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ALKINIST -あるきにすと- 2012年12月

Phnom Penh 

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プノンペンまで298キロ。

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プノンペンまで142キロ。

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プノンペンまで100キロ。

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プノンペンまで50キロくらいの所からは延々と悪路が続いた。
デコボコ道、車はクラクションを鳴らし、土煙を上げ、猛スピードで走っていく。

マレーシアやタイなどここ数ヶ月はドライバーに対してイライラする事などなかったが、豪州以来久々のクソっぷりにキレています。

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日本の援助で修復されたトレンサップ川に架かる橋を渡り、首都プノンペン入り。

プノンペン手前60キロからは99年、03年に日本によって造られた橋が計6つ、6号線の一部の舗装化も日本からの支援によるものなのだとか。
コンポンチャムにも日本が作った橋があるらしいし、学校も歩行中に4校目にした。

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シェムリアップからプノンペンまで5日半。
5泊のうち2泊を宿で過ごし、3泊をテントで過ごした。

たまにバイクや自転車に乗った旅行者とすれ違ったり、追い越されたりしたけど、バイクなら300キロなんて1日で走れる距離だし、人力とはいえ自転車の機動力は徒歩のそれより3倍くらいは速いし、好きでやっている事ではあるがカンボジアでのテント設営場所探しはやや苦労した。


ちなみにテントは民家、警察署、寺に張らせてもらった。
民家にしてもちょっと立派な家を選んで、何もかもをテント内に入れた。
穴が開きボロボロになった臭い靴なんて誰も盗まないだろうとこれまでは考えていたけど、ここはちょっと違うので。

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夕方から朝にかけては不安や心細さを感じる事もあったけど、カンボジアの人、風景に飽きる事はなかった。あくまで個人的な好みだけど、日中に歩く分には素晴らしい環境。
愛するティモール島とよく似ているなと思う。


2012年の歩行はここで終了。

Kampong Kdei 



闇に包まれた真っ暗な道を30分程歩き、少しずつ変化していく空の色に心底ほっとする。やはり闇の中なんて人間が過ごす時間帯ではないのだ。

この昼夜半々というバランスは良くできているなと今更ながら思う。

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逆に日没後はすぐに訪れるだろう闇に不安を感じ、焦りながら足を速める。
60キロ歩き、疲労があったとしてもペースは落ちる事なくむしろ上がる。


これまで歩いてきた国々の中で最貧国のカンボジア。
田舎には電気などない草葺きの小さな家々が並び、登下校時の子供達を見れば裸足の子も少なくない。

これまではテント設営場所がどうしても見つからない時は道路脇に堂々とテントを張る事もあったけど、カンボジアでそれをするのはまずいのは確か。リスクが高過ぎる。

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日没頃にKampong Kdeiという所に着くだろうという事は分かっていたが、宿などあるのかは全く不確かだった。
Kampong Kudeiの数キロ手前に小さな派出所を見つけた。

ここは無難にポリス泊だなと思い、仕事中なのかは定かでないけど制服姿でビールを飲み顔を真っ赤にさせた男にテントを張らせてくれるようお願いしてみた。
しかしポリスの返事は「No」、うまく伝わっていないのかなと思い、ジェスチャーで絵を書いて説明するけどやはり「No」だった。

「この先に宿がある」という様なジェスチャーをしたが確かではなかった。

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その後少し歩いたところである看板を見つけたので6号線を外れ、赤茶色の未舗装路を進む。

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そしてその先に現れたのがスピアン・プラップトゥフという古い石造りの橋。

ルート上にこの橋がある事は知っていたけどなかなか現れないので見落としたものと思っていた。
ここへ来る途中にもいくつかの石橋を目にしたけど、これらの橋の点をつなぐと、アンコール時代の古道が浮かび上がってくるのだとか。

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現存するいくつかの橋の中でも最も大きいのがここの橋。
橋を保護するために車の通行は不可、徒歩、自転車、バイクは通行可能だった。

もしポリスにテントを張れたならここを通過するのは明朝のまだ暗い時間だったはず。
日没前ギリギリだったけどここを訪れる事ができて良かったと思う。

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橋の少し先にゲストハウスを発見。
シェムリアップから60キロも離れたこの橋を訪れる旅行者がそう多くいるとは思わないけどありがたい。

