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ALKINIST -あるきにすと- 2016年08月

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ワラスへの道 3 



4日目。
4000メートル近いところで朝を迎える。
思ったほど寒くはないが、風が冷たいので長ズボンを着用。
峠まで200メートル程なので気楽である。

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1時間半歩いたところでブランカ山群が現れた。

チリ・ビーニャで会った女性サイクリストもこのルートを走っていて、ブランカ山群が見えた時、声を上げて号泣したと聞いていた。
汗を流し苦労して越えた4200メートルの峠、その先に突然この絶景が現れるのだから感極まってしまったという事も理解できる。

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この峠を越えた先にどんな感動があって、どのような感情を得られるのか、楽しみにしていたのだけど涙を流すという事はなかった。
峠の先にブランカ山群が現れる事は知っていたし、ワラスはすでに訪れていて絶景を目にしていたし、ものすごい逆光でよく見えなかったし。しかし峠を越えた事は嬉しかったし、やり切った感はあった。

同じあきらめるでも何もせずにあきらめるのと、やってみた結果あきらめるのとでは全然意味が違う。自分に負けないで良かったなと思う。良い峠越えだった。

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峠からはうっすらとワラスの町が見えた。

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ここからは一転して1000メートル超の下りとなる。

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下ります。

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ひたすら下ります。

少しずつ大きくなっていくワラスの町。
前回の滞在では中心部に少しいただけなのだが、こうして見ると大きな町だなと思う。

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そしてワラスに到着。

2泊してワスカラン横断に備える。
これをやってしまえば思い残す事なくペルーを去る事ができそうだ。

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ワラスへの道 2 



3日目。
歩き始めより上り。
前日に半日休んだはずなのに体が重く、違和感。上りがきつく感じられた。
この体であと2000メートル上り、ワラスへ辿り着けるのだろうかと不安を覚えるも、1日1000メートルずつでいいからゆっくり一歩一歩いこうと割り切る。

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上りは続く。
最初の村を越えた辺りで勾配は落ち着き、その後は問題なし。

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昼前に現れた食堂で昼食。
一応パンを携帯しているけど、まったく出番がないし、あまり食べる気もしないので食堂の人にあげ、常温で持ち続けていたハムは食堂の犬に与える。

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食事を終え、外へ出ると、食用のクイの血抜きをしていたので見学。ペルーではクイと呼ばれるモルモットが広く食べられている。
ナイフが喉元にあてられ、鮮血が洗面器の中に滴り落ちるさまを眺め、こうした犠牲の上で人間は生きているのだなと思う。
スーパーでパック詰めされた肉が並ぶ日本ではなかなか実感できないし、忘れがちな事ではあるけど、胸に留めておきたい。

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ここまで順調に進んでいたが、食後に倦怠感を感じ、足が重くなり始める。
まだ正午、20キロ少ししか歩けていない。
ここでやめる事も考えたが、頑張れるところまでいってみようと歩行継続。

南アフリカで強盗被害にあった際、友人サイクリストから゛Keep strong,Keep going゛と声をかけられたのだけど、きつい時とかよく自分に言い聞かせている。負けるわけにはいかない。朦朧とする頭の中で゛Keep strong゛と連呼。

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土砂崩れ現場。

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急カーブが頻発するので数えきれないくらいに目にする標識。

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何とか歩けてはいるけど、足を止める回数がさらに増えてきた。
いつもならもっと歩けたはず。頑張れたはず。
これまで4000メートルの峠をいくつも越え、築き上げてきた自信が揺らぐ。

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道脇に座り、なんか情けないなと思いながら休憩。
峠まで300メートル。この日のうちに峠を越えたいと思っていたがきついし、日没までに峠を越えられるか不確か。そして上の方に見える道路を見て戦意を失う。

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人目につかない場所というのがテント設営の条件なのだけど、心身ともに疲弊していてこれ以上テント設営場所を求めて上り続けるのは無理だったので堂々とテントを張る。
基本的に安全な山岳地帯ではあるけど、それはあくまで治安悪いペルーの中で安全というだけの話なのでリスクはそこそこあると思います。

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34キロ歩き、4000メートル近くまで上昇。
体調が万全でないものの1700メートル上れたのはまあ及第点かなと思う。

