ブックマーク
ALKINIST -あるきにすと- 2016年02月

La Serena 

ガソリンスタンドで夜を過ごした翌日、15キロ歩いてラ・セレナへ。
ここには寄らず、先へ進む事も考えていたけど、疲れもあったし、安いホステルもある事だし、足を止める事にした。

「歩いている時、何を考えているのですか?」
よく聞かれる事だけど、大した事を考えていないのでいつも返答に困る。
ラ・セレナへの歩行中は無性にからあげを食べたくて何度も頭に浮かぶ。
次に足を止める時には絶対に作ろうと思ったのだが、片栗粉の代用品が見つからず断念。代わりにカレーを作った。


ラ・セレナからは200キロ歩いて町、150キロ歩いて町、さらに80キロ歩いて町という感じ。
町で食料を補給する事も可能だけど、ルート5を外れて町へ行き、スーパーで買い物するのも面倒なので7日分の食料をがっつりと買っておく。



米2キロ、ラーメン8袋、缶詰6缶、チョコチップクッキーをたっぷり、ワインにビール……。
あとはパンがあれば完璧。

この先無補給区間は200キロ、約4日分の水は24リットルくらいか。

Coquimbo 



「食料を買えるところはない」と聞いていたが、たまに村は現れるし、ないという事はない。
地図を広げれば確かに地名が載っているけど、フエゴ島やルート40を歩いていた時、地名がある場所に何もないという事があったので、地図を信用せず、補給地点がない事を前提に考えている。
信用できるのはそこそこ大きな町とガソリンスタンドくらい。

この日、90キロ振りのガソリンスタンドが現れるはずであり、しかも夕方というタイミング。
「これはガソリンスタンド泊だな」とテントを張る気満々であった。
いつもと変わらぬ海に近い褐色の大地を横目に歩いているとカーブが現れた。
大きく曲がった後、目の前に現れた景色に思わず「おおっ」と素っ頓狂な声を上げてしまった。

_DSC3542_R.jpg

突如現れた街。まさかこれだけの規模の街があるとは思っておらず。
延々と続く荒野の先に現れた景色だったので尚更驚いた。
驚愕するのも程々に考えた事は一つ。
シェルはこの街の中にあるのか……。

ルート5上のガソリンスタンドはサービスエリアも兼ねているので、たいていの場合、大型トラックなどが夜を過ごせる広い駐車スペースがある。
いつもその片隅にテントを張っているのだが、この規模の街にあるガソリンスタンドでテントを張れるのだろうか。
もう少し手前で足を止めるべきだったと思いつつも、街に近付いていく。

やはりシェルの敷地には広い駐車スペースがなく、テント設営を断念。
向かいにもガソリンスタンドがあったので、裏側に回ってみれば十分な駐車スペースがあり、さらには一張りのテントがポツンとあった。

_DSC3553_R.jpg

テントの主はホームレスのようなそうでないような怪しげなおじさんで「隣にテント張りますね」と挨拶。
するとおじさんはガソリンスタンドの店員でもないのに水場へと案内してくれ、先輩らしく水の使い方を教えてくれた。
おじさんはその後もちょくちょくテントから顔を出し「問題ないか?」と気遣ってくれた。

ちなみにガソリンスタンドにテントを張る時、店員に許可を求める事はしていない。
テント設営の許可を求めて断られた事があったのと、トラックが夜を過ごせるだけの駐車スペースがある場所ならテント泊しても問題ないだろうという判断。
問題がありそうな所にはテントを張らないし、問題になった事もない。

ガソリンスタンドの許可を求めずに、ホームレスのようなおじさんに一声かけてテントを張るというのも変な話なのですけど。

チリを北上中 



ウシュアイアからここまで4500キロを歩いてきたけど、チリ北端、ペルー国境近くのアリカまでまだ1844キロもある。
現時点ではアントファガスタからカラマ、アタカマを経てボリビアへ入る予定だけど、それでもチリでの歩行は残り1500キロ。長い国だなと改めて思う。

_DSC3360_R.jpg

どのタイミングで、何か境界があったのか定かではないけど、気が付けば褐色の荒涼とした景色に変わっていた。
パタゴニアとは対照的。少しずつアタカマ砂漠に近付いているのを実感。

時折集落が現れるけど、基本的には何もなく、住んでいる人もおらず、自分好みの景色。
景色は単調だけど退屈だったサンティアゴ以南と比べればとても楽しい。
ビーニャを出てからの数日は気持ちが沈んでいたけど、ここにきて俄然やる気が出てきた。
ポツポツと生えているのはサボテン。

