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ALKINIST -あるきにすと- 2015年10月

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セブン・デイズ・イン・パイネ 



1週間ほどパイネ国立公園を歩いていた。
歩くのには慣れているので問題ないけど、背負うのは慣れていないので肩が痛い。
食料9.5キロ、ワイン1.5キロ、その他装備も含め20キロ近くあったと思う。

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確実に晴れだと分かっていた初日に目玉のトーレス・デル・パイネへ。
トレッキング自体は上り坂の先に湖が現れ、氷河が現れとたくさんの顔を見せてくれ期待通りだった。しかしトーレス・デル・パイネを含め、いくつかある見どころはすごいと言えばすごいのだが、「ふーん、こんなものか」という程度で期待以上のものではなかったというのが正直な感想。
それなりに楽しんでいたけど、パタゴニアの自然が自分の期待に応えられなかったという事実にもやもやしながらプンタ・アレナス行きバスに乗り込んだ。


ザックに食料など最低限のものを詰め込んで山中を歩くより、遠目に山を見ながらリヤカーを引いて歩く方が自分には合っているなと思う。
3000メートル級の山々に囲まれた道を歩いたカナダは本当に最高だった。なんて思いながら景色を眺めていたら車窓からの景色に心を奪われていた。すごいではないか。

できれば下車したいところだけどバスは走り続けている。「また次の機会に」と自分に言い聞かせるも、次の機会っていつだ?
ここでバスを降りなかったら絶対に後悔すると思い途中下車。

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曇ってはいたけどパイネの山々を一望できた。
大した事ないなんて思ったりもしたけど、こうして遠景を眺めるとものすごい存在感だ。
当然ながら山の中にいた時とは全く違った見え方であり、これこそ自分好みの山の楽しみ方だった。
1時間半歩いた先のキャンプ場へ行くが、トレッカーは皆無で、宿泊客はツアーバスに乗った人達だけ。ここからの景色を見ないのは実にもったいないと思っていたら、個人客が一組いて声をかけられた。

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ニュージーランド人の夫婦。
彼らとは山を歩いていた時にもキャンプ場で会っていた。
大部分のトレッカーがガスストーブを使っている中でMSRのストーブは極めて稀なのだが、年季の入った燃料ボトル、自分と同じドラゴンフライを使用していたのが彼らだった。
同じにおいがするなと思っていたらやはりサイクリストであった。
「あまりに景色が良かったんでバスを降りてしまいましたよ」なんて話せば、「私達もここへ来る予定はなかったけど景色が良かったのでついつい」と彼ら。
同じ価値観を持つ人と出会えて本当に嬉しく思う。


予定外の延泊から一夜明けた。
前日はどんよりとした曇り空だったので青空を期待したが、明け方からぱらぱらと雨がテントを叩き、残念ながら天気は良くない。
青空の下に聳え立つ雄大な山々を見たかったのだけどしょうがない。
プエルト・ナタレスへ戻るためのバス乗り場へと向かっていたら、後方からやって来たサイクリストにじろじろと見られているのに気付き、顔をよく見るとお互いに「あーーっ‼‼‼」と声を上げてしまった。

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トルウインで会ったデジ現る。
絶対に自分より先に進んでいると思っていたのに、後ろにいた。
立ち話を少し、再会を約束して握手をした後、彼らの背中を見送った。
予定外の延泊は美しい景色だけでなく、ニュージーランド夫婦やデジ達との再会を運んでくれた。

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時間の経過と共に少しずつ青い空が広がっていく。
7日間のトレッキングのフィナーレを飾るに相応しい景色を堪能し、思い残す事なくパイネをあとにした。

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プエルト・ナタレスへ 



前方にバスが停車していて、人影が見えた。
人影は道路の真ん中に立ち、たまに通る車を止めているようだった。
バスの故障だろうか。時間のない乗客がヒッチハイクをしているのかもしれないなと思う。
何かを請うているように見えた。

バスの近くに達したタイミングでさらに数人現れる。
顔にはペインティングが施され、普通の人達でないのは明らか。ペインティングによって素顔を隠した新手の強盗だろうか。
南アフリカで強盗被害に遭った時の記憶が蘇り、動悸が高まっていく。
交通量も少ないこんな所で強盗被害に遭えばお手上げだ。
「チリって治安が良い国でなかったのか」と思いながら、近付いてきた男に「オラ」とフレンドリーに挨拶する。
男は握手を求め、ハグをしてきた。その隙に財布をすられないかとポケットにも注意を払う。

