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ALKINIST -あるきにすと- 2012年05月

Tennant Creek 



前日くらいから電柱が見え始めて、町に着けば街灯があって、店が並んでいて、道路を車が行き交っていて、そこには人々の生活の場があって、「ただいま文明社会」と、とにかく感動。

ポートオーガスタからスチュアートハイウェイを歩き始め、ここまで約2000キロ。
その間にある町と呼べる所はクーバーぺディ、アリススプリングス、そしてここだけ。
とてもとても小さな町だけど、スチュアートハイウェイ沿いにこれだけの規模の町は本当に少ない。


長い無補給区間が何度も延々と続くので、水や食料など常に大量に携帯し、荷台の重量は過去最大。
そのためタイヤの磨耗も考えていた以上に早く、スペアタイヤは尽き、ダーウィンまで辿り着けるか微妙だし、豪州後の国で確実に日本からタイヤを受け取れるか不確かだったので、テナントクリークの郵便局でタイヤを受け取る事にしていた。

思っていたよりはまともな町だったけど、でもやはり冷静に考えると小さな町。
本当にこの町でタイヤを受け取れるのか半信半疑のまま、祈りながら、郵便局へ立ち寄った。

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届いてた。


タイヤも無事に受け取り、ネットカフェでダーウィン発の航空券を買った。

ここで1日足を休めるつもりだったけど、ネット環境も良くないので今後10日超の食糧を買い込み、1泊だけして再び北を目指す事にした。

Barrow Creek 

前方約500メートルのところに5人のアボリジニが現れた。
道路沿いに住居は見られなかったけど、彼らが出てきた所に小道があり、アボリジニ居住区近くにに立てられているアルコールの持込を禁止する看板もあったので、この辺りに住むアボリジニなのだと思う。
見た感じ10代から20代前半という感じ。

分別のある大人という年でもなく、興味本位に絡まれたら面倒だなとか、彼らの前を歩けば荷台の荷物に気を使わないといけないなとか考え、一定の距離を置いて歩こうと思ったけど、手ぶらの彼らは意外と早く、あえて歩行ペースを遅らせる必要もなく、常に一定の距離をとって歩く事ができた。


「こいつらどこへ行くんだ」とこちらが思うように、彼らも「何だこいつ」という感じで何度かこちらを振り返った。
鳥に向かって石を投げたり、時折ブッシュの中へ入っていったり、じゃれあったり、周囲に何もないような一本道を進む彼らを見て、これが彼らにとっての日常なのだろうかと考えた。

しかし彼らがどこへ向かっているのかは分からないまま。

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最初は近くの集落へでも行くのだろうと思っていたけど、1時間、2時間と時間はどんどんと過ぎていく。
3時間ほど経ったところでぼくは昼食をとる事にした。

彼らは引き続き歩いていたので、昼食後しばらくは見えなくなったのだけど、再び現れ次第に大きくなっていった彼らの背中は5から3に減っていた。
多分ヒッチハイクをしたのだろう。この3人もまたヒッチハイクを試みてはいたけど全く車は止まらなかった。


3人のうちの先頭を行くアボリジニは元気なのだが、残りの2人は次第にペースが落ち始め、彼らがハイウェイに現れてから5時間半、ようやく彼らの背中を捕らえた。

手ぶらの彼らが水や食料を持っていない事は明らかだった。
この日はそれ程暑くはなかったけど、彼らが水を欲しているに違いないと思った。

確実に自分よりは土地勘もある彼ら。
バロークリークまでどれだけの距離があって、水、食料が必要かなんてよく分かっているだろうし、そんな彼らに何か与える義理もないけど、この半日共に同じ道を歩いた同志なのである。
英語が話せるのか分からないし、こちらも彼らの言葉を話せるわけなく、こちらを振り返った彼らに「水はいるか?」と英語で問いかけ、水を飲むジェスチャー、そしてボトルを見せた。

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こちらに向かってきた1人の若者に水を渡す。

「食べ物は?腹減ってる?」

同じように言葉とジェスチャーで尋ねてみる。
「えっくれんの?」という驚いた表情が印象的だった。頷いたので、食料袋からビスケットを取り出し渡した。
「どこへ向かってるの?」と尋ねてみると「バロークリーク」と答えた。
この先10キロの所にある場所だ。

10代半ばくらいか。考えていたより若かった。
そして彼らの目の前に立って分かった事。
彼らは裸足でした。

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裸足で5時間半、25キロ超を歩いた。
時には石が転がっていたり、棘がある植物も生えていて、最悪毒蛇もいるであろうブッシュを歩いていた。


