ブックマーク
ALKINIST -あるきにすと- 2010年09月
FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アメリカ外務省は「NO」と言った 

斜体文もうほとんどあきらめつつ、でも未だにしぶとくアメリカビザ取得の可能性を探っていたのだけど、アメリカ外務省から返答が来たのは数日前。


「アメリカ国内、カナダ、メキシコでのビザ取得は不可能」との事。


今はフィラデルフィア日本人会・名誉会長を通し、移民関係の弁護士に最後の可能性に賭けているところ。あらかじめいい返事は期待できないと言われているけど。

このビザ取得の件で多くの方々にご尽力いただき、こういう風に言うのはどうかとも思うけど、正直ビザ取得の可否などどうでもいいです。
そんな事よりも、このビザ取得を通じ、多くの方々と出会い、親身になって色々と考えてくれ、助けていただいたという事に心からの感謝を。本当にそれだけで十分です。


ビザ取得不可となった場合、オーバーステイしてまでアメリカを歩く事はありません。
法を破るというのは避けたいし、リヤカーを引く姿はどうしても目立ってしまい、フィラデルフィアから1日半歩いただけで、すでに職務質問を2度受けていて、日本の住所を2度も書かされていて、とてもオーバーステイしながら歩ける状態ではないのです。
今後何回声をかけられる事か。アメリカの警察は働き者なのです。

「アメリカ人と結婚すれば好きなだけアメリカに滞在できるよ」とも言われたけど、答えは「ノー」です。

11 September  

当初の予定だと、本日9月11日前後にもカナダ入国のつもりだったけれど、ホームステイというか居候生活は続いていて、15日目。もう数えるのも面倒になってきた。

IMGP9023_convert_20100912045053.jpg

リスボンからロンドン経由でフィラデルフィアへ向かう機内。普段飛行機に乗って緊張する事などないのだが、緊張とか不安とか全くなかったと言えば嘘になる。
機内持ち込み荷物にしても、規制が緩和されたのか、持ち込み不可だろうと思い、チェック前にあらかじめライターを職員に渡すも、リスボン、ロンドン共に「問題ない」と返された。
ロンドン行きはまだしもアメリカ行きの便は本当に問題ないのかね。

アメリカ行きという事で、頭の片隅にはあの9.11の事があり、どうしても意識してしまう。


フィラデルフィアが近付き、着陸態勢に入った時、前方に座る乗務員の眼光がとても鋭く、思わず目を逸らした。別に悪い事をするつもりなど全くないけど、彼の鋭い眼光を見ているだけで重たい気分になった。
そう言えば、機内食など配られる際、ふと横を通過した彼の腕を見れば、鍛え上げられたかのような立派な腕で、もしかしたらアメリカ行きの乗務員は特殊な訓練を受けているのではないかと、そんな事を思った。
飛行機が無事着陸し、機内ではどこかの大学のサッカー部の集団の拍手が響き渡った。
無事着陸して拍手なんて、これもまた初めての事。


2001年9月11日、ぼくはカンボジアにいて、ゲストハウスのテレビに映る旅客機がビルに突っ込む映像を何が起こっているのかよく分からぬまま眺めていて、すぐ側で欧米人女性が泣いていたのを今でもはっきりと覚えている。
英語のニュースからは完璧に状況を把握できないので、その後バンコクへ戻り、日本の新聞が置かれた日本食レストランへ毎日通い、何が起こったのかをしっかりと理解し、状況を把握した。
日本への帰路、エアインディアというインド系航空会社を利用したのだけど、当時はターバンを巻きヒゲをたくわえたインドのシーク教徒とムスリムの区別がつかず、何人かのシーク教徒が乗る飛行機でややびびりながらの帰国となった。