_DSC3334_R.jpg

道脇にもサボテン。

_DSC3494_R.jpg

サボテン。

アメリカ南部、メキシコを思わせる景色。
自分にとっては初めての景色なので新鮮で、まだ飽きていない。

_DSC3371_R.jpg

この辺りはアップダウンが連続する。

_DSC3402_R.jpg

勾配は大した事ないが、登り切った直後に下りが始まり、またすぐに上り……
これが連日何度も続くので疲れる。

_DSC3436_R.jpg

見渡す限り荒野。
遮るものがなく、強風が吹き荒れる場所なので風力発電の風車が多い。
追い風なので歩く分には問題なし。

_DSC3471_R.jpg

問題があるとしたらテント設営時くらい。
風を避けられる場所は全くない。夜までテントは揺れ続けるのでペグでしっかり固定。

_DSC3382_R.jpg

住んでいる人はいないが、ドライバーが激励のクラクションを鳴らしてくれたり、差し入れをいただく事もある。こちらの方からはフルーツをもらう。

_DSC3421_R.jpg

水を3リットルいただく。
グラシアス。

Los Vilos 

重い腰を上げて14泊した汐見荘を出発。
ビーニャ滞在中は曇りが多かったが、歩行再開初日に限って強烈な日差しが照り付けてきた。さらには2週間も足を止め、休養十分のはずなのに、左足の付け根に痛みを感じる。
これまで以上にテント設営場所は見つからず、暗くなるまで60キロ超を歩き、散々な歩行再開初日。

翌日もしばらく歩くと足に違和感を覚え、前日の暑さにやられ体調も良くない。
歩行を終えようと思うも、テントを張れる場所は全くなし。
前方に山、遥か上を走っている車が見え、この体調で山越えはまずいなと思う。



ただでさえテント設営地が見つからないのに、陰という条件を満たすものは難しいと思われたが、上り坂の手前でハイウェイ下にテントを張れた。
10時まで15キロ歩き、その後はひたすら眠り続ける。

_DSC3304_R.jpg

3日目以降は体調も足も万全だけど、やはりテントを張れる場所は多くない。
単調な高速道路ではあるけど、海も見えるし、サンティアゴ以南と比べたらまし。
この辺りはやけにアップダウンが多い。

_DSC3292_R.jpg

ルート5は高速道路なので道路沿いに基本何もないのだが、ガソリンスタンドが点在。
サービスエリアの役割を果たしているのだけど、中でもコペックの設備が素晴らしい。
WiFi、有料シャワー、水の補給、テントを張ったり、55~60キロ間隔でコペックの店舗があればコペックからコペックへ移動する毎日でコペック難民となり、何度もお世話になった。

しかしチリ北部ではコペックの数も激減。店舗の間隔も長くなった。
実際交通量も少なくなった気がする。

_DSC3296_R.jpg

今日は食料の補給に町におりたところ、ルート5入り口近くにコペックがあったので、久々にコペック泊。シャワーを浴びてすっきりした。
ここから30キロ先にシェル、140キロ先にコペックがあるが、それ以外で水の補給ができるか不確か。商店のおばちゃん曰く「店はない」らしい。
こんなにも早く水の事を考えないといけないのは予定外だったのだけど、2日分、10リットルくらいは携帯しようと考えている。

汐見荘10泊目 



前日から読み始めていた「ロバと歩いた南米アンデス紀行」を読了。
著者は汐見荘にも立ち寄っている。この本は出版後に寄贈されたもので巻末にロバとの写真が貼られていた。

バリローチェ以南の実際に歩いた土地が出てくれば、その情景が鮮明に頭に浮かぶ。
著者が歩いたのは93年頃だが、フエゴ島のトルウインでエミリオさんというパン屋の男に招かれている。トルウインのパン屋といえばサイクリストを無償で泊めてくれるラ・ユニオンがあり、自分もお世話になった。
本文中に『ラ・ユニオン』という名前は出てこないが、あの小さな村に旅人を招くようなパン屋がいくつもあるとは思えず、その可能性は極めて高い。
20年も前から旅人に救いの手を差し伸べていた事に驚き、20年前と変わらぬものを見つけた事にささやかな喜びを感じる。

_DSC3177_R.jpg

前々日から作っていたチャーシュー丼を食べ、今後のルートについてあれこれ調べる。

この先アタカマ砂漠が待ち受けるが、懸念していた無補給区間は思っていた程長くはなくて、長くても200キロ程。400キロの無補給区間を覚悟していたので一安心。
チリからはボリビアへ入る予定。
30個の卵を4日で食い尽くした同宿のサイクリストに気になる事など尋ねておいた。
ちなみに彼はウユニ塩湖で道に迷っている。3日も彷徨い、遭難しかけたらしいのだが、そんな彼からの助言を鵜呑みにして良いのか悩ましい。


のんびり過ごしているだけなのにあっという間に時間は過ぎ去っていき、気が付けば夕方になっていた。1日を無為に過ごしてしまったようで焦りを覚える。
10日も足を止めている間に日照時間は短くなっている事に気付いた。
前日に続いて一歩も宿から出なかったなと思っていたら、同宿の人に誘われ、久々に宿の門をくぐり、ビーニャ中心部へ。

