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ALKINIST -あるきにすと- 2015年12月

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大晦日 

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3往復かけて荷物を階下へと運び、朝食をとる。
コーヒーを啜りながら考えていたのは、前日に行けなかったカンパナリオの丘の事。
後ろ髪を引かれるというのはこういうことを言うのか。
色々と考えた結果、もう1泊位いいではないかと宿代を支払って延泊決定。
再び荷物を部屋へと運ぶ。

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当然カンパナリオを訪れる。
前日(行かなかったけど)、そしてこの日と、ここを訪れるために2日も延泊したのだが、間違いなくその価値はあった。360度見渡す限り湖、山の絶景が広がっている。
街からのアクセスも簡単だし、ここを訪れずにバリローチェを去るというのは愚行なのではなかろうか。


カンパナリオを訪れる事ができ、思い残す事はもうない。
翌朝もまた3往復かけて荷物を階下へ運び、朝食をとる。
しかし朝食後に出発ではなく、宿代を払い、荷物を部屋へ運ぶという前日と同じ謎の展開。出発するつもりでリヤカーを外へ出していたのに……。

出発したいという気持ちはあるのだが、やる気はあまりないので、1泊ではなく、大晦日までの2泊分を支払い、気持ち新たに新年から歩行を開始する事に決めた。
スタッフがとても良い人達で宿の居心地が良いというのが、腰を重くさせている最大の理由だ。アルゼンチンペソを余し、使いまくっていたのに逆に足りなくなってしまった。

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せっかくの延泊、宿でダラダラ過ごすのではなく有意義に過ごそうと、宿の人にお勧めの場所を聞いて山へと向かった。
ちなみにクリスマスに登ったオットー山については「あんなもんダメだ」と言われる。悪くはなかったのだが……。

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宿の人おすすめなだけあって素晴らしい眺望。

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大晦日の今日は湖畔を10数キロ、のんびりと歩いてみた。
アウストラル街道も良かったけど、バリローチェの方が満足度は高い。今のところ南米でベストな場所だし、これまで訪れた場所の中でもかなり上位。

ここからチリの首都サンチアゴへは約1200キロ。
アルゼンチンではもう少し景色を楽しみながら進み、チリはガッツリという感じで、1月下旬の到着予定。2016年はアルゼンチンから始まる。

2009年中国、2010年ウクライナ、2011年カナダ、2012年オーストラリア、2013年カンボジア、2014年日本、2015年エチオピア、来年はどこで新年を迎えるのだろう。

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Earth trek expedition 



南米の動画を整理していたはずなのになぜかアフリカまでの動画をまとめていた。
大きな画面はこちらから。

バリローチェ5日目 

バリローチェは3泊の予定だったが、本日5泊目である。
アルゼンチンペソを多く余しているし、昨日ポストカードを買った際、その写真の風景がとてもきれいだったので延泊してでも行きたいと思った。2日もダラダラとした腑抜けた生活をしてしまった事を猛省し、心を改めたつもりだったが、結局そこへは行っていなかったりする。

何をしているかと自分でも思うのだけど、動画の整理をしていたら、夢中になって徹夜してしまったのだ。用事のあった郵便局へも行けなかった。

しかしこの先チリに入れば首都サンティアゴまで退屈な高速道路が延々と続き、ガッツリ歩く事になるので、良い休養だったと思う。ここからサンティアゴへは1200キロだ。



700キロくらい手前のチリ・コイアイケ辺りで現れた距離標識なのだけど、ペルー国境近くのアリカまで3700キロとか遠すぎる。
これを見て「よし頑張ろう」などとモチベーションを上げる事などできないのだが……。
ここまで3000キロ歩いているけど、南米地図を見れば、思ったより進んでなくて唖然とした。南米大陸は大きい。

引きこもり生活 



バリローチェ中心部。
ウシュアイアからここまで3000キロを歩いてきたわけだけど、初めてマクドナルドが現れた。
すぐ近くに湖があったりするんだけど、バリローチェに到着してから3日目を迎えたというのに山へは登っても湖畔へはまだ足を運んでいない。

徒歩行をする人間にとって街というのは観光をする場所ではなくて体を休める場所なのだ。
スーパーへ出かけたり1日30分外出する以外は宿に引きこもるというのが理想の形。
ごく一般的な旅行者の旅の目的が観光だとしたら、自分の場合は普段の徒歩での移動がそれにあたる。
景色が良い所では足を止めて写真を撮るし、話しかけてきた現地人とコミュニケーションもとり、何より汗を流しながら目的地を目指すという行為に満たされている。
宿に引きこもりながらそんな事を思うのである。
引きこもりの言い訳でもあるのだが、今日はやるべき仕事を済ませたり、充実した引きこもり生活だった。


