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ALKINIST -あるきにすと- 民族巡り

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民族巡り 

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ずっと会いたいと思っていたムルシ族。
ガイドを雇って、ムルシ族の村を訪れ、10年越しの夢が叶うも、写真を撮る度に金を払い、まるでテーマパークのアトラクションのようで感動どころではなく興醒め。
ガイドによって連れてこられたというのも不満、こんなの自分の旅じゃないだろという思いがあったのも確かである。

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2日後、すでにムルシ族村観光の拠点となるジンカから離れていたものの、思う事があって急遽ジンカへ戻り、さらに2つの村を独力で訪問。やっぱり自分で自由に動いてこその旅。一切の未練もなく、納得してムルシ村訪問を終えたのでした。


暑さと上り坂に苦しみ、木陰で休んでいたら「暑さにやられたか?」と水を差し出してくれたバンナ族。
あるいは2度目の訪問時、「また来たのか」と笑顔で迎えてくれたムルシ村の村長さん。

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テントを放牧帰りのバンナ族に見つかってしまい、テントに興味を示す若者。
民族の人達を写真に収める事以上に、そんな人間らしさに触れられた事は大きな収穫だったと思う。見た目は奇抜で斬新であっても人間の本質は変わらないものだなと思う。

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エチオピア南部の民族巡りをする人はツアーなどに参加してランドクルーザーで町や村を回るのが基本らしく、連日10台以上のランドクルーザーを目にした。民族のマーケットや宿で出会う旅行者やツアーガイドからは「歩いている人でしょ」と言われる事も何度か。

カイアファールの宿にいた数人のガイドからもそんな感じで声をかけられ、今後の行程を話したのだけど、突如表情を変え、「ダサネチ族は危ないぞ」とガイド。
「そのルート上ではダサネチ族と軍が戦闘をしていて今週10人死んだ」と彼は続けた。
別のガイドからは「最悪の場合殺されるぞ」と首を掻っ切るジェスチャーを示された。


エチオピア・ケニア国境はモヤレという陸路で越境するならほぼ100パーセントの旅行者が通るであろう国境があるのだが、数年前の某ガイドブックには「絶対にここを通らないでください」と書かれ、現在では町に関する情報すら削除されている。

一方、自分が越えようとしているのは超マイナー国境であり、数年前に日本人サイクリストが自転車でここを通過して以来、調べた限りでは3人のサイクリストが通過していた。
交通機関もなく、オフロード、人力移動している人間でないと越えるのが難しいだろう。ここを越境している人が少なすぎるので情報はほとんどない。


ケニアの入国スタンプがイミグレにないのでここで入国スタンプは押される事はないらしい。また治安や水や食料の確保など、色々と不確かな部分が多い。
ネット上に出てくる情報と言えば、牛の群れを巡る部族間対立で警官40人が殺害されたというニュースや部族間抗争の話ばかり。
アフリカ大陸縦断の最大のヤマ場はここだと考えていた。

ケニア国境が近付くにつれ本当にこのルートを歩くべきなのかと連日葛藤を繰り返した。
シャシャマネで道を誤ってモヤレ方面へ進んでいた時は神の導きなんじゃないかと思ったし、アルバミンチで血便が出た時も不吉な予感がして何かのサインに違いないと考えた。
そして今度はダサネチ族の危険情報である。


リスクを冒すのはやめようと真剣に思い、とりあえずこの先の町まで行き、警察や現地人に治安状況を確認した上で判断を下す事に決めた。
そしてカイアファールから80キロ離れたトゥルミという町に着き、地元の人や警察、手前の町には軍のキャンプもあったので治安状況を確認する。

「問題ないぞ」という軍人に「えっでも軍とダサネチ族は戦闘中と聞きましたよ」と言えば、そんな話は知らないと言われた。
情報収集の結果、ほぼ全ての人が「問題ない」と言い、1人の男が「最悪金品を奪われるかもしれない」と言ったが、このルートを歩く事を決めた。

周囲に村など全くなく、交通量もない。
前方に人影が見える度に動悸が激しくなり、「最悪金品を強奪される」という言葉が脳裏に浮かぶ。

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金品を求められる事はないが、「食べ物をくれ、飲み物をくれ」と人が現れる度に言われる。
銃を手にし、弾を腰に巻き付けたような人がそんな事を言ってくるのだから、断り方にも気を遣う。
ちなみに彼らはダサネチ族ではなくトゥルミ周辺に住むハマル族。

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