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ALKINIST -あるきにすと- 2015年11月

砂漠を読みながら青空待ち。 

前日までの好天が嘘のようにどんよりとした雲が空を覆い、溜め息を吐く。
天気が悪いと山々は雲に隠れ、湖はくすんで見えるわけで景色の良い道は青空の下を歩くに限る。
青空か曇天かの違いは大きく、気持ちは180度違ってくるものだ。

どうせなら退屈なパンパを歩いている時とか前日の休みの日に曇れば良いのにと思いながら荷物をまとめる。
延泊という選択肢もあったけど、あまり居心地の良い宿ではなかったので予定通り出発。



出発時、わずかに青空が見え、天候の回復を期待するも、完全に灰色の空に覆われ、雨が降っているのか遠くに見える山々が霞んで見えた。
こんな天候の中、絶景ルートを歩くのはやはりもったいない。
まだ絶景が始まる前であったが半日25キロを歩いた時点で早々にテントを張ってしまう。

特にやる事もなく半日も時間を余す事となったのだけど、何をしたかというと延々とひたすら読書。

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『砂漠』伊坂幸太郎
砂漠を読みながら青空待ち。
読み始めると止まる事ができず、コーヒーを飲みながら6時間ぶっ通しで読み続ける。
伊坂作品を読むのは6作目だけどこれが1番面白かった。

雨雲がこちらへやって来たようでパラパラと雨がテントを叩く。
テントから顔を出し、何度か空を見上げるも天候が回復する事はなく、「明日は頼むぞ」と祈りながら眠りに就いた。

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一夜明け、「天候はどうだろう」とやや緊張しながらテントから顔を出すも、祈り届かず曇天。
青空待ちのため、これ以上足を止める事はしたくなく歩行開始。

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昼前辺りから青空が見え始め、テンション急上昇。
切り立った崖の上に道があり、何度もアップダウンを繰り返す。
右手にはカレーラ湖、空を見上げれば青空。最高だ。

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さらに翌日、アウストラル街道との合流地点に到着。

Chile Chico 



さすがに700キロを歩き続ければ疲れが溜まり、チレ・チコにて1日半の休養をとる。
何もないパンパ(大平原)をひたすら歩き続けてきたけど、湖があって緑があって、安らぎを感じている。洗濯、買い物をしてのんびりと過ごす。

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町から一歩踏み出した途端、オフロードが始まるようで、さらには勾配のきつそうな上りと、町を出る前から少々うんざり。

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しかし国境で会ったカナダ人ライダー曰く「アイスフィールドパークウェイに負けないくらいの景色」との事。
自然に関しては目が肥えているカナダ人が言うのだから間違いないだろう。
カナダで実際に歩き、魅了された道と肩を並べるくらいらしいので楽しみである。

無補給区間を越えて 



ダンボール箱2つと手提げ袋に15キロの食料を詰め込んでカラファテを出発。
結局チャルテンに寄る事はなかった。ギリギリまで考えたものの、やはりチャルテンからフェリーでアウストラル街道という選択はできなかった。
歩けるルートがあれば歩く。これが自分の旅の定義。

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最後の補給地トレスラゴスにて14リットルの水を補給。
次の補給地バホカラコレスまで334キロ無補給区間となる。

しかし無補給区間といっても70キロの遠回りをすればG.Gregoresという町に立ち寄る事ができるし、多くはないけれどルート上には農場が点在し、最悪水などが尽きたとしても補給はできそうだった。
暑くはないので水分摂取量もそれほど多くはない。携帯していた水は全て飲用として考えていたので、途中川から調理用の水を汲む事もできた。

オーストラリアのスチュアートハイウェイを歩いていた時の最長無補給区間は250キロ。
酷暑だったので飲料用のみ30リットル以上を荷台に積み込んだ。
補給が可能なパタゴニアと違い、砂漠地帯のスチュアートハイウェイでは水を補給できる場所は皆無。日に日に少なくなっていく飲料に不安を覚える事もあったし、無人地帯の終わりを指折り数える毎日だった。

334キロとスチュアートハイウェイに比べたら長い無補給区間だったが、精神的にはずっと楽なものだった。

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問題があるとしたらそれはパタゴニア名物の強風。
向い風を受ければフラットな道であっても上り坂を歩いているかのよう。
序盤は強風に悩まされるも何とか1日60キロペースで歩き続ける。