実はバリローチェにおいて楽しみにしていた事が1つあった。
ガイドブックのバリローチェの項では中華ビュッフェレストランが紹介されていて、バリローチェを目指す上でのモチベーションの20パーセントくらいをこの中華ビュッフェが占めていた。
バリローチェ滞在中に2度は食べに行こうなどと考えていたのだが、到着早々足を運んでみればまさかの閉店に大きなショックを受ける。
持っているガイドブックは中古で入手した5年前のものだから文句は言えないが、2015年クリスマスイブの悲劇として記憶に刻まれた。



バリローチェにはチョコレート屋がやたらとある。
1軒くらい中華ビュッフェレストランに転身すればいいのに。



非常にどうでもいい事なのだが、屋根壁に守られたベッドの上では熟睡する事ができない。
酔っ払ってベッドに倒れこんでも、なぜか朝4時に目を覚ましたり、歩いている時と同じ時間に起床する毎日。
今に始まった事ではないのだが、宿に泊まれば睡眠時間は確実に減り、果たしてこれを休養と呼べるのかよく分からない。昨夜なんて眠りに就いたのが3時半なのに7時起床とか自分の事ながら本当に勘弁してほしい。
テント以上に落ち着き、快眠を得られる場所がない。

Bariloche 



バリローチェ手前では美しい湖沿いの道を歩き、

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後方を振り返れば、大きな山が聳え立っていたり、バリローチェに到着する前から印象はすこぶる良い。
あまり期待していなかったのだが、今のところ南米で最も好きな場所かもしれない。

期待していなかった理由はバリローチェが『南米のスイス』などと形容されているから。
蘇州が東洋のベニスと言われたり、熱海が東洋のナポリと言われたり、超高校級のサッカー選手が和製ロナウドと言われたり、こういう表現をあまり好まないのである。
本家と比べて大した事ないし、オリジナリティがないし…。

しかしバリローチェは良い意味で期待を裏切ってくれた。
スイスは飛行機の乗り継ぎでしか訪れた事がなく、果たして本当に『南米のスイス』であるのかよく分からないのだけど、バリローチェは自然豊かで美しい場所だ。
無理に南米のスイスなどと言わなくても良いではないかとも思うのだが、実際に19世紀末にスイス人が多く移住し、バリローチェの町を作り上げたらしい。


そういえばブエノスアイレスからウシュアイアへ空路で向かった時、バリローチェ、カラファテの2カ所を経由するという便だったのだが、バリローチェからカラファテ経由でウシュアイアまで4時間かかった。
そのバリローチェへ80日かけて3000キロを歩いてきたのだから少しばかり感慨深いものがある。

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クリスマスに登ったオットー山からの景色。
これから湖をぐるりと回り、対岸へ向かう事になる。

今年はバリローチェにてクリスマスを過ごしたわけだが、昨年のクリスマスをどこで過ごしたかと言えば、地球の割れ目ともいえるエチオピア・グレートリフトバレーの底に近い部分であった。
テントで夜を過ごし、腕時計の日時表示でクリスマスである事に気付き、クリスマスディナーはバナナとビスケット。

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そんなクリスマスの過ごし方こそ自分に相応しい気がするけど、今年はトゥルーチャというバリローチェ名物の川マスを食べた。

ルート40 



エスケルのキャンプ場は安く、居心地良かった。
もう数日ゆっくりしたいところだったが、クリスマスまでにバリローチェへ行きたかったので1日休んで出発。
エスケルから10数キロ歩いたところでぺリト・モレノ以来久々のルート40が現れた。

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やたらとこの標識が現れる。
ボリビアとの国境からパタゴニア南部までルート40の総距離は5000キロ。
個人的にパタゴニアの象徴の一つとして大きな青い空と見渡す限りのパンパが挙げられると思うのだが、カラファテからぺリト・モレノまでのルート40がまさにその景色だった。

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ひたすらパンパが続くものと思っていたけど、山があり、湖が現れ、アウストラルのような林道まであったり、予想外に景色が良かった。

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水の補給も容易である。

南半球では夏になり、北上し続けているのでパタゴニア南部と比べたらかなり気温が上昇している。
昼食にサンドウィッチを作るため、ハムとチーズを常温で持ち歩いているのだが、そろそろやばいかなと思い始めている。
エスケルを出てからの2日は快晴が続き、特に暑く、チーズが溶けて少し変色していた。「曇れ、曇れ」と念じる。