あれから9年、2010年9月11日、ぼくは今、同時多発テロが起こったアメリカにいて、9年という年月を振り返ったり、色々な事を思うわけです。


たまに「言葉が通じない中、現地の人達とどうやってコミュニケーションをとるのか?」と尋ねられるけど、ここまでアメリカも含め21カ国、16000キロ歩いてきて、多くの人達と出会い、接してきて、肌や目の色、宗教に文化、言葉、国籍や民族が異なっても、根本的な部分、人のやさしさというのは皆同じもので、言葉が通じなくても何とかなるもので、現地人の家に泊めさせてもらう事も何度もあったし、助けられ、救われた事など数え切れないくらい。たくさんのやさしさに触れてきてた。
言葉通じぬとも彼らの笑顔、やさしさは同じものだった。

今一度そんな事を思い、平和について考え、祈る9月11日。

アメリカでユーラシア徒歩横断のお話をさせていただきました 

IMGP8997_convert_20100909024624.jpg

ご縁があって、昨日、フィラデルフィアのJapan America Society of Greater Philadelphia Japanese Conversation Clubにてお話をさせていただきました。

正直なところ、580日費やして16000キロ歩いたとか、そういった数字だけ見れば大きなものにも思えるけれど、ぼくからしてみれば一歩一歩足跡を残してきただけで、それは日々の日課、生活でしかなく、人様の前でお話をするなどとんでもない事なのですが、せっかくの機会なのでフィラデルフィアへ出向いてきました。


形としては、お母様が編集してくれたスライドショーを見た後、ユーラシア横断の話、今後の事などについてお話させていただくというもの。

自分が撮った写真を絶賛するつもりはないものの、スライドショーはとても素晴らしく、お母様の編集のおかげでハラショーなものに出来上がっていました。
こちらの方々に見ていただくために準備したものなのだけど、上海からポルトガルへ至るまでの記録に思わず見入ってしまいました。

で、肝心の話の方は非常に悪い出来でした。プローハです。
ちなみにロシア語でハラショーはグッド、プローハはバッドです。

要点をまとめるとか下準備一切してなかったというのも大きいけれど、話が行ったり来たり、全くまとまっていませんでした。申し訳ないです。
日本語で話したものを、日本語堪能なヒロシ氏(本名マイク)が、その都度訳すという形で、アメリカ人相手だったのでまだごまかしが効いたものの、これが日本人相手だったら本当にひどいものだったと思います。

ただ、母国語である日本語で説明するという事はこれまでなく、それを通して旅の目的や意義、得たものなど、色々な事を振り返り、再確認する機会を与えてもらえたような気がします。
いくつか質問を受け、それに返答する際、考え、口に出す事で改めて自分の考えなど知る事ができました。これは本当に良い機会でした。

ぼくの話はプローハですが、ここでの出会いはハラショーでした。
これもまた一つの成果であるかなと思います。彼らもまた歩いていなければ出会えなかった人達なので。


なんだかんだで1時間くらいペラペラと話してましたけど、話が本当にメチャクチャで、「もう絶対人前では話さない」と途中そんな事を思いながら話していましたけど、今度はお世話になっているお母様の学校で話をしろとの事。
今度はしっかりと要点をまとめ、ハラショーなものになるべく準備します。

ALKINIST English Version 

ALKINIST English Version Click here !!!
(http://alkinist2.blog135.fc2.com/)


ホームステイ11日目。
特に書くことはなし。

これまでも歩行中などに出会った方々から「ウェブサイトはないのか?」と何度も尋ねられて、その度に「ソーリー、オンリージャパニーズ」と答えてきたけど、今お世話になっている家のお母さんが「英語版のサイトを作れ」と言うので作る事にしました。
さすがにこれまでのものを全部英訳するのはかなりの時間を費やす事になるし、そんな語学力もないので、写真に適当な英語のキャプションを付けるだけだけど、まあ飽きるまで頑張ります。

ホームステイ7日目 

ホームステイ7日目。
当初は2,3泊の予定だったのだけど、気付けばもう1週間。
これはホームステイというのか、それとも居候というべきなのか、自分でもよく分からないけど、あまりに居心地が良いのでどっぷりとつかっています。