その後しばらくして彼らはヒッチハイク成功。
彼らに救いの手を差し伸べたのはやはりアボリジニだった。

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バロークリーク手前で3人のアボリジニを助けた車とすれ違った。
その際、クラクションが鳴らされ、運転席から手が振られた。
彼らの仲間に手を差し伸べた事への感謝か、あるいはここまで歩いてきた事への労いなのか、果たして意味があるのか知る由もないけれど、少しだけ心が通った気がした。

熱帯を目指して 

アデレードからアリススプリングスまで1ヵ月半、2000キロ超。
雨で半日休んだり、10キロだけ歩いてウルルが見える所でのんびりキャンプをする事もあったけど、リヤカーを引かない完全な休息日はCoober Pedyでのわずか1日のみ。

さすがにアリススプリング手前ではかなりの疲労を感じていたけど、ここで4日間足を休ませた事で疲労はすっかり回復、歩行中はいつも缶詰とラーメンなのだけど毎食がっつりと肉を食い、心身ともにリフレッシュできた。

10日分の食料を持って、そろそろ出発です。


アリススプリングス周辺は昼夜の温度差が大きい砂漠性気候。
朝の最低気温は1~3度、とにかく寒い。
現在はパーカーと薄いジャケットというかなりしょぼい装備なので、この寒さから逃げるように北上する。
しばらく歩けば熱帯性気候というものすごく暖かそうな響きの地域に突入するのである。

次の目的地は500キロ先のテナントクリーク。
わずか500キロ離れているだけなのに最低気温は驚愕の15度前後。
さすがは熱帯性。期待に応えてくれます。

そしてさらに1000キロ歩けばダーウィン。
カカドゥ国立公園へ行く可能性があるのでさらに200キロ歩行距離が増えるかもしれなけど、いずれにしてもダーウィンで終わりです。


最短距離で1500キロ、早ければ1ヶ月程でダーウィン着。
カナダでもそうだった様にゴールが見えた時、いつも以上に慎重に進もうと考える。
最後の最後、小さなミスが命取りになる。

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こんな所にテントを張るくらい普段は図太い神経をしているけれど、こんなのじゃダメだ。
気を抜いてはいけない。過信するな、油断するなと自分に言い聞かす。
今はとても繊細で、とにかく臆病に慎重に進もうと考えている。

アボリジニ 

オーストラリアに来て日本の調査捕鯨について尋ねられる事が何度かあった。
正直なところ全くの無関心で、鯨を食べるという事を良いとも悪いとも何とも思わないけど、「なぜ日本人は鯨を食べるのか」という彼らの問いには「自分は食べた事ないよ」と無難に答えておく。

そんな返答に「ブラボー」と言って拍手して喜ぶ人もいたり、彼らの中では「捕鯨=悪」という図式が成り立っていて、考えが凝り固まっている。
そしてぼくはそんな価値観の押し付けを不快に思っている。この国では特に。

菜食主義の人間に言われるならまだしも、牛やカンガルーを食べる人間がどうこう言う事ではないんじゃなかろうか。牛やカンガルーが良くて、鯨がダメな理由を教えてくれませんか。


なんて事を前を行くアボリジニの後姿を見ながら思い出した。
価値観の押し付けを不快に思っている自分が同じ事をしようとしていると気が付いた。

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「おばちゃん、靴履けよ」


ぼくは自分の価値観をアボリジニに押し付けようとしていたのでした。
「靴を履く=正しい」なんてこちらの勝手な価値観に過ぎないのである。

しかしこれは彼らの文化なのか。
路上やスーパーマーケットの店内、裸足で歩くアボリジニをよく目にする。
路上には粉々になったビール瓶が散乱していたりして、危ないと思うのだが。


アボリジニが多く住む内陸を歩いているが、町ですれ違う事はあっても話しかけられたり、大半が無人地帯なので彼らと接する機会はほとんどない。

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会話をした事のある数少ないアボリジニの1人。名前は忘れた。
Erldundaからウルルを目指した時、ロードハウスの出口付近に彼はいた。
アデレードからヒッチハイクで4日かけてここまで来て、ウルルへ向かう車を待っていた彼。
彼は足袋みたいなのを履いていた。


4週間もシャワーを浴びていなかった自分に言える資格があるのか分からないけど、シャワーを浴びない人が多いのか、すれ違った時、きつい体臭が鼻を突くなんて事もしばしば。
何をするでもなく昼間から木陰や地べたに座り込む人達、泥酔している人を見る事もたまにあって、というのが自分の知っているアボリジニ。