_DSC3175_R.jpg

向かった先はカジノ。ドレスコードはなく短パン、サンダル姿であるが、入り際に止められる事もなくすんなり中へ。ブラックジャックやポーカー、ルーレットのテーブルがいくつも並び、奥の方にはスロットマシンがずらり。
一世一代の大勝負をしに来たわけではなく、目的は両替。チリのATMでお金を引き出す際、4000ペソ、約6ドルという手数料を取られ、「高すぎるぞ」といつもぼやいていたのだが、カジノでカード決済して現金を得れば手数料はかからないらしい。

4000ペソを浮かすためにカジノへ行き、それ以上に大きなお金を失えば本末転倒なのだが、ブラックジャックのミニマムベットが5000ペソと安くはなかったので遊ぶ事なく宿へ戻る。
昔なら50ドルくらいは遊んで帰ってはずなのに、良くも悪くも保守的になった気がする。

汐見荘9泊目 



汐見荘9泊目。
歩いている時より遅いとはいえ、昨日まではどんなに夜更かししても7時台に起きていたが、今朝は9時起き。
だらけてきたなと実感するが、他の宿泊客に比べればこれでもまだ早い。

宿から一歩も出ない完全引きこもりな一日を過ごす。
そんな宿泊客は何人かいて、自分だけが堕落しているわけではないのだという安心感がある。

当初3泊の予定がズルズルと伸びている現在であるが、「意志が弱いんですよね」と宿のご主人に話すと、「意志が弱い人間が歩けるはずない」と言われた。
確かにそうなのかもしれないけど、歩くのも、ダラダラ過ごすのも好きなのだ。

ワイン、コーヒーを飲みながら、「ロバと歩いた南米アンデス紀行(中山茂大)」を読み、昼寝。起きたら夕方だった。

_DSC3152_R.jpg

朝食 ホットケーキ

_DSC3155_R.jpg

昼・夕食 から揚げと炊き込みご飯

_DSC3156_R.jpg

昨夜から作り始めたチャーシュー


汐見荘にて調理技術が向上中。
新鮮なアサリと魚の見分け方を覚えた。

汐見荘のサイクリスト 

汐見荘に到着して間もない頃、宿の片隅に2台の自転車が置かれているのに気付いた。
宿泊客に尋ねてみると、2人のサイクリストが滞在しているとの事。
「日焼けして真っ黒だからすぐに分かりますよ」と彼は言った。

数日後、他の宿泊客とは明らかに異なる褐色の肌を持つサイクリストと出会う事ができた。
同じ宿にいながら彼らと顔を合わせる機会がなかったのは人力旅をする者同士だからか。
町に滞在中は休養に徹する自分と同じく、彼らも部屋から出てこず引きこもっているらしい。

「1日中宿に引きこもり、周りの旅行者からはなんだこいつと思われてるはずだけど、町では何もせずにゆっくり休みたいよね」という言葉に彼らが頷くも至極当然の事。
旅のメインは観光ではなく路上で過ごす毎日、常人の2倍は食べる食事量など、自転車乗りとの共通点は多い。
人力で旅する者にしか理解できない事も多く、そんな事を話し合えるのが嬉しい。

南米大陸を南下してきた彼らにこの先のルート、治安状況を尋ね、情報を交換する。
ガイドブックに載っていない生の情報はとても貴重なのだ。
アウストラル街道、プユアピの南30キロの所で13時から17時まで道路工事で通行止めという有益な情報をプレゼントした。
逆に彼らは「襲われるとしたらあそこですかね」と不謹慎な予想を始め、「そんな予想は頼んでない」と突っ込みを入れる。



コロンビアからウシュアイアまで南米大陸を単独で縦断中の女性サイクリストが汐見荘を去った。女一人で自転車南米縦断とか猛者としか言えない。

迷った末にマチュピチュへ行ったという彼女。「マチュピチュは興味ないから行かない」と言う自分に対し、「一応行っといた方が良いですよ」と助言をくれた。
そんな彼女は1週間も汐見荘にいたのに、9キロしか離れていない世界遺産バルパライソを訪れる事なく、ビーニャを去った。


もう一人のサイクリストは帰国間近であり、汐見荘でのんびりと過ごしている。
卵30個を4日で食い尽くした大食漢。人の事言えないけど、いつもガッツリと食っている印象。
今朝は特大ホットケーキを3枚くらいペロリと平らげ、「美味しそうだね」と語りかけた自分に1枚くれた。チャーシューを自分で作ったり、いつも美味しそうなものを食べている。
料理への情熱が凄まじい。

30個の卵が尽きた彼は新たに30個の卵を買うためスーパーへ行くというので、同行する。
ホットケーキパウダーにシロップ、豚肉のブロックに鶏肉……。
今日で汐見荘滞在8日目だというのに、すぐに出る気がないのでガッツリと食材を買い込んでしまった。

ここにいるべき理由は特にないのだけど最低あと4泊する予定。