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無補給区間に突入して2日目の朝は雨のため出発を見合わせていたら、いつの間にか雪へと変わっていた。ウシュアイア近郊ならまだしもこんな場所で雪に見舞われるのは予想外。
無補給地帯の洗礼だった。

無補給区間はまだ300キロも残っているし、携帯していた水もギリギリの量。前日は強風に悩まされていた事もあり、本当にこの先歩いて行けるのだろうか、チャルテンへ戻るべきではないかと少し葛藤。
この時はまだG.Gregoresという町の存在、遠回りすれば立ち寄る事ができると知らなかったのだ。

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未補給区間2日目、朝の雪に続いて更なる苦難。アスファルトが未舗装路へと化す。
計140キロの未舗装路を歩く。

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G.Gregoresの存在を教えてくれたのは彼ら。
左から2番目の男がルート40を走るという挑戦をしており、3台の車が並走し、チームが組まれていた。
スペイン語で意思疎通を図るのは難しく、この挑戦の目的、意義が何なのか分からぬままだったが、ここまで3カ月かけて3000キロを走ってきたらしい。ゴールはやはりウシュアイア。

この先のルートについて教えられ、「アスファルトを歩くならG.Gregoresに立ち寄る事もできるが、未舗装路を歩き続けるなら70キロの距離短縮が可能だ」との事。
アスファルト云々関係なく、334キロの無補給区間を歩くつもりでいたし、町の存在を知らなかったとはいえ寄る予定もなかったので迷う事なく未舗装路を選択。

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アスファルトと未舗装路との分岐でほぼ全ての車はアスファルトを進むので、もともと少なかった交通量がさらに減少。
アスファルトへ合流するまでの60キロ、12時間歩いたが、やって来た車はわずか5台だけだった。

ガス欠寸前の車に次の町への距離を尋ねられるもトレスラゴスは130キロも先と話すと青ざめていた。70キロ離れたG.Gregoresにガソリンスタンドがあるのか定かではなかったが一応町がある事を教えておく。
地図も持たず十分な燃料もなくこんな所へ来るとはなめているなと思ったが、果たして彼らは無事にガソリンスタンドへ辿り着けたのだろうか。

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さようなら未舗装路、こんにちはアスファルト。
ここからはアスファルトの道がずっと続く。

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トレスラゴスを出てから7日目。
パンパと呼ばれる大平原の中にぽつんと佇むバホカラコレスが遠くに見えた。
334キロ振りの補給地に自然と頬が緩んでしまう。
カラファテ出発時は15キロと重かった食料もほぼ底をついていた。

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さらに130キロ先にあるぺリトモレノもさーっと通過して、カラファテから11日半、700キロを歩いた末にチリへと戻る。

El Calafate 



車輪の修理依頼を済ませた後は、ペリトモレノ氷河へ。
わざわざバスに乗って観光地へ向かうというのは何だか気が進まず、行くべきか迷ったものの、行って良かったかなと思う。
ただアイゼンを装着して氷河上を歩くトレッキングは高いし乗り気じゃなかったので却下。
展望エリアから氷河を眺めたのみ。
到着から帰りのバスの時間まで6時間もあり、時間を余すだろうと文庫本を持参したけど本を広げる事はなく、ひたすら氷河を眺め続けた。というか崩落を待ち続けた。

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高い所では50メートルくらいあるらしいのだが、時折轟音と共に崩れ落ちる。
大小様々な氷河が崩落するがこれは大きな方。

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この迫力がたまらない。
しかしながらいつ崩落するかなど分かるはずもないのでひたすら待ち続けるのだ。

湖に沈んでいく氷河を見て思ったのは、この氷河がこの先端まで移動するのにどれだけの年月がかかったのだろうという事。全長30キロもあるらしく、動きが大きい所では1日2メートル移動するというけれど、どれだけの年月をかけてここまで移動してきたのだろう。

あまり期待していなかったので満足のぺリトモレノ氷河だった。

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これからフィッツ・ロイに寄ろうか決めかねているのだが、フィッツ・ロイのあるエル・チャルテンもまたカラファテ同様ルートから外れた場所に位置する。
西へ100キロ移動し、同じ道を歩いてルート40へ戻る必要がある。

チャルテンから30キロ離れた所に多くのサイクリストが走るルートがある。
フェリーを乗り継いでチリ・アウストラル街道の終点から北上するというルートなのだが、ルート40という歩ける選択肢がある中で動力を使いたくないという気持ちが強い。

