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ALKINIST -あるきにすと- 2016年09月

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Piura 

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無人の砂漠地帯を4日歩く予定。
飲料水15リットル、調理用水7.5リットル、コーラ1リットルを用意。
こういう無補給区間を歩く際、調理に水を使わず、食器を洗う必要のないものを基本的に食べているけど、気温が高いのでハムやチーズは持てないし、3日分の夕食だけという事でラーメン、コーヒー用の水を携帯する。



チクラヨから35キロ、モロペを過ぎた後、いよいよ無人の砂漠地帯に突入。

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砂塵をともなった強風が吹き荒れる。
追い風なので歩く分には全く問題なし。
問題があるとしたらテント設営時か。
道路から近いし、完全な死角ではなかったが、この日は前方に見える鉄塔の壁を風除けにテントを張った。

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午後以降は強風が吹き続けるので木もこんな風に曲がっている。パタゴニアみたいだ。

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チクラヨからは新しい靴を履いているのだけど、1日履いただけで左足踵に痛みを感じる。
これまで履いていたものは右靴に大きな穴が開いているものの、左側はもう少し履ける状態なので現在はこんな感じ。
こうして2つの靴を並べてみれば、6ドルの安物の靴のつくりは本当にしょぼくて、いかにコロンビアの靴が優秀であるかよく分かる。

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延々と続く砂漠地帯。
チクラヨまでの交通量と比べたら減少するも、バス、トラックなど走っている。ちなみに警察車両は2日目の朝に見かけただけで、常にパトロールが行われているわけではない。
たまに10分程、車通りが途絶える事があるけど不安を覚え、何度も後方を振り返り安全確認。

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チクラヨから3日目の朝、ピウラまで95キロの標識。

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たまに数軒の家が集まる集落やレストランが現れる。
3日目の昼、レストランで昼食をとったのだけど、おばちゃんにこの辺りの治安について尋ねると、「この先下り坂があって、そこら辺は少しだけ危険。周囲をよく見るように」と言われた。

数キロ先の道脇に警察車両が停まっていたのでここでも治安を確認。
「セグーロ(安全)ですよね?」とこちらの願望むき出しにして尋ねたのだが、警官は真顔になり「ペリグロ(危険)」と一言。
何事もなく歩いてきたので余裕だろうと思い始めていた矢先、警察による危険地帯宣言。
この警察達は取り締まりをするでもなく、2人が携帯電話をいじり、酔っぱらいのようなもう1人の男は後部座席で寝ており、全く使えない警察だった。

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その先にはレストランのおばちゃんに教えられた下り坂。
実際ここを歩いてみれば、道脇には身を隠せるような丘や木が茂っており、強盗がここで待ち伏せしていてもおかしくない。
道脇から強盗が現れ、人目につかない場所に引きずり込まれ、身ぐるみはがされる、そんな展開をイメージするのは容易だった。
何度も何度も何度も前後左右を確認。早足で歩く。
多くのサイクリストがここを避けるのはやはり理由があるのだ。今更ながらそんな事を思い、心底恐怖する。

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これまでは17時頃まで歩いてきたが、リスクを冒したくないので、15時45分に歩行終了。
砂地に残るタイヤの跡が心配ではあったが、道路から200メートル離れた丘の裏にテントを張った。


チクラヨから4日目、あと50キロ歩けばピウラに到着する。
5時半、無事に着けますようにと祈りながら歩行開始。

1時間歩いたところで前方からサイクリストの姿。
互いに足を止める事はなく、挨拶を交わしただけだったけど随分と緊張がほぐれた気がする。彼もまたここまで歩いてきた自分の姿を見て勇気づけられたのではないかと思う。

「ご武運を」と彼の背中に語りかけるのだけど、他人の心配をしている余裕はない。
しかしその少し先からは村や集落が点在する有人地帯となり、子供達が登校する姿を見て危険地帯の終わりを確信。恐怖心は完璧に消えた。

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だが再び昼食時にレストランのお姉さんに治安を確認したところ「ペリグロ」という答えが返ってきて顔を歪める事になったのだけど。
彼女曰くやはりチクラヨ・ピウラ間はとても危険らしい。

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何はともあれピウラに到着。
この先の海岸沿いも治安が良い場所ではないのだけど、最も危険な場所は何とか歩き抜けた。

数えてみたらペルー140日目。
現在地よりリマへ行くよりもエクアドルの首都キトを目指す方が近いという現実。
あと6日も歩けばいよいよエクアドルだ。

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Chiclayo 

歩く上でも毎日のリズムみたいなものがあって、自分の場合は朝から晩までがっつりと歩きたい。その分早く目的地に着いて少しでもゆっくり過ごしたいと思っている。
8時とか9時に出発というのは好きではなく、歩くのはいつも日の出前から。トルヒーヨを出る時も6時くらいから歩き始めるつもりでいた。
前日にLuchoにその事を伝えると途中まで一緒に同行したいと言われ、結局9時に待ち合わせという事になってしまう。本意ではないのだけど、お世話になったし仕方ないかなと。