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祈りが通じてその後の3日は厚い雲が空を覆い、時には雨が降り、寒さのあまりダウンジャケットを着て、指先がかじかみという感じだった。
気温が低くなるのはありがたいのだけど、やはり曇りの日は景色がイマイチで、雨の日は最悪で、気持ちも180度違ってくる。
さすがに3日連続で朝から空がどんよりとしていれば大きな溜め息を吐く。

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アウストラルを離れ、アルゼンチンに入ってはサイクリストを見る事は少なくなった。
3台くらい見ただけ。

このバイクはコロンビア人。
フエゴ島を歩いていた時もコロンビア人の車に声をかけられたし、南アフリカの喜望峰でもコロンビア人と会った。
ボリビア、ペルー、エクアドルの人とは会った事がないのにコロンビア人との遭遇率は高い。
「エクアドルを目指している」と話すと、「コロンビアは?」と聞かれるので返答に少し困る。

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「コーヒーを飲むか?」と声をかけてきたエドワード。
助手席でコーヒーをいただいた。
彼は良い人だったが、平和なパタゴニアはもう終わりなわけで、これから先、人を信用し過ぎるのも命取りになりかねないなと思う。

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差し入れをくれた人達。
この後、ボロイ車が止まり、声をかけられたのだけど、「どこで寝てるんだ?」とか「金はあるのか?」と尋ねられる。金の事を聞かれると身構えてしまう。
見た目も怪しく、この日のテントはいつも以上に気を使ったけど問題なかった。
髭伸ばしっぱなしの怪しげなリヤカー引きに「怪しい」なんて疑いをかけられ、彼も遺憾の意を表明したいでしょうけど。

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とにかく今はこれまで以上に集中して、気を抜かないようにしようと思っているのである。

Esquel 

アウストラル街道はチャイテンという町まで続くけど、そこから先に道は存在せず、フェリーでチロエ島へ渡るしかない。
そんなわけでチャイテンの手前でアウストラル街道の歩行を終え、アルゼンチンへ。



チリ・アルゼンチン間を越えるのは4度目。
過去3度は両国のイミグレが5キロくらいは離れており、一方のイミグレで出国スタンプをもらい、1時間以上かけてもう一方のイミグレを目指し歩くというものだったけど、この国境は目と鼻の先に両国のイミグレがあった。

チリ側では延々と未舗装路が続いた後、国境手前の町から10キロはアスファルトだったが、国境線を境に再び未舗装路と化す。

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アウストラルでは少しずつ道路工事が進められ、10年もすれば全行程アスファルトになるのではないか。
現地の人にとって利便性は増す一方ものの、何だか味気ないなとも思う。しかしいざ自分が未舗装路を歩けば、さっさと舗装化しろと毒づいてしまう。

地面がある程度固ければ問題ないのだが、チリはそうでもなかったけどアルゼンチンに入った途端、砂が深かったり大きな石がゴロゴロと転がっていたたりでペースは大きく落ち、時折通過する車は土煙を巻き上げていき、イライラが募る。

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後ろを振り返れば山々が連なっていた。
山の向こう側に前日までいたが、この辺りは1年の半分くらいは雨というくらい、とにかく雨が多い場所らしい。
確かにプユアピ手前から雨に見舞われる事が増え、厚い雲に覆われすっきりしない天気が続いた。

アウストラル街道では常に山々に囲まれていたのだけど、山々が遠ざかっていけば牧草地帯が続く。水を補給していた小川がなくなり、アウストラルでは全く見なかったアルマジロを久々に目にしたり、変化もいくつか。
携帯する水の事を考えなくてはいけなくなった事が面倒だなと思い、楽しかったパタゴニアの終わりが近付いている事を実感している。

国境から70キロ歩いてエスケルへ。

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ウシュアイアからまだ2700キロしか歩いていないが早くも靴底には穴が開いている。
アフリカで全く同じ靴を履いた時は5000キロ歩けたのに、その時の6割も歩けていないのはなぜなのだろう。未舗装路が多かった事もあるしトレッキングもしたからか。

当初はサンチアゴくらいまで履くつもりだったが絶対に無理。せめて3000キロまで、あるいは今年一杯は、と思っていたけどそれも厳しい。
ここ最近の足の疲労は未舗装路だけが要因ではなく、この靴の影響もある気がする。
という事でエスケルより新しい靴に履き替える。

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