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ALKINIST -あるきにすと- 今日のディリ

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今日のディリ 

東ティモールに関する知識は、首都がディリ、今年で独立から10年、日本大使館があり、マラリア、テング熱の感染地域という事くらいだった。
国旗、通貨、公用語、宗教、独立時の歴史背景、安宿がどこにあるのかなど一切分からぬまま、事前に情報など入れる事なくディリにやって来た。

あえて情報化社会という時代に逆らおうと思ったのは、情報というものは便利である一方で旅をつまらなくするという側面も持つから。
できる事ならインターネットなどなく、情報が限られ、旅人同士で情報を交換しながら旅をした深夜特急の時代を旅してみたいなと、そんな時代に思いを馳せる事がたまにある。

カンガルー島で会ったロニ達が旅をした時代はまさにそんな時代で、家族との連絡手段も手紙。受け取る際は大使館を利用していたのだとか。
彼らの話を聞きながらそんな時代に憧れた。


今の時代、どこに何があって、どういう人達がどんな暮らしをしているかなど、何もかもが明らかであるけど、こちらから情報を入れなければ未知である部分も多くはないけどまだ残されていると思う。

そして自分にとって未知なる場所の一つが東ティモールだった。

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入国後、至る所でこの旗を目にし、これが国旗である事を知る。
通貨は米ドルで、ポルトガル語が通じ、国民の大部分はキリスト教徒。
少しずつこの国の事が分かってきた。

現地人にインドネシアからの独立の事を尋ねようにも母国語でなければやはり理解するのは難しく、昨日はネットを駆使して東ティモールの歴史について勉強。

10年前の独立時の事は覚えているようで覚えていないし、2006年の混乱の事は全く記憶にない。新聞に目を通し、何か思う事はあっても所詮遠い国の出来事でしかないのか。

独立時の背景を調べ、辿り着いたサンタクルス事件という1991年の大量虐殺事件。
ディリ市内にある事件の現場に足を運んでみる事にした。

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諜報活動と暴力集団の培養による弾圧を実施していたインドネシア政府。
特に、インドネシア国軍兵士を中心に組織した覆面の統合派武装集団「ニンジャ」は、夜に出歩く若者を襲ったり、活動家を暴行、家を破壊するなどしていた。ディリにあるモタエル教会は、こうした軍の迫害を逃れた若者たちが身を隠していたらしい。
10月28日午前2時ごろ、「ニンジャ」は、独立派の若者30人ほどが身を隠していたディリのモタエル教会を襲撃し、独立派の若者セバスティアォン・ゴメスと、アフォンソ・ランジェルを殺害した。



「ニンジャ」なんて勝手に我が国の忍者をパクんなよという感じなのだが、ニンジャがセバスティアォン・ゴメスらを殺害したモタエル教会。サンタクルス事件の発端となった場所。
事件から20年が経ち、念願の東ティモール独立から10年が経ち、周囲は平和そのもの。

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教会内では子供達が賛美歌の練習をしていた。
もちろん事件が起こった20年前、彼らはまだ生まれていない。
この中には独立後に生まれた子もいるだろう。平和な時代のみを生きている子も。

子供達の歌声が響く今という時代の教会で20年前の血で染まった教会を想像する事はできなかった。

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教会をあとにし、大量虐殺の現場となったサンタクルス墓地へ向かう。

セバスティアォンのミサの後、参列者はサンタクルス墓地へ向けて行進をはじめ、約3,500人の群集に膨れ上がった。群集はすぐにデモと化し、「シャナナ万歳」「東ティモール万歳」などと口々に叫び、横断幕や東ティモール民主共和国の国旗などを掲揚して行進した。

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サンタクルス墓地到着。
しかし墓が多過ぎる。通路もなく、かなりの密度で墓が建てられている。

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無数にある墓の中からセバスティアォンの墓を探し出すのは不可能。
現地人に「セバスティアォンの墓はどこだ?」と尋ねながら進んだ。
東ティモール人にとって彼は特別な存在らしく、皆が墓の場所を把握していて、方向を指差し教えてくれた。

しかしこの人達、墓の上で飲んでタバコを吸ってという感じなんだけど、この国では問題ないのか?
隙間なく墓があるので、時折道を塞がれたのだけど、現地人は「墓の上を歩け」と言った。
かなり抵抗はあったけど、「失礼します、歩かせていただきます」と唱えながら、縁部分を歩かせていただいた。

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そして遂にセバスティアォンの墓を発見。

今平和なこの国を訪れる事ができるのも彼の犠牲があっての事。
まだまだ課題は多いけど、念願の独立を果たし、10年が経ち、人々が平和な日々を過ごせるのも彼の犠牲があっての事。


この国に何の責任も持たない通りすがりの旅行者でしかないけれど、墓前にて感謝の気持ちを伝え、祈りを捧げた。


もちろん彼一人の犠牲の上でこの国は独立を果たした訳ではない。
独立への過程でたくさんの人々が犠牲になり、血が流れている。


デモ隊は7時40分ごろにサンタクルス墓地に到着した。墓地には500人が待っており、デモ隊と合流して儀式の傍ら独立のアピールを始めた。8時ごろ、そこへインドネシア国軍兵士がトラックで乗りつけ、突然彼らへ向けて発砲を始めた。発砲は2分間続いた。
また、多くの負傷者はディリ南部のウィラフサダ陸軍病院に運ばれたが、軍は証言者を消すために殺すという「第2の虐殺」に及んだ。このほか、ディリ西部のベムシでも、住民70 - 80人がトラックで運ばれ、目隠しをされて後ろ手に縛られた状態で、自動小銃により殺害されたという証言もある。


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セバスティアォンの墓に案内してくれた現地人。
彼らもまた墓の上に腰かけ、新しい墓穴を掘っていた。
テトゥン語かポルトガル語か分からないけど、ジェスチャーを交え、何か問いかけてきた。

「どこから来た?」多分こんなところだろうと推測し、「日本だ」と返答。
するとまたジェスチャーで「ティモールと日本は友達だぜ」みたいな事を伝えてくれ、「オブリガード」と返した。

満足に意思疎通を図る事はできないけど、こういう人と出会う事ができ、本当に良かったなと思う。
航空券は決して安くなかったけど、自分なりにこの国を知り、理解し、来た甲斐はあったかなと思っている。

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インドネシアビザを受け取り次第、ディリを発つ。
アジア縦断に備え、ローカル床屋で髪を切った。2ドル。

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頭を丸めてみたのはアジア縦断への気合とか、気持ちとかそんな大袈裟な理由ではなくて、単純に暑いから。すっきりした。

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