9時出発が9時20分になり、この先パンアメリカンハイウェイへのルートはLucho任せにして彼の後を追うのだが、着いた先はトルヒーヨの中心でそこにはカメラを持った人達の姿が。
まさかなと思ったのだが、こういう事があるなんて全く聞いておらず…。

この先治安が良くない場所を歩くのでメディア露出はしたくなかったのだけど、取材拒否できる状況でもなかったので取材を受ける。
英語とスペイン語、共通の言語がないのに取材なんて難しいんですけどね。

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インタビューを受けるLucho。

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歩いているところを撮影され、「グラシアス・トルヒーヨ」と言わされ、取材終了。

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トルヒーヨを抜けたところでLuchoとも別れ、1週間振りの歩行が始まる。

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この先はいつも以上に気を付けないといけない場所であり、テント設営場所も慎重に決めないといけないのだけど、この日はガソリンスタンドにテントを張らせていただく。
出発が遅れ、取材を受けた事もあり、目指していた町まで辿り着けず。

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2日目。
近くの町で豆乳とサンドウィッチの朝食。

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ここから無人の砂漠地帯が数十キロ続く。
しかし交通量は多いし、危険な感じは全くしない。

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パカスマヨまで歩き、連日のガソリンスタンド泊。

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素晴らしすぎるペースで67.8キロの歩行。
南米大陸での最長歩行距離だと思う。

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3日目。
珍しくこの日は町などが点在していた。

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夕方くらいからまた殺風景な人気のないところを歩き、ハイウェイの施設裏にテント。
雨が降る事はないし、結露もないので、最近はフライシートを使わず。

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4日目。

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ピウラまで危険地帯はあと240キロも続く。
TUMBESはエクアドル国境に近い町。

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チクラヨ近郊の砂漠はゴミ処理場となっていた。
ゴミ処理場というか、処理する能力がないから、ゴミ収集車が何台もやって来てここにゴミを捨てていくだけ。

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道脇もゴミが溢れ汚い。ボリビア国境からペルーをずっと歩いてきたけど、ここまで汚い場所はなかった。
さすがにチクラヨ中心部は清掃されていたけど、郊外はゴミが散乱。住人のモラル、生活レベルがうかがえるので良い印象は全くない。

チクラヨに到着し、トルヒーヨ・ピウラ間のほぼ半分を消化。
しかしここから先が最も注意すべき場所なので気持ち的には半分どころかまだ8割は残っているという感じ。
次の210キロに備え、食料、水を準備する。

南米大陸最大の難所 

南米大陸縦断計画当初より最も懸念していたのはアタカマ砂漠でもアンデス山脈越えでもなく、ペルー北部チクラヨ・ピウラ間の治安。
長い無人の砂漠地帯が続くこのルートはサイクリストが強盗に襲われる場所として有名であり、ここを避けるサイクリストも少なくない。ていうか避ける人の方が多いのではないか。

クスコでフランス人サイクリストと会ったのけど、アラスカから轍の後を刻み続けてきた彼でさえエクアドル国境からワラスまではバスで移動したと言っていた。
去年ここを走った英国人もいるが警察のエスコート付だった。

集大成の南米大陸、最後は無難に終わらせたいと考え、クスコ辺りまではバス移動する事を考えていたのだけど、最後の最後にそんな中途半端な事をしていいのかと自問。やはり足跡を途切れさせるわけにはいかないなと考える。
アンデス山脈を越えて砂漠地帯を回避する事もできるのだが、砂漠地帯に比べ距離は増えるし、ワスカランでの峠越えに疲れ、もうしばらく山はいいやという気分。


色々と悩んでいた時に知ったのがトムの存在だった。
リマでのんびり過ごしていた間に彼もリマに到着してしまい残念ながら路上で会う事はできなかったけど、トムは徒歩で南米を南下している。
早速彼にコンタクトをとってみれば、なんと砂漠地帯を歩いてきたのだとか。
「気候は素晴らしく、車が常に走っていて、道はフラット。テントも張りやすいし、何も問題なかった」とトム。その言葉に勇気づけられ、背中を後押ししてくれたのは確かである。

90年代に強盗が多発していたとは聞くけれど、自分の知る限りここ数年で襲われたサイクリストは1人だけであり、「強盗多発地帯」なんてフレーズが独り歩きしているのではないか。
90年代に比べ携帯電話は広く普及し、強盗にとってはメリットよりデメリットの方が大きいはず。いくらかの不安はあったけど、いけるんじゃないかという思いが日に日に増してきた。

