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ALKINIST -あるきにすと- 2011年05月
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着々と 

新年を迎えたのはつい先日の様にも思えるのだけど、凍てつく寒さはいつの間にか汗ばむ陽気に変わり、ふと上を見上げれば気持ちのいい青空に新緑、一歩も歩かぬまま、気が付けばもう5月。足を止めてはや半年。
今週もまたあっという間に過ぎ去ってしまった。

寝て起きて働いて帰宅してゴロゴロしてまた眠ってという日常。
特筆する事も大した変化もなくて、わずか6週間で壊れたマウスを電器屋で交換してもらい、歩行再開に備え、少しずつ食料を買い揃えたというのが今週の数少ない変化。

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食料に関しては、約半年も足を止めているからか、何をどれだけ持つかという経験的、感覚的なものがやや失われていて、去年の今頃は何を食べていたかなど思い出しながらの準備。


水(4リットル)×2
コーラ(2リットル)
缶詰×10
ラーメン×9
コーヒー


これに米国で買ったインスタント食品などが加わる。
10日は余裕で過ごせるけれど、これで十分なのかあるいは何か足りないのか、今はちょっと見当が付かず。
飲料10リットルでどれだけ持つのか?
飲料はもちろん、調理や食器洗いも含め、1日何リットルの水が必要なのか?

しばらくは色々と試行錯誤をしつつ、感覚を取り戻す必要がありそうです。

日常から非日常へ 

あっという間に過ぎ去ったバケーション。
トロントに夜行バスで戻り、そのまま仕事、いつも通りの生活に戻る。

12月から働き始めてはや6ヶ月目、あの時非日常だった労働は日常的なものになり、かつての日常、歩く日々が遠い昔の様にも思える。
あと1ヶ月もすれば歩行を再開させるのだけど、そろそろ足もうずき始めていて、この6ヶ月に及んだ越冬、歩行中断は、経済的な部分以外にも、気持ち新たにというかマンネリ解消というか、心機一転、良い方向に作用してくれている。


労働期間は残り4週間、その間今日も含め休日は4日。
仕事を終えた後ゆっくりする事はなく2日休みを取って歩き始めるつもりなので、歩行再開まで自由に使える日は6日のみ。
それ程時間的余裕があるわけではなく、買い物やら装備品の修理などなど、やるべき事はやっておかないと。

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とりあえず今日はがっつりと調べ物をした後、テントの補修。
漏水を防ぐため、シームクリームを塗る作業。
フライシートの破れの補修もしないといけないのだけど、クリームが乾くまでかなりの時間がかかるようなのでこれはまた後日。

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昨日見つけたサッポロビール。

と、ここまで書いて大事なことを思い出した。
公共の場所で飲酒が禁止されているカナダなのだけど、テント内で飲む事は許されるのか確認しなきゃです。
夏場はビールを常備しているのでけっこう大事な問題なのです。

タトゥを入れる際の注意事項 

「日本語で名前を書いてくれ」


これまで現地人に何度かそんな事を言われ、その都度リクエストに応えてきました。
いつも助けてもらうばかりで、お返しなどほとんどできなかったけど、たまに日本語で名前を書いてあげると、珍しさもあってか喜んでいただけたものです。

今朝、職場のフィリピン人に言われた時も、これまでと同じ様に、「OK」と快諾。
彼には英語が通じるんで、「日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字があって・・・」と説明、それぞれの文字を書き並べる。



あーりーん

アーリーン

嗚呼林



残念ながら躍動感溢れる字とかそんなレベルではなく、瀕死のミミズ状態の文字なのだけど、「カタカナのアーリーンがベストだね」と、改めて大きくアーリーンと書いてみる。
滅多に目にしないであろう日本語、フィリピン人の彼にはこの文字がどれだけひどいものなのか理解できるはずもなく、丁寧にお礼を言い、日本語で名前を書かれた紙を折り畳み、胸ポケットにしまった。


ここまではよくある話なのだが、話を聞いてみれば、彼は文字を体に彫るらしい。
古くは刺青、今風に言えばタトゥというやつ。
彼曰く「みんな中国語を入れてるから、自分は日本語を入れようと思って」との事。


全力で彼を引き止めました。


タトゥなんか彫ったら温泉行けなくなるとか、ご両親から与えられた体を傷つけるなとか、そういう事ではなく、鼻糞ほじりながら適当に書いた文字の大きさ形も滅茶苦茶な瀕死のミミズ状態のジャパニーズを体に彫るんじゃないという事です。
大袈裟でも何でもなくとにかくひどい字だったのです。


