの里はちょっと嬉しくて。

必要なものも無事受け取った。

ジプシーさん、あなたのせいで2400円も費やしてしまいましたよ。

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せっかくなので7年前、イスタンブールで撮った写真も送ってもらった。
頼んでもないのになぜかうちの犬の写真まで同封されていた。

もやもやしながら準備中 

最近やたらと日付を気にするようになった。


学生時代、夏休みが終わりに近付くにつれ、憂鬱な気分になった。
社会人時代も年末年始の休み、夏休みが終わりに近付くにつれ、ため息の数が増えた。

まさにそんな感じ。
イスタンブール滞在が終わりに近付いている。


上海からの14ヵ月半というのは自分のやりたい事をやっているわけで、非常に贅沢な時間であり、長い長い休暇みたいなものなのかもしれないけど、40-50キロ歩く日々、テントで寝泊りする日々から解放され、宿に泊まって食って寝て、自分の好きなように時間を使える現在っていうのは、学生時代、社会人時代の夏休みみたいなものなのだ(一応療養中)。

これまでもビシュケク、オデッサ、ブルガスで長いこと足を止めたけど、いたくていたわけではなく、それぞれに理由があってのロングステイだった。
現在もまた療養という名目があるにせよ、イスタンブールには自ら望んでの滞在。毎日が楽しい。本当に楽しい。

どっぷりと腰を落ち着かせているうちに、歩行意欲は失せ、出たくない、歩きたくないとそんな風に思うようになった。モチベーション低下中、そりゃ楽な方がいいですから。
歩行開始日が近付くにつれ、もやもやとした気分になり、日付を確認する度にうんざりとした気分になる。


しかし、ぼくは歩かないといけない。


うんざり、もやもやなどと言っているけど、歩き、テント張る日々も嫌いではないし、むしろ好きだし、好きじゃなきゃ11000キロも歩けないし、この憂鬱な気分は一時的なもので、歩き始めればすぐに気持ちを切り替える事ができるはず。

イスタンブールではいくつかやらないといけない事があり、それらに全く手をつけていなかったので、歩行再開に備え、少しずつ準備をしている。

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まずは名刺作成。
歩行中に出会った人、お世話になった方々に渡そうと、日本から500枚の名刺を持って来ていたものの、ウクライナにてなくなる。
ファティさんに名刺作成会社をご紹介いただき、現在作成中。
写真を使って凝ったものを作ろうと思ってたけど、面倒なのでトップ画像をそのまま使用し、手抜き。

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マットや工具類も揃えた。
マット(12TL)、ゴムひも(2TL)、スパナ(4TL)。

地面に石があってゴツゴツしていようが、かまわずその上にテントを設営し、眠ってきたが、さすがに雪上、コンクリート上は地面に体温を奪われ、シュラフの中に入っていてもきつかった。
今後雪の心配をする事はないのだが、一応購入しておいた。別の店では安いものでさえ19ユーロ(約38TL)もしたので12TLなら悪くない。以前使っていたものより厚い。


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髪も切った。
1月頃から切ろうと思っていたが、ようやく切る事ができた。
床屋を見つける度に料金を尋ね、最も安かったカシムパシャにて。
中国、キルギスに続き、この旅3回目。ビシュケク以来なんで8ヶ月振りです。
これまでイラン、グルジア、エジプト、イエメンでも散髪。
海外で髪を切るのは楽しく、また怖くもあり。
イラン、イエメンはひどいものだった。

証明写真を見せ、「こんな感じで」とお願いする。
伸び放題の髪にザクザクとハサミをいれ、髪がどんどん落ちていく。
珍しい日本人の客だからか、外から数人のトルコ人が笑いながら眺めていた。
「チャイを飲むか」との誘いに頷けば、すぐに隣のチャイ屋からチャイが運ばれてきた。
散髪を中断してのお茶の時間にトルコらしさを感じる。
「もっと短くしてほしい」とジェスチャーでお願いし、随分とすっきりとした。
言葉通じずとも何とかなるものだ。


あとはできればシートを買い替え、食料を揃え、デジカメデータをDVDに焼いて、日本に荷物を送って、日本からの荷物を受け取ってと、まだまだやる事は多い。
歯医者を予定してたけど中止。


学生時代、社会人時代の夏休みみたいなもの、と例えたけど、それらと違うのは、始業日を遅らせる事ができてしまうという事。歩行開始日を予定より遅らせる事ができるという事。

宿代をさらに3泊分支払って、4月1日からの歩行再開を予定。
年度始めに新たな気持ちでというか、もう3日グータラというか。
どちらかと言えば後者かな。