時間がある時に何度か読み直している星野道夫の本にこんな言葉があった。


もしアメリカ大陸にアングロサクソンがやって来なかったら……もしこの土地が世界と隔絶されたインディアンやエスキモーだけの世界として残ったら……彼らの歴史はやはりいつの日か今の私たちと同じような近代文明をつくりあげていったのだろうか。


オーストラリアとアボリジニに置き換えて想像を巡らせてみる。


オーストラリア大陸にアングロサクソンがやって来なかったら……

未だに狩猟生活を続けているのだろうか、アボリジナル・アートはどんな風に発達しただろうか、彼らは何を作り上げただろうか、今いるこの町は存在しただろうか、町の景色はまったく別なものなのだろうか……。

厳しい自然環境の中、自分達の伝統を守り暮らす生活と政府から公的扶助を受ける楽な生活、どちらが幸せなのだろうか。

堕落した生活に陥った一部のアボリジニに問いかけてみたい。
彼らはどちらを選ぶんだろう。

Alice Springs 

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前方からやって来た車が道脇に停車。
「食料は大丈夫か?」とパンとヤクルトを渡してくれた。

この時携帯していた食料は数切れのパンと缶詰1缶、出前一丁1袋。
アリススプリングスまで40キロの場所だったとはいえ、食料が十分にあった訳ではなく、空腹を感じながら歩いていたのでとても助かった。
未舗装路に敗れ、来た道を引き返し、結局190キロ、3日間も無駄に歩く事になり、当初の食料計画は崩れていた。

ちなみにこのドライバー、歩行中の姿を5度も見かけたらしい。
アリススプリングスとウルルとを行き来するツアーバスのドライバーからも声をかけられたし、連日何度もバスとすれ違う度に手を振られたり、振り返したり。

しかしそんなバスドライバーとのコミュニケーションもこの日で終わり。

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アリススプリングスに到着。

夕方以降の町への到着は好きでないので、10キロ手前でテントを張るつもりでいたけど、食料不足のため空腹でスーパー、ガソリンスタンド、何でもいいから何か食べるものを買える場所へ行く必要があった。
アリススプリングスの中心近くへ達したのは日没後、街灯が灯り始めた頃だった。

「Town Central」の標識に従い歩いていると、ビールの入った袋を左手に、そして缶ビールを右手に持って酒屋から出てきた泥酔状態フラフラのアボリジニが前方に現れた。
犬の散歩をしていた白人女性に絡んでいたけど、全く相手にされていなかった。

さらには1キロ先のスーパー前にも泥酔状態でぶっ倒れた老いたアボリジニがいて、買い物を終えて店から出た時には警察がやって来て、事情聴取をしていた。
隣の酒屋でビールを買い、店から出てきた時にはまた別のアボリジニが警察に押さえられていた。



アボリジニはアルコール耐性が極めて低く、体質的に少量の酒で泥酔しやすいのだとか。
アボリジニのアルコール依存症は社会問題となっているらしく、アボリジニの姿が目に付き始めたポートオーガスタ以降、町の手前に公共の場所での飲酒を禁止する看板を目にするようになった。

これまで目にしてきたアボリジニは木陰や地べたにただ座っているだけで、何をしているのか分からない人達ばかりだったのだが、政府からの援助でお金がアボリジニに支給されているらしい。働かなくとも酒を買う金はあるのだ。

もちろん政府も彼らの飲酒を少しでも抑えるために制限をしていて、例えばこの日、ノーザンテリトリーに入って初めて酒屋でビールを買ったが、パスポートを求められスキャンされたし、翌日の昼頃、再び酒屋へ出かけたが、営業時間は14時からで店は閉まっていた。
別の酒屋も探したけど同様。アルコールの販売時間も制限されている。
いずれも南オーストラリアではなかった事だ。



こんな形で始まったアリススプリングスの印象が良いはずはなくて、スーパーの白人のおばちゃんに「この辺りは安全?」と確認。
「安全よ」とおばちゃん。
「本当に?その辺にテント張っても大丈夫?」「多分」

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スチュアートハイウェイすぐ側にテントを張った。
車は普通に走り、オレンジ色の街灯もいくつも並んでいたけど、道路横の広いスペースは闇の中なので問題なし。
しかしやはり荷物は心配なので、全荷物をテント内に入れ、リヤカーにもロックをかけた。
アリススプリングス到着を祝し、ビールを飲みながらラーメンを作っていると、通りすがりのアボリジニが声をかけてきたくらいで特に問題なく朝を迎えた。