「この字はベリーバッドだから、これを参考にして彫るな」と釘を刺しておく。


ちゃんとしたフォントのものをプリントしてあげようと思います。

バケーション終了 

何をするでもなく、どこへ行くでもなく、彼らの生活の中に溶け込んだ日々。
ご夫婦は仕事をしているので平日は家で留守番、ゆっくりと過ごさせていただき、彼らの息子やこの家族とつなげてくれた弟のジョーと会ったり、親不知を抜いたり、その程度です。
そもそもの目的が彼らとの再会であり、のんびりと過ごす事だったので十分に目的を果たす事ができた。

昨年10月にこの家を発った際、「また戻ってくるから」と、再会の約束として、いくつか荷物を残しておいたのだけど、それらもそのまま。
また新たに再会の約束をしてフィラデルフィアを発った。

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バスの車内で迎えた朝。
2席使用して横になっていたのだが、気が付けばもうトロント。

フィラデルフィアからトロントへ、徒歩ならおよそ1ヶ月も、バスならわずか1晩で着いてしまう。しかも1ドル。

いざこういう現実を目の当たりにしてみれば、
雨に打たれ、雪に打たれ、寒さに震え、あの道中の苦労はなんだったのかと思うのだけど、
どんどんと移り変わる窓の外に広がる景色、そんなもの大して印象に残らないはずです。
苦痛など感じない上り坂、上り終えた後の小さな達成感なども当然なく、
暑さに汗を流す事も寒さに震える事もない、向かい風に悩む事もない。
この辺鄙な町の事もここで暮らす人の事も知らないまま。


どっちがいいかなんてそんな質問は愚問です。

現在休暇中 

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時折睡魔に襲われるも、一睡もする事なく駅で朝を迎え、

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始発列車に乗り込み、

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懐かしい道を歩き、

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懐かしい家へ、

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愛する家族との再会を果たす。


今おりますはアメリカ合衆国。
フィラデルフィア近郊でのんびりと休暇を楽しんでいる。


上海を出発してから2年と少し、本当にたくさんの出会いがあって、例えそれが1分程度の立ち話であっても、共通の言語を持たないがために会話と呼べないものであったとしても、そのひとつひとつっていうのは忘れられない大切な思い出です。

ユーラシア大陸の歩行を終え、アメリカにやって来たのが昨年8月の事。
大西洋から歩き始め、フィラデルフィアを経て2日目、偶然声をかけていただいたお宅にお世話になること6週間。
これまでの出会いに大きいとか小さいとか優劣をつける気はないけれど、6週間という最も長い時間を共に過ごし、家族のように温かく接してくれた彼らはものすごく特別な存在で、トロントを発つ前にどうしても再訪、再会しておきたかったのです。

およそ半年振りに再会した彼らは何ら変わりなく、以前と同じ様に「自分の家のように好きなようにすればいい」と言ってくれ、これまた以前と同じ様に猫と同じベッドで眠る。
睡眠中、猫が体をまたぎ、睡眠を妨害する事が多々あるのだけど、そんな事でさえ懐かしく愛おしく思えます。そしてここへ帰ってきたのだと強く実感するのです。


この先太平洋まで早くて4ヶ月程。
正直なところモチベーションはそれほど高くなくて、さっさと北米を終わらせたい、この先の4ヶ月が苦痛に思える事さえあります。
やはりアフリカへ行くべきだったと思う事があります。
このまま北米を歩くべきなのかと自問する事があります。


「出来ると分かっていることをやっても面白くない」


今、目の前にある壁はこの言葉。
出発前に朝日新聞に掲載していただいた時、永瀬忠志さんが言われていた言葉。
この言葉に深く納得し、モヤモヤを持ち続けています。

正直なところ北米徒歩横断など難しいものではなく、大した苦労をする事なく歩き抜けるはずです。シャワーを浴びる事ができないとか、その程度の苦労じゃないでしょうか。
過信ではなく確信です。
出来ると分かっている北米徒歩横断など面白くないのです。


面白くない、面白くない、と一人グチグチ言ってましたけど、北米で出会った人達っていうのは当然ながら北米を歩いていなかったら出会えなかった人達なわけであって、今こうして素晴らしい家族と共に過ごしていると、勝手なもので心底北米に来て良かったなと思えます。
彼らだけでなく、トロントで再会を果たしたカーティスファミリーだったり、北米では1300キロしか歩いていないけどたくさんの出会いに恵まれています。
やはり北米に来て良かったなと思えます。


出来ると分かっている北米徒歩横断は、上海への過程と考える事にしました。
考え方を少し変えるだけで、気分も変わってきます。

色々な事を再確認できて良かった。

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感謝の気持ちを表すためというわけではないけど、ふと立ち寄った花屋で花を買った。
明日、これを庭に植えた後、トロントへ帰ります。