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ALKINIST -あるきにすと- オリンピックイヤー

オリンピックイヤー 

日本を出たのが2008年末。オリンピックイヤーだった。
そして今年2012年、オリンピックイヤーがやって来た。
時間の経過がとにかく早く感じられるなんてこの前書いたばかりだけど、やっぱ早いわ。


終業式の日だったけど遅刻してテレビ観戦したアトランタ五輪のサッカーブラジル戦。
早退してテレビ観戦した長野五輪のジャンプ団体。
なんて書くと優等生でない事がバレてしまうけど、今思うと学校をサボった甲斐はあったと思う。

スーダン、エチオピア国境の村で過ごした夜、小さくて鮮明とはいえないテレビ画面にアテネ五輪の開会式が映し出されていて、皆が食い入るように画面を覗いていた。
こんな辺鄙な村の人もオリンピックに興味があるんだなとオリンピックの大きさ感じた瞬間だった。
そしてその何日後かにエチオピア人から「日本人がマラソンで金メダルを取ったぞ」とマラソンの結果を教えてくれて、さすがマラソン大国エチオピアと感心した。

さらには右指に包帯を巻いてテレビ観戦したバンクーバー。

今こうして振り返ってみれば、当時の事を鮮明に思い出す事ができる。


生まれてから開催された夏季五輪は7回。
そのうち確実に記憶があるのは5回。
ソウルは微妙、ロスは全くなし。

この7回の五輪のうち、最も印象深いのが2000年のシドニー。
なぜ印象深いって、ドラマどうこうとかじゃなくて、当時は暇な学生で、暇な夏休みで、TVガイドで紹介されていた見所なんかを読みながら連日チェックしていたというだけの事だけど。


当時多くの時間を費やしてテレビ観戦したシドニーオリンピックにまつわる名所がアデレードにある事は知っていて、ここは絶対に行っておきたいなと思っていたのだが、ようやく本日所用ついでに行ってきた。

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ハインドマーシュスタジアム。



すぐ側にはモニュメントがあった。
そうここはシドニー五輪のサッカー競技の会場なのである。

たかがオリンピックの会場に使われたくらいではわざわざ足を運ぼうだなんて思わないけど、このスタジアムは準々決勝で日本-米国戦が行われ、日本が負けてしまったのでした。
この試合の事は非常によく覚えていて、高原のゴール、楢崎の流血、試合終了間際に酒井が与えたPK、中田がPKを外して敗れ去った事。

そして何より通訳のダバディがトルシエのインタビューを通訳中に悔しさのあまり泣き出したのがとても強烈だった。当時のチームは個人的に愛着があるし、忘れられない試合の一つなのです。

中へ入り、緑色の芝をぼんやりと眺めながらアメリカ戦の事を思い出したなんて書きたいところだけど、思い切り扉は閉ざされていた。でも2週間後に中へ入るのである。

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へへへへへ。