IMGP8977_convert_20100904015945.jpg

9月に入り、美術の先生をしているお母さんの仕事も始まり、お父さんも仕事。
日中は吠えるけど噛まない13才の老いた番犬とお留守番。


ユーラシアでも色々な国々で現地の方のお宅にお世話になったけど、1週間もの滞在は間違いなく最長滞在。
彼らと別れた後も、日本に帰国後も、ずっと関係は続いていくであろう家族。

これまでも各地で色々とお世話になりながら幾度となく思った事だけど、荷物満載のリヤカーを引いた怪しげな東洋人であるにも関わらず、こうして家族の様に温かく迎えてくれた事は本当にありがたいです。
一人で歩き、一人で食べ、一人で寝て、何をするにも一人なので、こうした人、家族の温かさは尚更温かく感じられ、ありがたく思えるのです。
そしてそれは歩いていく上で大きな力を与えてくれるのです。これまでもこれからも。


本当はそろそろカナダ方面へ出ないといけないのだけど、来週、予定ができたのでもう少しお世話になります。
冬前までに歩ける距離、行ける所は限られてるし、多分北米はスローです。

ホームステイ中 

ホームステイ5日目。
未だにアメリカ人のお宅でお世話になっています。

IMGP8964_convert_20100901224825.jpg

アメリカに90日しか滞在できない事、これからカナダへ抜ける事を話すと、北米徒歩横断という目的に賛同、理解してくれ、さらには北米の厳しい冬を知る彼女は「アメリカビザ取得すれば比較的温暖な南部を歩ける」と、色々なところに連絡を取ってくれ、たくさんの時間、労力を費やし、本当に尽くしてくれました。
日系人や日本大使館とも話をし、「アメリカのビザ制度はおかしい」とホワイトハウスにもメールを送りつけました。
ビザ免除プログラムで入国後、新たにビザを取得したり、滞在期間の延長は不可能とは知っていたけど、大使館の方曰く「非常に難しい」との事。
「彼らはプロフェッショナルだから」と、ビザエージェントに依頼する事も勧められたけど、お金も時間もかかり、ビザ取得できるかも不確かであり、予定通り北へ進む事になりそう。

アメリカビザ取得はならなかったけど、本当に感謝です。


ちなみにカナダへ抜けた後、アメリカへ戻るのはほぼ不可能になる。
オタワのアメリカ大使館でのビザ取得も在留者以外は不可能。ビザ免除プログラムでの入国も帰路の航空券が必要であり、さらには陸路での入国も認められていないのです。

以上の事から普通に観光目的での滞在ならともかく、長期に渡っての徒歩横断など、とてもハードルが高く、厳しいものだと分かると思います。

今後は6ヶ月滞在でき、延長も可能なカナダへ向かうものの、どう歩くかは大雑把にか考えていなくて、トロントに寄る事も考えてはいたけど、人口250万人、都市圏の人口は500万人を超えるカナダ最大の都市なだけにあまり気は進まず。
とりあえずサンダーベイ、できれば降雪前にウィニペグまで歩きたいなと。

「冬季は、極北地域を除き北アメリカで最も寒い都市である。1月の平均気温は-17.8 ℃であり、-40度以下まで下がることも珍しくないなどアラスカのアンカレッジよりはるかに寒くなる」

調べてみればウィニペグも恐ろしく寒そうな所で、越冬も考えています。
というのが現在の状況。

IMGP8961_convert_20100901224704.jpg

今お世話になっている家では本当に良くしていただいて、「ここはあなたの家だから好きなようにしなさい」とも言っていただいて、北米ではこういった温かな出会いを期待していなかったので、偶然とも必然とも言える出会い、この家の方々の温かなもてなしにただただ感謝するばかり。
おばちゃんとサイクリングしたり犬の散歩に出かけたり、ゆっくりとさせていただいています。

おかげで北米徒歩横断のスタートは素晴らしいものとなりました。
とは言ってもまだフィラデルフィアから70キロしか歩いておらず、こちらでもう少しお世話になった後、カナダを目指して歩行を再開します。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。