アリススプリングスには数日滞在するつもりなので、いつもの様に日の出前から歩く必要もなく、ゆっくりと朝の時間を過ごしたいところではあるが、明るくなり1日が動き出せば、ハイウェイすぐ側に張られたテントが目立ってしまうので、結局は明るくなり始めた頃にテントを片付け、宿を探しに動き始めた。

しかしここ数日の寒さは何なのか。
この朝も宿を見つけ、「ベッドは空いてますか?」と尋ねる際も、寒さのあまり震え、口をうまく動かせない程だった。
暑さが和らいだ最近は日中の気温は20度ちょっと。そして最低気温は1度。
色づいた紅葉も秋を思わせる食べ物もなく、視覚や味覚で秋を感じる事はできないけど、季節の変化だけはしっかりと肌で感じる事ができる。


宿にチェックインした後は、4週間振りにネットをつなぎ、4週間振りにシャワーを浴びて、4週間ため込んだ衣類を洗濯。そして4週間振りに足を休めている。
外出はスーパーへ買い物へ行く程度。

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この靴を履くのもここで終わり。
アリスからはニューシューズを履く。

敗北 

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スチュアートハイウェイへの復路も1日60キロペースで進んだ。
残念ながら月が出てしまい、毎日の楽しみであった満天の星空は見る事ができなくなったけど、月明かりを頼りにテントを片付ける事ができ、これまでよりも出発準備は楽なものとなった。

月のせいで星の数は日本で見るものとそう大きくは変わらなく思えたけど、強い光を放つ星は相変わらずどんどんと落ちていった。
日本では数えるほどしか流れ星を見た事はないのに何が違うんだろう。

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復路ではただ来た道を戻るのではなくて、同じ道を130キロ歩いた後、道を折れ、別の舗装路を70キロ弱歩き、さらには未舗装路を100キロ歩いてハイウェイへ戻ろうと決めた。
全く同じ道を歩くのは面白くないし、来た道を戻って北上した場合の距離とほぼ同距離だし、何より未舗装路を歩きたかった。

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未舗装路への入口近くに7頭くらいのラクダの群れがいた。
こちらのラクダのコブは1つ。

カンガルー島でお世話になったロニが野生のラクダを捕まえて旅行した時の話を聞かせてくれたのだけど、その際、「簡単に捕まえられるか」と尋ねてみたが、「車じゃないと無理」とロニ。
試しに近付いてみたけど、あっという間に逃げられてしまった。

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そして未舗装路へ。

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4駆以外は無理だから舗装路を走れという看板もあった。

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こうして未舗装路の旅が始まった訳だけど、歩き始めて1キロもしないうちにこの未舗装路を歩くという選択が間違いだった事に気付いた。

カンガルー島では一部のメインルートを除けば、あとは未舗装路だった。
車が通過すれば土煙が舞うけど、地面は硬く、しっかりとしたものだった。
それと同じ様な道路を考えていたけど、砂が深い所も多く、まるで砂漠の様。

舗装路と同じ様に時速5キロペース、100キロ歩くのに1日半と考えていたけど、そんなプランはあっという間に崩れた。最悪2日半かかってしまう。

戻る事も何度も考えた。
前日歩いた道を70キロ弱引き返し、ウルルを目指した時と同じ道へ戻る事を。
しかし首を振り、そんな考えを打ち消して、足に腕に力を入れ、深い砂の上を進んだ。

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いつも以上に時間がかかった。
いつも以上に疲労を感じた。
それでも何とか約20キロ進んだ。
そしてここまで歩いてようやく決意した。


「よし戻ろう」と。


戻る事はそれまで何度も考えていたのに、なぜここまで歩いておいて戻る事を決意したのか。決意できたのか。

それはここが自力で引き返す事のできるギリギリの所だったからか。
多くはないけど数台の車が通過し、何かあっても助けを求められる環境で、遭難の危険はなかったけど、自分の力で進みたかったし、不本意ではあるけど自力で退きたかった。

一応2日分の水は携帯していたものの、この日の暑さはいつも以上に厳しく、さらには悪路を進む事で水分摂取量も多く、スチュアートハイウェイ、さらには次のロードハウスまで水がもつか不確かだった。


深く悩むでもなく、とてもあっさりとした決断だった。


戻るといっても、もちろん徒歩、そして悪路を20キロ。
この20キロを後ろではなく、前に進めば、スチュアートハイウェイまで残り60キロ。
「行けるんじゃないか」そんな事も何度も考えた上での結論。