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しかし実際のところは全然普通の人達でサーカスの宣伝をしているようだった。車が通過する度に停車させ何やら話しかけている。
なぜこんな平原のど真ん中でと思ったのだけど、チャリティーウォ―クでプエルト・ナタレスからプンタ・アレナスまで歩いている事を後で知った。募金箱を手にお金を集めながら歩いているらしい。

彼らは「飯食っていけよ」とジェスチャーで示し、バスを指差した。

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食事は別にいらないのだけど、水を補給させてもらおうとバスへ向かうと、「飯食っていけ」とテーブルに食事が用意されてしまった。ラーメンの予定だった夕食が一転して豪華になった。
デザートのフルーツ、食後のコーヒー、さらに去り際にはパンやチキンを持たせてくれた。

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スムーズにいかないところがややもどかしいのだが、いつもの様に会話帳を片手にコミュニケーションをとる。
「チリといえばあれだ」と閃き、「コパ・アメリカの優勝おめでとう」と伝え、コロコロやチリのサッカー選手の名前を出せば随分と喜んでくれた。
ロドリゴと名乗った男は日本語で名前を書いてくれと言い、それに応えれば子供の様にはしゃいでいた。

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その後しばらく歩いたところでテント。小屋は見当たらず、道脇には延々と柵が張り巡らされているので、なかなか良いテント設営場所は見つからなかった。
テント本体は同じものだけど、トレッキング用に持ってきた軽量フライシートに変えてみる。

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DXフライに比べ前室は狭くなった分、居住性はやや劣るが、携帯性を考えたら全く問題なし。DXフライと同じ色なら完璧なのだが。

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翌朝、出発準備をしていたらキツネが現れた。

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荒涼とした景色には青空よりどんよりとした灰色の雲が似合う。
世界の果て感を演出してくれる。

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そしてプンタ・アレナスから歩くこと4日半、プエルト・ナタレスへ到着。

パタゴニアの暴風 

窓から外の様子を窺い、風が強い事は分かっていたが、荷物を持って外へ出てみると想像以上の強風だった。
これがパタゴニアの強風か……。強風というより暴風である。
障害物の多い街の中でさえこれだけの強さなのに、街を抜けたらどうなるのだろう。

5キロ離れたフェリーターミナルまでは横風だったが、ここから先は進行方向が変わり、向い風を受ける事になる。顔を下げ、一歩一歩、しっかりと踏みしめるように進む。
荷台に載せていたパンが一瞬にして遠くへと飛ばされた。「ああ貴重な食料が」と思ったがきっぱりあきらめ、追わない。
いつどこで風は弱まるのだろう、これから連日この風の中を歩く事になるのだろうか……。
不安は尽きない。

進行方向が変わる度に横風、向い風、追い風と風向きが変わっていくが、横風にあおられれば風の勢いでじりじりと路肩の端へと追いやられる。軌道修正しては風にあおられてを何度も繰り返す。
唾をペッと吐いてみれば風に乗って10メートル以上も飛んでいった。

追い風になれば風の勢いを背中に受け、小走りで進んでいく。
やや急な下り坂を駆けた時、時速13キロ程度になるのだが、歩行終了後にサイクロコンピューターを確認するとこの日の最高時速は13キロ。ほぼ同じスピードが出ていた。

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有人地帯を抜ければ延々と何もない平原が続くパタゴニア。
風をしのげる場所などほとんどないが、たまにバス停や小屋が現れ、そこで休んだり、眠ったり。暴風が吹き荒れている時はこれがないとかなりきつい。

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プンタアレナスからの初日は終始強風が吹き続けたが、予定していた分岐まで歩く。
おかしな話ではあるが、追い風もあったし、横風や向い風の時は必死に歩いていた分、無風状態の時より快調なペースだった。
しかしとてもテントを張れる状況ではなく、バス停で眠る事も考えたが、近くのガソリンスタンドの主人が寝床を提供してくれた。屋根壁に守られた小屋で眠らせていただく。ありがたい。グラシアス。