フィッツ・ロイへ行かない事を前提に約10日分の食料を用意した。
歩行日数を割り出し、携帯すべき食料の量を計算。食パンやハム、チーズの枚数を1枚ずつ数えるくらいに綿密に。
この先ペリトモレノまでの630キロで水など補給できる場所は2ヵ所のみ。
最大の無補給区間は340キロ。
250キロの無補給区間があったスチュアートハイウェイ以上であり、さらには暴風という不安要素もある。12日で歩き抜きたいところだ。

そういえばウルルもスチュアートハイウェイから西へ250キロも離れた場所にあり、ウルルを訪れるなら往復500キロを歩く必要があった。
延々と続く単調な景色に心が折れかけ、「ウルルなんてどうでもいい。さっさと終わらせたい」と行かないつもりだったのに、分岐に達した時、引き寄せられるかのようにウルルへ足を向けていた。先日再訪したパイネも色々な要因が重なって導かれた。

フィッツ・ロイにそれだけの吸引力があれば足を向ける事になるだろうけど、それは分岐に達した時分かるはずだ。

トラブルはこうして起こった 

南米では300キロの未舗装路を歩いているが、車軸折れなど絶対にあり得ない事だった。

知識も経験もなく歩き始めた2009年はウイグル自治区で車軸が折れて以降、中国製のものに交換してもすぐにポキポキと折れてしまい、またロシアではハブ部分が完璧に破損し一苦労。リヤカー本体、タイヤだけでなく車輪も重要な部分である事を身をもって知った。

それ以降は車輪に関しても気を使い、常に丈夫な車輪を作ってもらい、大きなトラブルに見舞われる事はなかったし、今回の車輪も年米に備えて新調したものだった。
1000キロ少し歩いただけで破損するなんて事は絶対にあり得ないのである。


「なぜだ、なぜだ、なぜだ……」と早くも車輪がダメになってしまった理由を考えていた時、車輪を新調する際のリヤカー製造元のナガノさんとのやり取りを思い出した。
詳細は割愛するが、今回新調したタイヤのハブ部分はどこででも入手可能な形状のものにしてほしいと具体的にその形を伝えてあったのだが、メーカーより耐久性の指摘があったらしい。過度の使用でローレットが抜けてしまうという某運送会社の牽引リヤカーで当たり前に起こっている事例との事だった。

それに対し「過酷な環境下で耐えられる丈夫なものをお願いします」と返信したはずなのに手違いがあり、耐久性に問題のある車輪になってしまったのだろうか。


宿を確保し、早速過去のメールを遡って確認してみると、以下の様に返信していた。

「現地でハブ交換が可能かは不確かですが、ベアリングが交換可能なら問題ありません。南米はそこまで未舗装路はないと考えておりますし、歩行距離も1万キロもないですので。ご指摘、アドバイスをありがとうございました。」


えーっ、何を言ってるんだろうか……、と自分の送信メールながら驚いてしまった。
酔っぱらっていたのだろうか。あり得ない判断ミスで少し自己嫌悪に陥る。

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自転車屋を探し、車軸だけではなく、これまでのものよりは丈夫そうなハブに交換するも不安は尽きない。

トラブル発生 

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アルゼンチン再入国。
この先またチリへと戻り、アルゼンチンに入り、そしてまたまたチリへと両国間を行ったり来たりする予定。

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60キロの未舗装区間、ルート40を歩く。
ここを走る車は1時間に1台程度。
山や森、湖など風光明媚なパタゴニアの景色もいいけれど、青く大きな空にもくもくと漂う白い雲、殺風景で荒涼としたルート40も悪くはない。

好天で遠くにはパイネの山々も見えた。あの麓にいたのに随分と遠くまで来たなと思っていたら、後方からサイクリスト現る。

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ウシュアイアからカナダを目指しているオーストラリア人トム。
日に日に日照時間が長くなっているパタゴニア。今は21時半くらいまでは歩ける明るさだ。
彼と会ったのは18時半頃だったが、あと30分か長くても1時間くらいでテントを張りたいと考えていた。彼もまたもう少し走ってテントを張るとかで、「タイミングが合えば一緒に張ろう」みたいな感じで話し、彼の背中を見送りながら再び歩き始める。

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しかし疲れたので早々にテントを張ってしまった。
ゴメンよ、トム……。翌朝3.5キロ離れた所で彼のテントを発見する。