20キロ後退し、前日歩いた道を70キロ引き返し、その後Erldundaまで110キロ、そしてさらに70キロ。
戻れば計270キロ歩く必要があるけど、前へ進めば同地点までわずか80キロ。
3日間、190キロのロスというのには頭を抱えたくなったけど、それも承知の上での結論。

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後ろを振り返れば、往路と復路、2度にわたって刻んだ足跡と車輪の跡。
かっこよく言えば勇気ある撤退。しかしそんな事は微塵も思えず、ただの敗北だった。

Uluru 

予定通りYularaに4日で到着した翌日、ウルルへと向かった。

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もちろん徒歩で。リヤカーを引いて。
チケットは3日間有効なので、本人以外の使用を防ぐために自分の名前を書くように言われた。
車で訪れた人はさらに車のナンバーを書かされるのかもしれない。
Walkingと記入されたチケットを渡された。

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国立公園の開閉時間は季節によって異なる。
自分が訪れた5月は6時から19時30分まで。

テントを張ったYularaからウルルへは約20キロの距離があり、歩けば片道4時間、往復8時間。時間は限られているので、開園時間に合わせて国立公園へ入った。
早朝ではあるけど、ウルル観光の目玉の一つであるサンライズ鑑賞へ向かう多くの車やツアーバスが走っていた。

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徐々に大きくなっていくウルル。
そして約4時間歩いてMalaという所に到着。
歩いてウルルへ行くという狂った目標を果たす事ができた。
ここへ来るために豪州縦断のルートを外れ、260キロも歩いてきた。
訪れるべきか迷う事もあったけど来て良かったなと心から思えた。

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ウルルの周囲にはいくつかのルートがあり、歩いて回る事ができる。
少し離れた所から見るウルルは良かったけれど、近くで見ればでか過ぎてよく分からない。
壁画とか変わった岩の形とかあったけど、あまり興味ないです。

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散策ルートを適当に歩き、駐車場の方へ戻っていると、ウルルへと登る人の群れがあった。
ここに到着した際は頂上付近が強風との事で登山ルートは閉ざされていたけど、散策している間にゲートが開けられたらしい。
強風や雨、さらには気温が高いなど気象条件によってはウルルへ登る事は禁止される。

アボリジニの人々にとってウルルは聖地であり、ウルルへ登る事を快く思っておらず、数ヶ国語でウルルへ登らないでと書かれたボードも設置されている。

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しかし機会があれば登りたいと思っていたので、登る事を選んだ。
アボリジニの皆さん、ごめんなさい。

見ての通り、かなり急な勾配。
岩の上に張られた鎖を掴みながら進む。
心臓の悪い人はやめた方がいいです。

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トップオブザウルル。
頂上へは30分程。高度をチェックすると、約300メートルの上昇。

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遠くにはカタジュタが見えた。
ここも国立公園内で、車やツアーでウルルを訪れる人達はここも訪れている。
しかし50キロくらい離れていて、さすがに徒歩では厳しいので行かず。

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そして下り。
圧巻の景色だけど、気を抜いちゃダメです。危ないです。
過去には死者も出ているらしい。

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3日間有効のチケットではあったけど、ウルルを訪れたのはこの1日のみ。
夕陽、朝陽を浴びて刻々とその岩の色が変化していくサンセットもサンライズも見る事はなく、前述した通り、カタジュタを訪れる事もなく。

Erldundaの分岐から260キロ歩いてきて、メルボルンから2000キロ超も歩いてきて、誰よりも苦労してここへ辿り着いたという自負はあるけど、ウルル観光という点では多くの旅行者以下だったと思う。
しかし自分の場合、歩いてウルルへ辿り着くという事が目的だったのでとてもとても満足し、未練なくウルルを去る事ができたのでした。



そして翌日。
Erldundaを出てからは60キロ歩行をするため、早起きな日々だったけど、久々にゆっくりと朝を迎えた。

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Yularaには立派なスーパーがあり食料を大量に購入。
観光地価格を覚悟していたけど、適正価格なのでとても助かる。

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ガソリンストーブの燃料を補給。

ただでさえ退屈な景色が続くのに同じ道を260キロも歩くのは嫌で、復路はバスやヒッチハイクでErldundaまで戻るつもりでいたけど、何を血迷ったのかいつの間にか歩く事を決意しておりました。意地とプライドです。

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この日は少しだけ歩いてウルルが見える所にテントを張った。
本当に最高、贅沢なキャンプだった。

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