ブックマーク
ALKINIST -あるきにすと- ウエムラ

ウエムラ 

1月23日にブルガリアで凍傷を負ってから2ヶ月以上が過ぎた。

字の如く、完璧に治る事を完治というのなら、ぼくの右手はまだ完治していない。
右手を使い、たいていの事はできるようになったのだが、指を曲げた時、拳を握りしめた時、未だに違和感を感じる。
2ヶ月経っても完治しない右手。
軽傷なんて軽いものではないのだが、重傷というには大袈裟。
気になったので調べてみると、軽傷と重症との間の中軽傷に該当するらしい。


入院翌日、病院から連絡を受けた在ソフィア日本大使館の方と電話で話した。
状況説明などの後、指の状態を尋ねられ、「皮膚のカットで済むらしい」と説明したのだが、
「最悪切断と連絡を受けていますが」などと返され、その後通院が終わるまで、不安に押しつぶされそうな日々を過ごした。

色々とお世話をしてくれたミシノフ氏も「最悪の場合」と同様の事を言った。
「もし可能なら」と、紙に手の形を描き、「最悪の場合、ここから上をカットする」と、指の上に横線を一本引いた。
そんなもの可能であるはずもなく、懇願するかのように「どうにかならないか」とドクターでないミシノフ氏に伝えれば、「私もそうならない事を祈っている」と彼は言った。

切断の可能性がどれだけあったかは今となっては分からない。
ただドクターに診てもらう度、回復の兆しを全く感じられず、指先に何かが触れても何も感じず、とにかく不安で、不安定な精神状態が続いた。

「どれくらいの確率で?」と、ドクターに何度か尋ねようともしたのだけど、それを口に出す事はしなかった。
返事を聞くのが怖かったから。 何パーセントと数字に表れるのが怖かったから。


そんな不安定な精神状態の中、そういえばと思い出し、左手一本でバックパックの底から取り出したのがこれ。

IMGP5542_convert_20100401012800.jpg

植村直己「青春を山に賭けて」

お守りにと直筆サインが入ったこの本を持ってきたのだが、初めて取り出した。

改めて2度程読み直し、入院から通院に切り替わった後も枕元に置いて祈り続けた。
この本と共に出発前に頂いたお守りも添えて、毎日指の回復を祈り続けた。
頂いたお守りは交通安全お守りが大半だったのだけど、そんなもの関係なく、ぼくは祈り続けた。祈って、祈って、祈りまくった。

その甲斐あってか、現在順調に回復しているのだが、この本、お守りにはずいぶんと支えられました。本、お守り、ブルガスでお世話になった方々、指の状態を心配してくださった方々にも改めて感謝。


マッキンリーで消息を絶った植村直己、アンコールワットを目指し命を絶った一之瀬泰三。
彼らの様に命を賭けてまで夢中になれる事をうらやましく思い、その生き様をかっこよく思い、「好きな事をしている最中に死ねたら本望だ」などとアホみたいな事を考えた事もあるのだけど、命どころか指がなくなるかもしれない状況。それだけで心底恐怖し、不安に押しつぶされそうになり、自分の弱さを再確認できました。

今思えば、頑張りすぎて、歩く事に執着しすぎて、大切なものを見落としていたかなと。

凍傷を負った経験は非常に悲惨なもので、心身ともに打ちのめされたのだけど、そこから多くのものを得る事ができたのは確か。そしてこの経験をこれから生かさないといけないわけで。


今一度気を引き締め、過信せず、慎重に臆病に進もうかなと思っています。

戒めとしてここに書き留めておきます。