ワラスへの道 

カスマからチンボテを経てトルヒーヨと考えていたのだけど、カスマから6キロ程離れたところで足が止まった。
カスマはワラス方面への分岐の町であり、ワラスを目指すならここが最後のチャンスとなる。
ワラスに寄らずにこのまま北上して後悔しないだろうかと唐突に思い始め、考える事10分。カスマへと引き返す事になった。

前日にあのレストランを訪れて触発されたとか、胸の奥に秘めた冒険心に火がついたわけではなく、理由はいくつか。
そもそもワラスはリヤカーを引いて訪れたい場所だったのだが、4000メートルの峠を越えるのがきつそうという理由などあって断念。
そんな後ろ向きな理由であきらめる事が許せない気がしたし、むしゃくしゃした気分だったので何も考えずひたすら上りたかった。歩く事に没頭したかった。

あと本当にくだらない理由なんですが、いつか旅を振り返って「どこが良かった?」と尋ねられた時、「ワラス」って堂々と答えたかったから。
自分の足でトレッキングしたとはいえ、前回ワラスを訪れたのはバスであり、やはり自分の場合は歩いて訪れないと意味がないなと思った。リヤカー引きとしての意地でもある。
ちなみにワラスは南米で最も好きな場所。あくまで自分が訪れた場所の範囲内だけど。


この日は食料を購入し、今後のルートを再考したり、カスマで過ごす。
これまで4000メートル超の峠をいくつか、最も高いところでは約5000メートルの峠をリヤカー引いて越えてきた。しかし今回は海抜200メートルのところから4200メートルの峠、高低差4000メートルを越える事になるのだけど、果たしてどうなるのか…。

翌朝は早朝出発したかったのだけど、ストーブの燃料補給後、燃料ボトルを食堂に置き忘れるという失態を前夜にしてしまい、食堂に燃料ボトルを取りに行ってから出発。

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前日のうちに出て行っただろうと思っていた巡礼グループと遭遇。
この朝も寄付金集めをしていた。

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3キロ戻ってワラス方面へ。

さらに南にも分岐があり、3日前にやはり立ち止まって行くべきかを考えた。
結局北上を選んだのだけど、そこからワラスを目指す方が距離を短縮できる。
しかしそのルートをとればレストランには寄れなかったわけで結果オーライかなと。

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パンアメリカン・ハイウェイと比べ路肩は狭いけど、交通量も少ないので問題なし。

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上り坂に疲れ休んでいた少年たち。

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物価の高い海沿いに比べ、バナナの値段も安くなる。

1日目はじわじわと苦にならない程度の上りで52キロ歩き、1200メートルまで上昇。

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2日目。
1時間歩いてパリアコト着。朝食。
食料も携帯しているけど、食べれる時に食べておくのが徒歩行で大事な事。

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ワラスまで93キロ。
カスマからワラスまでの約150キロを3日で歩く予定。

前日カスマを出た時はこれまでと同じように11時頃から青空が広がったけど、この日は久々に朝から青空。今後しばらくはこの天候が続くものと思われる。
青空の方が気持ち良いのは確かだけど、歩きやすいのは陽射しのない曇天。
上りが続く日は日焼け止めをどのタイミングで塗るべきなのか迷う。

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クスコ・ナスカ間では4000メートル超の峠を3つ越え、1日2000メートル上がっても特にきつくなかったので、ペルーの上りは問題ないと楽観していたのだけど、思っていたより勾配がきつい気がする。何度も足を止めてしまう。
体調が万全でない事も関係しているはずで、咳が止まらないし、倦怠感、嘔吐感も少し。

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日曜日のサッカー大会。
グラウンドを見下ろせる道路上には多くの人。
食堂がないような小さな村だったのだけど、屋台が出ていたのでチキンを購入。

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明らかに体調がおかしいと思いながらも歩き続けるが、前方にそびえる山の上の道路を見て戦意喪失。
今の体調でこの山を越えるのはきついと思い、正午前ではあったけど早々に歩行を終えて休息。ぐったりと眠る。

21キロ歩き、2300メートルまで上る。

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心身が衰弱しているのも関係あるのか、テント内でコーヒーをこぼし、味噌ラーメンのペースト状の調味料を入れ忘れ、まだ半分残っていたミネラルウォーターのボトルに誤って川の水を継ぎ足したり、散々でした。

