ブックマーク
ALKINIST -あるきにすと- 遠い昔の話

遠い昔の話 

IMGP8856_R.jpg

早朝出発してラブアン島南部を半周。
歩行距離20キロ。昨日と合わせラブアン島1周60キロ。


昨日ラブアン島を半周し、今日のうちにボルネオ島に戻るつもりでいたけど、延泊してでも訪れておきたい場所があった。

IMGP8868_R.jpg

4時間少し、20キロ歩いた先に現れたのは平和公園。
実際のところ、昨日も足を運んでいたけど、モニュメントなど見向きもせずに、思い切り素通りしてしまった場所。


第二次大戦中、日本軍がボルネオ島を統治していたという事をクチン滞在中に知った。

終戦までに日本軍は4700人以上がボルネオで戦死または戦病死した。
今いるラブアン島、ブルネイ湾でも戦闘があり、日本軍は1200人以上が戦死した。


ラブアン島のラヤンラヤンビーチには馬場正郎中将が降伏文書に署名した場所も残されており、そしてそのすぐ側に日本政府も協力して建設された平和公園がある。

IMGP8870_R.jpg

「さきの大戦においてボルネオ地域およびその周辺海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する。」と書かれている。


国のために命をかけて戦い、二度と祖国の地を踏む事なく散っていった方々を敬い、手を合わせ祈りたいと思い、再訪したわけです。

IMGP8874_R.jpg

昨日免税店を歩き回り、日本酒を探したけどとても高く、ワンカップみたいなものは見つからないし、チョーヤの梅酒もあったけど、これでいいやと思ってスーパードライをお供え。
お供えする前に半分飲んでしまった。兵士の皆さんごめんなさい。
線香は売ってないので、中国寺院でお香を買った。

IMGP8889_R.jpg

日本軍降伏地点。

ここで馬場正郎中将が降伏文書に署名。
ここには戦争中の残虐行為を取り調べるための収容所があり、戦争法廷がここで定期的に開かれ、戦争犯罪の疑いのある日本軍人たちが裁判にかけられたらしい。


67年前。自分が生まれる前の遠い遠い昔の話。
クチンやラブアン、当時の町並み、風景は大きく変わったに違いないけど、降伏地点前にある海や潮の香りは当時と変わっていないはず。ボルネオの気候、ジャングルも当時と変わらないままだと思う。


自分と同じ様に汗を流しながらこの道を歩く事もあったのかな。
激しい雨に打たれながら、ジャングルの中で身を潜め、敵の襲来に怯える事もあったのかな。


ジャングルに囲まれた道を歩きながら考える事もしばしば。
不思議なものでボルネオに身を置き、そんな事を考えていると、67年という長い年月があるにせよ、ここにいた日本兵はそう遠くない存在に思えてくる。

IMGP8897_R.jpg

当時と変わらぬ海を見ながら思う。

馬場正郎中将は降伏文書に署名した時、この海を見て何か思ったのだろうか。
収容所に収容されていた日本人も同じように海を眺め、祖国の事を思っただろうか。