問題があるとしたらそれは徒歩という機動力。
約200キロのこの区間を自転車なら1日半もあれば抜けられるはずだが、徒歩だと4日。
自転車の倍以上のリスクを背負う事になる。
リスクを軽減するにはここを少しでも早く抜ける事であり、先日試しに走ってみたのだけど、歩くのと走るのとでは全くの別物であり、わずか5分で断念。足の故障の恐れもあるし、走ったところで時速7キロ程度。いつも通りの時速5キロのスピードで砂漠地帯へ突入する。

最も危ないと考えているのはチクラヨ・ピウラ間だけど、トルヒーヨ・チクラヨ間も危ないのだとか……。


強盗に遭遇すればネタにして、セーフなら儲けもの。そんな感じに考えています。
アウト?セーフ?よよいのよい。

Trujillo 

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3泊で出るつもりだったトルヒーヨだが、体調を崩した事もあり予定外の7泊目。

ラパス以降3度目の食あたりはこれまでで最もひどく、3日はベッドから動けずぐったりしていた。

昔訪れたウズベキスタン。旧ソ連圏では宴会の時、ショットグラスに入ったウォッカを一気飲みする習慣があり、それを何度も繰り返すのだけど、無理が祟ってか翌日以降吐き気と下痢が続き、生き地獄だった。
あとはアフガニスタンで罹った赤痢。
さらには歩行中何度か見舞われた熱中症。歩けないし食欲はないし、これもきつい。
今回の食あたりはそれらに次ぐきつい症状だった。
食あたり3日目にはそれが起因して体の節々に痛みを感じ、階段の上り下りが特にきつく、歩行困難な状態に陥った。

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本来なら内科へ行くべき症状だが、なぜか歯医者へ。
もともとトルヒーヨで歯医者へ行くつもりだったのだけど、今お世話になっているLuchoの自転車仲間が歯科医との事で紹介していただいた。

トルヒーヨでの7日間はベッドの上で過ごした時間が長く、トイレに何度も通った思い出しかないのだけど、体調は回復し、体の痛みも消え、何とか出発できそうだ。

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現在お世話になっているCasa de Ciclistasという自転車乗りの宿。
2285人目の宿泊客でした。

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Luchoはすごくマメにデータをとっていて、宿泊客の国籍ランキングまである。
フランス、ドイツ、アメリカという順番。自分が会ったサイクリストを思い返せばフランスが最も多いというのは納得できる。
ALEMANIAがドイツというのは知っていたけど、REINO UNIDOがイギリス、PAISE BAJOSがオランダであると知る。

14足目の靴 

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寿命間近の14足目の靴。

4万キロ歩いた地球一周の際は計8足の靴を使用。
1万キロのアフリカは2足。
ここまで1万キロの南米ではこの靴で4足目。
そのうち1足はチリのアウトドアメーカーDoiteのものを使用し1000キロももたなかったとはいえ、残りの3足はこれまでずっと使用してきたコロンビアのトレッキングシューズ。

14足目のこの靴はクスコから履き、ここまで2200キロ、あとはトレッキングで使用。
いつもなら4000キロ超は履けるのだが。
南米では明らかに靴の消耗が早いのだけどなぜなのだろう?




宿周辺は衣料品マーケットがあり、中古の靴も売られている。

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日本にはコロンビアから支給された靴があるものの、今から送っても間に合わず、穴の開いた靴しかもっていない今の自分にとっては願ってもない環境。とりあえず6ドルで1足購入。

体調不良で2日間ベッドから動けなかったのだが、2日目の夕方、飲み物を買いに外へ出ると、日曜日だからか衣料品マーケットはいつも以上の賑わい。
掘り出し物がないか見て回ったところ、新たに9ドルでもう1足靴を購入した。

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トルヒーヨからエクアドルの首都キトまで約1200キロ。
どれだけの耐久性があるかは分からないけど、これでなんとかいけそう。

Casa de Ciclistas 

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トルヒーヨ到着後、住所をメモした紙を頼りにある自転車屋を目指した。
扉は閉ざされ、メモがなければここが自転車屋であるなんて分かるはずないという外観の自転車屋。

到着したのは8時過ぎ、インターホンを鳴らすも誰も現れず。
扉に貼られた電話番号に電話すれば留守電が応答するのみ、しつこくインターホンを鳴らし、扉を叩くも全く反応なし。
あきらめて近隣の安宿に泊まろうと考え、一度はここを離れるたが料金を尋ねれば予算の2倍以上だったので結局また自転車屋へと戻ってきた。