Casma 

レストランを出た後は予定通りカスマを目指す。
カスマへは30キロとの事で暗くなってからの到着を覚悟したけど、早足に加え、追い風が背中を押してくれ、快調なペースで進む。

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褐色の大地の中に現れた緑。オアシスというにふさわしい景色。
日没前に何とかカスマが見えるところに達した。

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そして郊外で出会ったのが3グループ目の巡礼者。
歩いて向かってくるこちらの存在に気付くや、バナナと水を差し出してくれたけど、丁重にお断りする。巡礼者から施しを受けるわけにはいかない。
アリカからここまで2カ月、1日50~60キロ歩くらしい。

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もう1人の男は路上で寄付金集め。
トラックのタイヤのところが段差になっていて、車はここでスピードを落とし、彼はドライバーに手を差し出す。
こうして寄付金集めをしてはいるけど、スマホを持っているし、決して貧しいわけではない。
「また明日会いましょう」とお別れ。


この日はカスマの宿で1泊。
翌朝再び北を目指し歩き始めるのだけど、6キロ程歩いた所で急に足を止め、考える事10分。来た道を引き返し、カスマへと戻る事になるのである。

La Gramita 



彼らに声をかけられたのは2日前の事。
お菓子の差し入れと一緒にクシャクシャのレシートの裏に彼らの住所を書いて手渡してきた。住所といってもハイウェイ沿いに1キロごとに設けられたマイルストーンの数字。
夕方頃の到着ならテントを張らせてもらおうと思ったけど、到着は翌々日の昼頃になりそうなので素通りだなと思う。

そして翌々日。
素通り予定だったものの、携帯している水の量が不安だったので、彼らの元を訪れ水の補給をさせてもらおうと考えた。

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砂漠地帯に突如現れた建物。あそこに彼らが住んでいるはず。

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347キロ地点。

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集落があってそこに彼らが住んでいるものと思っていたけどレストランだった。
渡された紙をよく見れば確かにレストランと書かれている。

その紙とデジカメで撮った彼らの写真を奥さんらしき女性に見せると、ニコリと微笑んだ彼女はテーブルに案内してくれた。
オーナーのクレメンテさんは不在だったが、すぐに戻ってくるとの事だった。
そしてノートを渡されたのだけど、そこに目をやれば体に電気が走ったかのような衝撃を受けた。

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ノートを開けば池田拓さんによる書き込みが1ページ目にあった。
池田さんは徒歩で北米大陸横断、南米大陸縦断をされた方。
今から10年ほど前、徒歩行の前例について調べていた時、彼の名前を見つけたのだけど、帰国後に仕事中の事故により他界されていた。
当然面識はないが、まさかこういう形でお会いする事になるとは。

池田さんがこのレストランを最初に訪れた旅行者らしい。
日付は1990年8月。
26年前に池田さんもこのルートを歩き、このレストランを訪れていたのか……。
感動と驚きで鳥肌が立った。

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3ページほどめくればグレイトジャーニーの関野吉晴さん。
池田さんに関野さんって、何だこのレストラン。凄すぎるぞ!
なんて思っていたら横から声がかかる。

「2人のサイクリストとすれ違わなかった?」 「女性2人なら昨朝見ましたけど」
「そう。彼女達もここに寄って行ったのよ」と奥さん。


どうやらサイクリストや徒歩旅行者を招き、無償で食事を与えてくれるレストランらしく、魚のフライが運ばれてきた。
そういえば世界を走って旅しているアイルランド人からそんなレストランの存在を教えられていたけどここだったのか。
このレストランを訪れた旅行者が書き込んだゲストブックは4冊あり、読み進めていく。

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次に目が留まったのはチリ・プンタアレナスからロンドンまで人力のみで向かっているカール・ブッシュビーによる書き込み。
1998年より歩き始め、ゲリラがウジャウジャいるコロンビア・パナマ間の危険地帯ダリエンギャップを徒歩で越え、アラスカからロシアまで凍結したベーリング海を歩いて渡り、不法入国で捕まって裁判を受け、今尚歩き続けているカールは最も尊敬する徒歩旅行者なのである。
これまで南米を歩いてきても、彼の旅の軌跡に触れる事は全くなかったが、ようやく出会えたなと思う。