動画 

■オーストラリア(Australia)





■東ティモール(Timor Leste)





■タイ・カンボジア国境(Cambodia)


11年振りのシェムリアップ 



2001年の夏と年末にこの町を訪れていて、年末に再訪した時には夏にはなかった横断歩道ができていたり、今後ますます発展していくだろうなと当時から思っていた。
治安の安定、地雷撤去がさらに進んでいけばアンコールワットを持つこの町が発展していくのも必然だった。

11年前は町に街灯がないので夜は真っ暗で信号もないような所だったのだが、街灯に信号はもちろん、大型ホテルがいくつも建ち並び、旅行者向けのバーやレストラン、交通量も多く、自分の知っているのどかなシェムリアップはなかった。
想像以上の発展を遂げ、大きな変化があった。


しかしそんな中で変わらないものを見つけるのは嬉しく、11年前から営業していたゲストハウスを横目に通過し、当時と変わらぬ川沿いの道を歩けば記憶が蘇り、バイクタクシーの客引きも全く同じだなと思う。

「ここを訪れるのは11年振りなんですよ」と客待ちをしている暇そうなドライバーに語りかけたくもなる。


宿にはバーがあり、大音量の音楽が流れ、至る所から大声で話し声が聞こえ、大麻の臭いも漂ってきた。
田舎で暮らす素朴な人達の所で夜を過ごす事もあれば、対照的にこんなにも騒々しい所で過ごす夜もあるのだなと1杯50セントのビールを飲みながら思う。

バーでは缶コーラを飲むより生ビールを飲む方が安い。

Kralanh 

ボルネオでは椰子林、マレーシア後半はモスク、タイではガソリンスタンドに警察署。

国境を越え、国が変われば寝床も変わる。
越境後の初日あるいは最初の数日はいつも以上に慎重にテント設営場所を探すし、ほんの僅かではあるけど不安を感じる事もある。
何日か過ごせば、その国にも次第に慣れていき、治安や国民性などを理解し肌で感じ、どこで安全にテントを張れるか分かるようになる。


日没が近付いているのにテント設営に適した場所が見つからない時は焦り、不安を感じたものだけど、それはもう北米以前の事で東南アジアを歩き始めてからはそんな焦りとは無縁である。
これまで何とかならなかった事はないので何とかなるだろうと気楽に考えている。

しかしそれもタイまでの事。
他の東南アジアの国々と比べ治安が悪いのがカンボジア。
人目につかないように道路から離れた所にテントを張れたらいいのだけど未撤去の地雷があるかもしれないのがカンボジア。


カンボジア初日は国境から50キロ離れたシソポンを目指す事に決めていた。
日没前後の到着を考えていたけど、街灯もなく、周辺の家々から漏れる明りは頼りなく、闇の中を車のヘッドライトを頼りに進んだ。
若干の不安を感じたけど、暗くなってからも外で走り回る子供達を見ればほっとした。
どこか懐かしさを感じる風景で日本にもこんな時代があったんだろうなと思いながら、シソポンの宿まで闇の中を30分歩いた。

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2日目は50キロ先にKralanhという町があったのでそこを目指し、町外れの建設現場にテントを張らせていただいた。

隣国とはいえタイのように警察署は多くなく、ガソリンスタンドもない。
たまに現れたとしても24時間営業なんてありえない。
街灯など一切ないので日没ギリギリまで歩くのは避けたく、歩行距離はやや短くなるかもしれないけど、歩行を早めに切り上げ、無難にいくしかない。

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内戦という負の歴史を持っていて、貧しく治安が良いという国ではない。国土にはまだ未撤去の地雷が多数あり、街灯もないので日没後は闇の世界、なんて書き連ねていけばなんとも恐ろしい国に思えるかもしれない。

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しかしクメールの民はとても穏やかな人達で、茶色く濁った小さな池で漁をしている人、牛を連れ道行く人、農作業をしている人、たくさんの人を目にしてきたけど、貧しいながらも悲壮感を感じさせる事なく逞しく生きている。