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翌朝は微風。
にも関わらず終始暴風が吹き荒れていた前日より歩行ペースは遅い。

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道脇にはタンポポが咲いていて、春の訪れを感じる。

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2日目も無人の小屋を見つけて眠る。
南アフリカを歩いていた時は日没が近付くにつれ安全な寝床を確保できるか不安に感じる毎日だったが、パタゴニアで最も大きな不安は暴風。
強い風が吹いていたらテントは張れないし、夜間に突如風が強まる可能性があり最悪テントの破損なんて事があるかもしれない。風を防げる小屋、あるいはテントを張るにしても何らかの障害物を風よけにしたい。
過信しないという意味では早々にパタゴニアの暴風を経験できたことは良かった。

延泊 

雨は降っていなかったが、朝からすっきりしない天気。
天気予報をチェックすれば午前中は降水確率が高い。

プンタ・アレナスを出てしまえばまた何もない所を歩くわけで、雨は絶対避けたいのともう1日くらいゆっくりしてもいいかなという考えもあったりで延泊決定。
実際のところ雨はパラパラと降った程度で歩行に支障があるというものでもなかった。

スーパーへ行き、これから向かうパイネのトレッキングルートをチェックし、今後のルートを再考してみたりとゆっくりと体を休める事ができた。
さらには荷物を減らすべく日本を発ってから4冊目、読みかけだったグラスホッパーを読了。宿に置いていく。



手元にはまだ6冊の本がある。
次は東野圭吾。

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さらには2009年に歩き始めて以来ずっと持ち歩いている『青春を山に賭けて 植村直己』。
荷物の奥底に入っていて取り出す事はめったにない。
アフリカ大陸縦断中は一度も取り出した記憶がないのだけど、ブルガリアで凍傷を負った時はこれを読みながら毎日祈っていた。お守りみたいなものです。

たまに無性に読みたくなるのが星野道夫なんだけど持ってくるのを忘れ、椎名誠のパタゴニアも再読しようと思っていたけど、なんだかんだで読み忘れてしまった。
南米大陸の徒歩紀行本は日本の自宅に4冊あるのだが、こちらはあまり読む気にならず放置したまま。

Punta Arenas 



チリ南端のプンタ・アレナスにおります。
この街の事を知ってる人は多くないと思うけど、遠くに見える海はマゼラン海峡。
かつてドロンズはここから南北アメリカ大陸ヒッチハイクの旅を始め、敬愛するカール・ブッシュビーも長い長い徒歩の旅をここから始めた。

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街の中心にはマゼラン像があり、このアラカルフ族の足を触ると無事に航海を終える事ができるという言い伝えがあるのだとか。
確かに多くの人々に触られた足の部分だけ光沢を放っている。
そして自分もまたこの足を触り、「無事に南米大陸縦断できますように」と安全祈願をする。

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プンタ・アレナスでは1日休んだだけですぐに動こうと思う。
これからまた250キロの移動だが、食料など補給できる場所は1ヵ所あるのみ。
足りないよりは余るくらいの方が良いというのはいつも思う事でしっかりと食料を用意する。
インスタントラーメンは日本でもおなじみのマルちゃん、そして味の素のものがあった。
これ以外にも日本から持ち込んだレトルト食品などたっぷりあるのでとても重い。
ワインも1.5リットル用意してしまったし、日本酒も持っている……。
アルゼンチンと比べ物価が高い所が悩ましい。

大陸本土へ 



夜のうちに雨が降り、水たまりがいくつもできていた。
小屋の中で一夜を過ごせてよかった。テントを雨が叩けば本当に不安になる。
チリに入ってからは未舗装路が続く。
気温は低く、さらには正面から冷たい向かい風が吹きつける。

歩行開始から40キロ、8時間以上も風が吹き続けた。
遂にパタゴニアが正体を現したかと思ったが、ウイグルや南アフリカで経験した前屈みにならないと歩けないような風ではなく、パタゴニアの真の姿を知るのはもう少し先の事になりそう。

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そんな時に現れたのがこれ。
パタゴニアで見たいと思っていたフラッグツリー。

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アップダウンも多く、未舗装路、向い風と共に三重苦であった。