到着から40分後、自転車に乗った男が声をかけてきた。
彼こそここのオーナーであるLuchoであり、この自転車屋はサイクリストを格安で泊めてくれる「Casa de Ciclistas」。直訳すると自転車乗りの家。
サイクリストの多いパタゴニアにはこの手の宿がいくつかあり、トルウインのパン屋さんでお世話になった。
自転車乗りなら口コミで知ってる人は知っているという場所。到着時、ポーランド人サイクリストがいて、前日にすれ違ったドイツ人もここに泊まっていたらしい。

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案内された部屋の壁はこれまで訪れたサイクリストの写真や書き込みがたくさん。

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この地図はハインツ・シュトゥッケというドイツ人のもの。
彼は50年以上自転車の旅を続けているのだけど、過去クリスマスを過ごした場所が地図上にマークされている。

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自転車屋だけど、基本的にLuchoはいないし、営業しているところを見たことがない。
Luchoはここに住んでいるわけではなくて、鍵を渡され、あとは自由にどうぞという感じ。
昼から翌朝まで断水、ホットシャワーなしという点をのぞけば、ネット環境はあるし許容範囲。さっき訪ねた宿の4分の1で泊まれるし。

2、3泊して出るつもりだったのだけど、体調不良により、ここにとどまらざるを得ない状況となる。ラパス以降3度目の食あたり。水か食べ物か、心当たりが多すぎて特定できず。
長期間海外を歩いているし、感染症が多い東南アジアやアフリカでも問題なかったけど、最近体調を崩す頻度が激増している。

トルヒーヨへ 



サンタを出てからは再びパンアメリカン・ハイウェイを歩き、北を目指す。

地図を見れば前回ハイウェイを外れたカスマから徒歩で1日半程北に位置する場所でしかなく、ワラスやらワスカラン国立公園やらと2週間少しアンデスを歩いてきたけど、本当に遠回りというか、寄り道でしかなかったのだなと思い知らされる。まあ別にいいんですけど。

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砂漠地帯が続く。

この先トルヒーヨから北はサイクリストを狙った強盗が現れる場所であり、とあるサイクリストからは今まさに歩いているチンボテ・トルヒーヨ間も危ないって聞きましたよと教えられていたので少しばかりの不安を抱き、周囲の状況に気を配りながら歩いた。
日中に関しては交通量もそこそこあるんだけど、時折途切れるわずかな時間が怖い。

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前方からの車が停車した時は「止まるなよ」と思ったのだが、おじさんがミカンを渡してくれた。

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この日はチャオという町で、現地の方の敷地にテントを張らせてもらう。

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ペルーは中華レストランが多く、度々お世話になっている。
メニューはどこも似たり寄ったりであり、最近は炒飯と炒麺が盛られたコンビナードを食べているが、ここのコンビナードが絶品だった。もう一度食べたいなと思ったが、中華のために延泊するわけにはいかないので、翌朝は引き続き北を目指す。

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片側2車線の分離道路なのだけど、なぜかこの日歩いた数十キロは一方が封鎖されており、車両通行は不可。とても気楽に歩けた。

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延々と何もないのだが、幸運にも食堂が現れたので昼食。

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食堂で買われている鳥も食事中。
量は別にして、チキンにパスタ、米、野菜と普段の自分より鳥の方がまともな食生活である事にショックを受ける。

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横にいるのは食堂のおじさん。おじさんのジュースも鳥が普通に飲んでいた。
ペルーのこの手の食堂はスープ、メイン、ジュースが付く事が多いのだけど、ここではジュースが大きなピッチャーに入れられ、「もっと飲むか?」とサービス精神も旺盛で、1リットル以上は飲んでしまった。食堂を出る頃は思い切り腹が膨れる。

この日は景色も単調だし、特に写真も撮ってない。
歩きながら後方にいるサイクリストの事を考えていた。
2015年10月にアルゼンチン・ウシュアイアを発ったサイクリストのうち少なくとも2組のサイクリストが後ろにいる。自分も含め、2015年10月組は本当に遅い奴ばかりだ。
一人はカラファテ、サンティアゴで会ったトム、もう一人はトルウィン、パイネで会ったデジ。
トムはペルーにいるんだけど、デジとは久しく連絡を取っていないのでメールでも送ってみようかなと思った。

頑張ればトルヒーヨに着く事もできたけど、暗くなってからの到着は避けたく、近郊のガソリンスタンドにテントを張らせてもらう。

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朝食。
中国で毎朝飲んでいた豆乳をペルーでも飲めると最近知ったのでよく飲んでいる。

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10キロ歩いてペルー第三の街トルヒーヨへ。

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