歩行中何度も声をかけられ、「飯食っていけ」「虫食え」と気遣ってくれる事もしばしば。Kralanhにテントを張った夜は近所のおばちゃんがパンを持ってきてくれた。

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ゆっくりとした優しい時間の流れを感じる。

Sisophon 

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国境に着くと大きなリヤカーが列を作り、リヤカー仲間がたくさんいた。
タイ人なのかカンボジア人なのかは分からないけど、フレンドリーで陽気な人達だった。

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国境が開くのを待っていた彼らの暇つぶし相手になる。

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カンボジア入国。

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11年振りのカンボジア。
ビザがシールビザになっていて、国境の町のポイペトがでかくなっていて、かつては未舗装路の悪路だったシェムリアップへの道が完璧に舗装されていた、というのがまず最初に感じた変化。

豪州からタイまでの1年少しは日本と同じ左側通行だったけど再び右側通行に戻った。
路肩は広く、歩きやすい。

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多くの旅行者が訪れるシェムリアップ周辺はそれなりに恩恵があるのだろうけど、地方は何も変わっていないという印象。
相変わらず貧しい国だなと思う一方で、クメール人と接し、当時と変わらぬ穏やかさを感じればそれはとても嬉しい。

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夕方通過した場所は道脇に数軒の店が並び、虫が売られていた。
写真を撮らせてもらう。そして「食ってみろ」と店主。

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うーんと数秒思考を巡らした後、虫を手に取った。
自分にとっては虫を食べるなんて非日常なんだけど、彼らにとってはごく普通の日常な訳で。価値観とか非日常とか、そんな言葉を言い訳にしたくなかったのです。

どんな表情をしていたのか知る由もないけど、口に放り込み、実際に口にした感想は、食感はエビの殻部分、虫自体に味はないけどなかなか良い味付けで、ビールに合うなと思った。
全然いける。うんうんと頷きながら店主に「グッド」と親指を立てて伝えた。

Aranyaprathet 

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インドネシア、マレーシア、ブルネイ、タイと国境が近付くにつれ気分が高揚しわくわくしたものだけど、日に日に少しずつカンボジアが近付いているというのに何も感じず。

人、食事、歩行環境など、タイは何もかもが素晴らしく快適で去り難いというのは否めないんだけど、もやもやするのがカンボジア。
まずは国境でぼったくってくるビザ料金を絶対に正規料金で取得しようとすでに臨戦態勢でいて、入国前からとても面倒な気分でいる。
未撤去の地雷がある可能性もあるので茂みにテントを張る事はできないし、ならばどこにテントを張ってどこで用を足せばいいのかとアランヤプラテートへ向けて歩きながら真剣に考えてみる。


しかし11年振りに訪れるカンボジアがどのような変化を遂げているのか目にするのは楽しみなのである。
タイのあまり変化のない景色にも飽きているし、何でもいいから変化がほしいと思う一方で、11年前から変わらず残っているものがあってほしいと勝手に願っている。

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アランヤプラテートに到着早々、バイクの修理屋を見つけたのでちょっとしたメンテナンスを依頼した。

ここまで4年、3万キロ超も共に歩いてきたリヤカーだけど、致命的なトラブルは皆無。
今回も歩行には全く問題ない事だけど、リヤカーの生みの親である永野さんより指示をいただき、その指示通りにメンテナンスをしたところ見事に問題は解決した。ありがとうございます。


アランヤプラテートに着き、総歩行距離は約32000キロに達した。
上海からユーラシア大陸最西端のポルトガル・ロカ岬までが16000キロだったので、ユーラシア大陸を往復した計算になる。

車輪トラブル、ビザ問題、盗難被害、凍傷とトラブル続きだったユーラシア大陸と比べたら北米後は大きなトラブルもなく順調であったけど、カナダと豪州でそれぞれ足止めがあったので、往路の16000キロと比べたら、この復路に相当する16000キロはやや長く感じられた。

しかしあくまで歩行距離ではあるが、ロカ岬からまた歩いて上海へ戻ってきたなんて我ながら誇らしいというかアホというか。