とりあえずメールでこの写真を送ったら、゛Bahahahaha”と爆笑し、喜んでくれた。
そして彼は言った。 
「I miss that desert(砂漠が恋しい)」

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ランナーか徒歩旅行者。

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バンクーバーからブエノスアイレスまで走り、今年1月にゴールしたジェイミー・ラムジー

日本人サイクリストの書き込みもあり、見覚えのある名前がいくつかあった。
しばらくしてクレメンテさんが帰宅。

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ゲストブックに書き込むよう言われ、ここを訪れた963番目の旅行者となった。
南米大陸徒歩縦断という非常に狭い世界ではあるけど、その系譜に自分の名前が刻まれたかのようで気分が高揚してきた。

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感謝の気持ちを伝え、レストランを後にすれば、心なしか力がみなぎっている気がした。
延々と続く砂漠地帯は単調だけど、池田さんやカールが歩く姿を思い浮かべれば、見慣れた景色もなんだか新鮮に思える。
池田さんがここを歩いてから26年。様々なものが変化し発展してきたけど、この褐色の世界は何ら変わっていないはずだ。そんな事が嬉しくもある。

自分の信じる道を突き進もうと改めて思った。

Norte Desierto 

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ペルーを北上中。
砂漠地帯が延々と続く。
歩き始めからしばらくは曇り空だけど、昼前から青空が見え始めるという毎日。

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数十キロ置きに町が現れ、あとは時折集落がぽつぽつとある感じで基本的には何もない。
車通りが急に途絶える時は、心細さといくらかの不安を感じてしまう。
ここはまだ危険地帯でないはずだけど、徒歩旅行者など簡単に狙えてしまうわけで。
前方数百メートルのところで突然車が道脇に停車したり、砂漠地帯を男が一人で歩いているという事もあったんだけど、そういうのは本当に勘弁してほしい。怖いです。

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こんな無人地帯にいるのは徒歩旅行者と、

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サイクリスト、

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巡礼者。

以前出会った巡礼者かと思ったけど違った。
チリ・アリカからペルー北端に近いピウラを目指しているとの事。

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大きな十字架を持ちながらの巡礼。
試しに持たせてもらったけど、かなり重かった。
彼らと違って不真面目な徒歩旅行者はベニヤ板や発泡スチロールで作ればいいのにと思い、この巡礼衣装を着て十字架を持てばこの先の危険地帯でも襲われないのではと考えた。そして「巡礼」って響きのカッコよさに憧れた。

巡礼といえば四国のお遍路やサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に興味があるけど、特別な信仰心があるわけではなくて、所詮はスタンプラリー的に寺を回っていくものでしかない。あとは美味しいうどんを食べるというテーマ。
サンティアゴ巡礼は実際巡礼手帳にスタンプを押していくスタンプラリーだし。

それだけに深い信仰心を持ち、歩き続ける彼らに畏敬の念を抱いてしまった。
旅路の終わりで彼らは何を思い、何を得るのだろうか。



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Chancay 



明るくなった6時半頃、歩行を開始。
あちこちにごみが散乱し、とても汚い。住人のモラル、教育レベルがうかがえる。
さらに歩いた所はもっとひどかったのだけど、カメラを出そうと思うような雰囲気ではなく、足早に抜ける。
危険地帯は脱したかと思いきや、サンドウィッチのスタンドで朝食をとった際、治安について尋ねれば、「安全ではない」との事。

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その後リマ都市圏を抜けるも、点在する家々は住人の生活レベルを表しているかのようで今後も注意が必要だなと思う。
しかし無事にリマを抜けれた事は良かった。

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次の目的地はトルヒーヨ。

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パンアメリカン・ハイウェイを外れ、海沿いの道を歩く。

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道幅は狭く、カーブが連続するこの道は自転車禁止の標識があったが、料金所で咎められる事もなく、問題なく歩けた。


夕方、チャンカイに到着。
ガソリンスタンドでテント設営のお願いをするも、十分な広さがなく、断られる。
この先に別のガソリンスタンドはないとの事、さらにこの辺りの治安は良くないようなので、無難にホテル泊をする。

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自分にとって宿泊費というのは無駄なものでしかないけど、お金で安全を買おうと割り切る。

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