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ALKINIST -あるきにすと- 旅ときどきウルルン

旅ときどきウルルン 

「バスだと素通りし、自転車だと停まることを躊躇してしまう。そんな場所を時速4キロの徒歩という手段で訪れたい。徒歩だからこそ出会える人達がいるはず」

なんて事を事ある毎に言ってきた。
偽りなんか全くなく、今でもそういう気持ちでいる。

しかし、人を信じるということはとても難しいもので。


河南省のとある田舎。

ぼくはここである一家と出会い、数日を共に過ごした。
そもそもは昼食をとるために訪れた飯屋。
ここで色々と話し、仲良くなり、泊まっていけという事になったのだけれど。

最初10元と聞いていた昼食代(頼んだもの意外にも飲み物やら色々とつけてくれた)を支払おうとするも受け取り拒否。
近くの街の高級ホテル内にある風呂にも連れて行ってくれ、3週間振りの入浴、久々の洗髪をすることができたが、ここの支払いも彼ら持ち。

金を払わなくて済んだからというわけじゃなく、こうして何かしてやろうと思ってくれる気持ちに心から感謝する反面、「何か魂胆があるんじゃないか」「こうして風呂に入っている間にも荷物を漁られてるんじゃないか」とどうしても彼らのことを信用できないでいた。


これまで旅先で会った人達の中に心を許したばかりに睡眠薬強盗に遭い、全資金を奪われたという人を何人か知っている。
そのためか、冒頭のような気持ちではいるものの、異国の地に誰とも知らぬ中国人、悲しい事に完全に心を許すまでには至らなかった。

風呂から戻り、真っ先に荷物のチェックをする姿はさぞ卑しく、醜い姿であっただろう。
なくなっているものなど何一つなかった。


ぼくはここで中国の新年である春節を迎えた。
日本のお年玉のような習慣があり、彼らに倣い、子供に10元ほどをあげようとするのだけれど、子供もしっかししていて「あなたからもらうわけにはいかない」と。
「いいから、いいから」と無理に渡そうとするも、周りに制される。
逆にぼくの手にはおじいちゃんからの10元が握られていた。
断るも、「お前は朋友だから」とおじいちゃん。
「朋友」と言ってくれた事に対する嬉しさ、そしてただただ申し訳なく思った。
色々と良くしてくれたのにも関わらず、この時まで完全に信用していなかったのだから。
おじいちゃんからもらった10元は大切にしまった。


幾度となく出発しようとするも、「明日は除夕だから」「春節だから」と彼らはぼくを引き留め、その度にぼくは根負けし、延泊し続けた。
その数4泊。

見返りを期待しない純粋なもてなしは、心の奥底にぐっとくるものがある。
そして今、この家族からの恩に報いるにはどうしたらいいか考えている。
彼らとの約束は西安から写真を送り、ロカ岬に着いてから手紙を出すという事。
お金も受け取ってもらえず、今のぼくにできることはこれくらいしかない。


今後、中央アジア、イラン、トルコなど、過去の経験上、温かく迎え、もてなしてくれた国々を訪れる。
そしてその度に葛藤するのだろう。

どの程度心を許し、警戒心を持つか、その線引きがとても難しい。
せっかくの出会いを警戒心を持ち続けたがために残念なものにはしたくないし。
逆に心を許し、警戒心を解いたがために騙されたくもない。


別れの朝。

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2箱のタバコ、みかん、りんご、ピーナッツなどを持たせてくれた。

「謝謝、再見」と、皆と握手。
おじいちゃんは涙ぐんでいた。

いつまでも手を振る彼らを背に、次の町へと進むぼくの胸中は、心からのもてなしに対する感謝、別れへのつらさと共に、申し訳なさが交錯していた。

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※朋友=友達 謝謝=ありがとう 再見=さようなら