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未舗装路を終え、再びアスファルトへ戻り、順調に進んできたわけだけどトラブル発生……。

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まさかの車軸折れ。
たくさんの羊は見かけるが人などおらず、見渡す限り何もない。このタイミングで雨が降り始めるという最悪な展開。

折れた車軸で歩き続けるのは無理だろうと、リヤカーを畳み、ヒッチハイクを始めてみるも、ただでさえ交通量が少ないのに、リヤカー含む全荷物を載せられる車は限られ、ヒッチハイクは難航。その間も冷たい雨は容赦なく降り続け、体は濡れる。

ヒッチハイクを続行するのか、この場にテントを張って雨から逃れるべきなのか、どうする事がベストなのだろう……。
そんな事を考えながら折れた車軸をつなぎ車輪をリヤカーに装着してみると、ガタガタするものの何とか歩けそうである。タイヤに与える影響を考えたらこの状態で歩くべきではないのだが、仮にヒッチハイクに成功したとしても再びこの場所に戻ってくるのはとても面倒だ。

目指すエル・カラファテへは80キロも離れているが、行けるところまで行ってみようと歩行を継続する。車輪が壊れたらその時はその時だ。

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翌日昼過ぎまで、折れた車軸で50キロを歩いた。
自分としてはもうここまでで良いと考え、目標としていた分岐。
今後ルート40を歩き北上するのだが、エル・カラファテはこの分岐より西に位置する。およそ30キロの同じ道を歩いて往復する必要がある。
つまりこの分岐で歩行を中断し、車輪を直してまたここへ戻ってくればいいという事。

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分岐近くで会ったドイツ人サイクリスト。
折れた車軸で50キロ歩いている事を知り、「クレイジー」と一言。
彼らはカナダからの南下。ゴールはもちろんウシュアイア。

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早速ヒッチハイクを開始。
やはり交通量は多くないが、時折大きな荷台を持つピックアップトラックが通るのでそれを狙う。
普通車は完全無視。ピックアップトラックが見えるまではひたすら座って待機。
数台のピックアップトラックが来るも止まってくれる事はなく、これなら30キロを歩いてカラファテを目指した方が良いんじゃないかと思った時、1台の車が停車してくれた。

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狙いをつけたピックアップトラックには無視されるも、その後ろを走っていたバスが止まってくれたのだ。
「グラシアス、グラシアス」と感謝の言葉を連呼して、乗客ゼロのバスの車内に荷物を積み込み、あっという間にカラファテ到着。

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いやー本当に助かりました。グラシアス。

Torres del Paine 



パイネ国立公園からプエルト・ナタレスへと戻るバスの車窓からデジ達の姿が見えた。
未舗装路を続々とバスが通過していけば、土煙が舞い、そんな中を自転車で走るのは悲惨なのだけど、そんな事よりもこの絶景の中を走っている事がとにかく羨ましかった。
バスの車内ですでに決心しておりました。

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リヤカー引いてパイネ再訪。
もちろんリヤカーと共にトレイルを歩く事はできず、およそ50キロの道路だけ。次の目的地であるエル・カラファテへも遠回りになるけど全然問題なし。
今回は天候にも恵まれ、最高のパイネ日和となった。
快晴と曇天とではテンションが180度違います。

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うおーっ!
絶景が続く。

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うおーっ!
強い横風に煽られ転倒する。

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うおーっ!
この直後、三脚が倒れ、湖の中にカメラは沈む。

朝日を浴びるトーレス・デル・パイネを見るため、もう一度足を運ぶも雲が多く微妙であった。
改めて自分の期待以上ではないなと思う。やはり遠くから見るパイネの山々が好きだ。

トーレスの麓のキャンプ場に滞在。シャワーを浴び、テントへ戻っていたところ、見覚えのある顔がテント前を通りかかった。
デジである。こちらに気付くや否や、満面の笑みを浮かべ、握手してハグされた。
パイネで1カ月働くと聞いてはいたけど、まさか再会できるとは思ってもいなかった。キャンプ場のシャワーを利用しているらしい。
「あなた達がここを走っている姿を見て、自分もリヤカーと共に歩きたくなったんだよ」と彼に伝えた。
そう今回の再訪は彼らに導かれたものなのだ。
またの再会を約束してお別れ。そしてパイネを去る。

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何度も振り返り、遠ざかっていくパイネを目に焼き付けた。