国境からポルベニールへは約140キロ、歩いて3日の距離。
携帯していた5リットルの飲料水で何とか持ち、食料に関しては手軽に食べられるパンなど尽きてしまい昼食はストーブを出して調理した。
これまで6年近く歩いていているけど、昼食時にストーブを出した事は10回もない。
極めて稀なケース。

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最後の最後までアップダウンがあり、その先に現れたのがポルベニール。
人口7000人らしいが思ったよりも大きな町だ。
楽な歩行環境ではなかったし、食料や飲料が限られた事もあり、遠くに町影が見えた時は「やっと着いたか」と嬉しく思った。何よりもここでフエゴ島の歩行が終わり、南米大陸本土へ渡れるという事が気持ちを昂らせた。

ウシュアイアは南米最南端と言われたりもするけれど実はフエゴ島という島にある。
そこから大陸本土へ渡るには船を使うしかないのだが、動力を使った移動は可能な限り排除したく、大陸本土南端のプンタ・アレナスから歩き始める事も考えていたのだけど、航空券の値段やら色々と事情があって結局ウシュアイア発となったのでした。
そんなフエゴ島の歩行もここで終わり。ポルベニールから船でプンタ・アレナスへと渡る。

海に面した町に着き、周囲を見渡すもフェリーターミナルのようなものはない。
遥か遠くに大きな船のようなものが見えたがまさかあそこまで行くのか……。
「ドンデ バルコ、プンタ・アレナス?(プンタ・アレナスへの船はどこ)」と覚えたてのスペイン語で尋ねてみれば、現地人はやはりその大きな船らしきものを指差した。

出航は14時らしい。あと2時間しかないではないか。
10キロくらいありそうに見えるが果たして間に合うのか?
チリ・ペソも持っていなかったので銀行へ行きキャッシング。
ポルベニールはなかなか良さそうな所でゆっくりしたかったのだけど、時には走り、何とかフェリーターミナルへ到着。慌ただしいフエゴ島での最後だった。
チケットは約10ドル。リヤカーの運搬料金は取られず。
プンタ・アレナスへの約2時間は疲れからかずっと眠っていた。

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そして南米大陸本土に上陸。

San Sebastian 



リオ・グランデから2日、サン・セバスチャンに到着。
ウシュアイアを出て以来現れる距離標識には常に「サン・セバスチャン」の名前があり、そこそこ大きな町だと思っていたのにガソリンスタンドが1軒あるだけの国境だった。
ここでパンなど食料を買い揃えるつもりだったので大誤算。
夕食はこれまで通りストーブを使って調理するので問題ないが、朝昼食は手間がかかって面倒なのでストーブは使わない。しかしパンやビスケットといった食料が足りない事態に。
うーん困った。ストーブを使わないといけないではないか。


アルゼンチンの人は噂に聞いていた通り英語を話さない。
国境の職員はさすがに大丈夫だろうと思っていたけれど彼らも英語を話さない。
難解なスペイン語で何やら尋ねてきたので適当に「シー(イエス)、シー」と頷いていたら、荷物チェックをされた。荷物を出している時も鋭い眼光がこちらに向けられる。
「麻薬を持っているか?」みたいな質問に「はい」と答えてしまったのだろうか……。

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そしてチリ入国。
今後も両国間を何度か行き来する事になるのだけど、記念すべき初チリ。
アルゼンチン・チリのイミグレ間は13キロもの距離があった。遠い。
チリは食べ物の持ち込みが厳しいと聞いていたので入国手前でチーズとゆで卵をパンにはさんで消費。
検疫では食料袋を見せて「何も持ってません」と自己申告しただけでOK。アルゼンチンよりずっと簡単だった。


チリ側にも何もなく、レストランで水を補給するも飲用不可と言われる。
ミネラルウォ―ターも3ドルと高かったが、この先の小さな商店で約半値のミネラルウォ―ターを2本購入し、2リットルのボトルに飲料水をいただいた。
この先ポルベニールまでの140キロ、補給地点はゼロ。
5リットルの飲料水、6リットルの調理用水。限られた水と食料で何とかやっていくしかない。

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チリ初日は道脇にあった小屋の中にテントを張る。

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