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ALKINIST -あるきにすと- 2011年03月

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そろそろ歩行再開 

夕食にカレーを作って食べました。
北米に来て以来、チャイナタウンやアジア系スーパーで日本食を手に入れるのは容易で、もう10回くらいはカレーを食べているのですが、当たり前になってしまい、何のありがたみも感じられません。
ユーラシア大陸横断後、リスボンの小汚いアジア食品店で見つけたカレールー。
確か5ユーロ位して高かったけど、ユーラシア大陸横断を祝して久々に食べたカレー。
あの時のものと比べると天と地ほどの差があります。いや大げさでもなんでもなく。


サブウェイとかマクドナルドとか、ファーストフードもたまに食べます。
延々と無人の荒野が続いたカザフスタン。
いつも腹を空かしていました。
歩きながら頭の中で日本に帰ったら食べたいものリストを作ってみたり、あの時は本当にひもじかったです。
ちなみにあの時最後まで頭から離れなかったもの、食べたかったものは赤福でした。
そんな食べたいものリストの中にマクドナルドがあって、その2ヵ月後、ロシア・ロストフで見つけたマクドナルドには本当に感激しました。
今は街を歩けば腐るほどマクドナルドがあります。何も感じません。


WiFiがそこら中飛び交ってます。
宿はもちろん、ファーストフード店とかコーヒーショップへ行けばインターネットに接続し放題です。非常に便利です。
しかしカザフスタンの無人地帯で2ヶ月くらいネットから遠ざかり、家族や友人から安否確認のメールが入りまくってたあの時。
エリスタでようやくネットがつながったあの感動と感激など感じられるはずもなく。


この数ヶ月、雨風をしのげる建物の中で暮らしています。
トイレも水洗です。トイレットペーパーも流せます。
スイッチひとつで明かりが灯せます。
ネオナチとか強盗とか、そんなものに注意する必要もありません。
街を歩いてみれば話しかけてくるのもホームレスくらいです。


何不自由ない環境、モノに囲まれ豊かなようにも思えます。
多分それは幸せな事なのだと思います。
しかし気が付けばモノにしてもインフラにしても、「ある」という事が前提になっていて、時折それがものすごく窮屈なものに感じられるのです。
かつて何もなかった頃、色々と不自由しながらもようやくそれを手にした時の感動、感謝の気持ち、そんなものはここにはありません。何も感じられません。
不感症になっているとでもいうのか、感情などが麻痺しているとでもいうのか。


もうそろそろこの生活にも終止符を打たねばと思っています。
また何もない生活に戻って、たまに触れる文明にウギャーっと感動し、感謝する日々を送りたいのです。色々なものを感じたいのです。
少し足りないくらいがちょうどいいのかも知れません。


歩行再開は5月上旬の予定。

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パソコン買いました 

日本を出発して以来、愛用してきたパソコンが壊れたのは先日の事。
確かにUSBポートが米国辺りから不調だったのだけど、インターネット接続に関しては全く問題はありませんでした。壊れたと前述しましたが壊しました。ごめんなさい。

正直なところ、必ずしもパソコンが必要なわけではなく、新規購入するかやや悩みました。
パソコンとか携帯電話とか、便利な時代になってはいるものの、確実に失われているものもあります。それが何なのか自分でもよく分かっているつもりです。散々パソコンの恩恵に授かりながらこう文句を垂れるのもどうかと思いますが。


とりあえずパソコンを新規購入する事にしたのはちょうどこの時東北関東大震災発生直後で情報収集をしたかったから。NHKや民放の放送をネットを通して見続け、その他ウェブ上でニュースをチェックしていました。

あとはやはり仕事が休みの日など宿に引きこもり、ベッドの上でネットサーフィンをするのが好きだからです。
よくアウトドア好きと勘違いされますが、基本的にはインドアの引きこもりなのです。


早速、ネットでトロントの電気屋をチェックしたり、実際に足を運び、パソコンをチェックした結果、選んだメーカーはASUS。

IMGP0689_convert_20110326051611.jpg

これまで使用していたものもASUSのもので、リヤカーの荷台に載せ、共に旅すること約2年、砂塵吹き荒れる無人の荒野に標高3000メートルの山、海辺に街、極寒のマイナス20度からクソ暑い50度の中を耐え、荷台から落下する事数回、ベッドから落下する事数回、「これはさすがにダメだろ、南無南無」と手を合わせる事も何度か。

これだけ手荒に扱ってもビクともしない頑丈なパソコンで、もうすっかりこのメーカーを信用していました。


そしてもうひとつ。

連日チェックしていた地震関連のニュースの中でASUSのある台湾が多額の募金を日本のためにしてくれている事を知っていました(ちなみに本日現在で約57億円らしい)。台湾に限らず、アフガンのカンダハルなど沢山の国が支援してくれている事を知っていますが、この台湾の募金額は衝撃的でした。
そんなわけで過去の信頼とありがとう台湾という気持ちからASUSのパソコンを買う事にしたのでした。


ASUSのHPからトロントの代理店をチェック。
足を運んだ先は非常に貧相な店で一度は気付かずに素通りしていました。
3人ほどの店員は皆香港人。
その時は在庫がなく、翌日納品という事で、前金を払い、「ブラックで」とパソコンの色を指定して帰宅。
そして翌日、ぼくが受け取ったのは指定した「ブラック」でなく「ブルー」でした。

IMGP0700_convert_20110326043820.jpg

「おっちゃん、昨日ブラックって言ったじゃないの」と文句。
「間違えたアル。ブルーは駄目アルカ?」と店主。

数日かけてブラックを待つか、ブルーで妥協するかの選択だったのだけど、「ブルーでガマンしてやるから10ドル安くしてくれ」と交渉の末、ブルーのニューパソコンを手にしたのでした。

OSは英語版。だから、コントロールパネルなどは全て英語で表記されます。
WINDOWS7は、初期設定で日本語IMEに変えることができ、読み書きは日本語、システム管理は英語表記になります。

前のものより大きく、作りも安っぽい感じです。ただバッテリー稼働時間は倍増。
前のものは衝撃に強いSSDだったけど、今回のものはHDD。ASUSというメーカーは信頼しているけど、HDDがどれだけ耐える事ができるのか、全く見当がつきませんが、がんばってくれASUS。ありがとう台湾。

アルピニスト 

昨日は休みだったのだけど、強い雨が朝から延々と降り続けていて、結局引き篭りデー。
宿から一歩も出ず、備蓄食料で飢えをしのぐというなかなか悪くないナイスホリデーでした。
ちなみに宿から一歩も出ないのは2週連続です。引き篭りバンザイ。

で、ベッドに寝転がって、トランクスに穴があいてるんでユニクロみたいな安い店はないかとか、今後のルートとか、北米後のことだとか調べたりして、1日を過ごしておりました。
そんな中、とあるところから懐かしい日記を発見したのでここに転載しておきます。



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ken-noguchi_R.jpg

野口健さんの講演へ行ってきました。
第12回「植村直己冒険賞」授賞式・記念講演会@日高

式の前に立ち寄った植村直己冒険館。
そこに掲示されていた植村さんのメッセージを思わずメモしてしまいました。
思い切り素通りしたのですが、何かに引きつけられるかのようにまたその場へ戻り、気が付けばそこに掲示された言葉をメモしていました。
そして偶然にも野口さんが講演の中でそのメッセージに触れられたので以下記しておきます。


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植村直己のメッセージ(ミネソタの子どもたちへ)

君たちに僕の考えを話そう
僕らが子どもの頃、目に映る世界は
新鮮で、すべてが新しかった
やりたい事は何でもできた
ところが年をとってくると疲れてくる
人々は諦めみんな落ち着いてしまう
世界の美しさを
見ようとしなくなってしまう
大部分の人は、夢を失っていくんだよ
でも、僕はいつまでも子どもの心を
失わずにこの世に生きようと思う。
不思議なもの、
すべての美しいものを見るためにも・・・
いいかい、君たちはやろうと思えば
何でもできる
僕と別れた後も、
その事を思い出してほしい
やろうと思えば何でもできるんだ

1983(昭和58年)「ミネソタ・アウトワード・バウンド・スクール」参加にて(植村直己42歳)



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来賓として来られていた松浦輝夫さん(植村さんと共にエベレスト日本人初登頂を果たした方)と握手、一緒に写真を撮っていただきました。感激。
70歳を超えられていますが、山の男という感じの厚い手でした。
今夜、久々に本を読み返そうと思います。

野口さんとも握手。澄んだ綺麗な目をしていました。
石原良純に似ていました。

日本を代表する3人の偉大なアルピニストから力を頂けたような気がします。
いい刺激になりました。

また明日からがんばろう。


(2008年6月7日)

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