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ALKINIST -あるきにすと-

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El Bonito 



ペルー最終日の147日目は16キロ歩いて国境へ。
5月にペルーに入国した時は「やっとペルーに着いたか」と思ったけど、147日も滞在すれば「やっと終わったか」となる。

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南米大陸5か国目のエクアドル入国。
ちなみに前日、南米大陸を歩き始めてから1年を迎えた。

エクアドル入りしてまず最初の感想はクロワッサンが美味しいというものだった。国境の商店で売っていたクロワッサンの食感、風味ともに素晴らしかった。
ペルーでもクロワッサンやパンをよく食べていたけど、エクアドル入りした直後、あっさりとそれらを上回るものと出会ってしまった。
しかもここは一流ベーカリーではなく国境の商店。
この先エクアドル滞在中のパン屋巡りが楽しみになった。


さっそくエクアドルの道を歩き始めれば、やたらと追い越しする車が多いのだけど、ウィンカーを使用する車が多い事に驚き、クラクションが全く鳴らされない事に感動した。
ペルーではこちらが避けなければ当たっていただろうという事が数回、キレる事数え切れず。ペルーのドライバーは本当にひどかった。

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午後、チリ人サイクリストと遭遇。
トルヒーヨで噂を聞いたとの事で「歩いてる日本人だろ」と言われた。
トルヒーヨからここまで徒歩で14日、2日の休息日を合わせて計16日かかっているが、彼は5日で走ってきたのだとか。
再び走り出した彼の背中はあっという間に小さくなり、見えなくなった。

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「この先は首絞め強盗が多いから気を付けろ」と現地人に脅されたエクアドル初日は空き地にテント。
隣の工場のライトがテントを照らし、蚊もいるし、あまり良い場所ではなかった。
危険なペルーを無事に抜けたので緊張が解けかけていたけど、まだまだ気を抜くわけにはいかない。

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エクアドルでは米ドルが通貨として使われているのだけど、2日目午前中の時点で手持ちの米ドルが5ドルという小学生の財布の中身と変わらないような額しかなかった。
両替するためだけにマチャラという街に立ち寄る。両替のために同じ道を往復するという事になり2時間近く要した。
その後初めて現れたキトへの距離標識。

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道路の両脇には広大なバナナ園が延々と続く。
途中途切れる場所もわずかにあったけど40キロくらいは続いたのではないか。

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東南アジアやアフリカでも目にしたバナナの木だけど、それらと違うのはバナナが袋で保護されている点。バナナ園の人に尋ねるとやはり輸出用らしい。

ひたすらバナナ園が続き、テントをどこに張ろうかと悩んでいたら、夕方遂にバナナゾーンが終了。
有人地帯になるのだけど、人目につかない場所というのは皆無。前日、前々日と2日続けて蚊が多い場所にテントを張ったので、いかにも蚊の多そうな茂みの中も避けたい。

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小さな村に到着し、テント設営場所を求めて歩いていたら、「うちに張っていいよ」との声がかかり、庭にテントを張らせていただく。

2002年のサッカーワールドカップの時、エクアドル代表が鳥取市でキャンプをしていたという事はおそらく鳥取県民くらいしか知らない話。せっかくなのでそのネタを振ってみるも、「ふーん」という程度で全く盛り上がらず。
南アフリカ人に「ワールドカップ前、日本代表がうちの街でキャンプした」なんて言われても「へー」としか言えないので、そんなものなのだろうけど。

ちなみにエクアドルに派遣されたJICA隊員によれば、当時代表だった選手がスポーツ省の大臣になっていて、鳥取の話で盛り上がったのだとか。

南米大陸での歩行距離は10800キロに達した。アフリカ大陸縦断での距離と同じ。

Tumbes 



マンコラ出発。
PUENTE INTERNACIONALというのが国境。
頑張れば2日でも行けそうな距離だけど、無理せず2日半と予定。

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道脇で用を足していたら、近くの家の人が声をかけてきて、パパイヤをくれた。
立小便を注意するでも、不快感を示すでもなく、差し入れをくれる優しいペルー人。

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30キロ歩いてCancas。
桟橋では水揚げされたばかりの魚が仕分けされていて、上空にはそれを狙うカモメ。
旅行者が多くツーリスティックなマンコラよりは、ローカル色が濃くて旅行者がいない小さな漁村の方が好みです。

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海沿いの道を歩いていくのだけど、ホテルが点在し、危険な雰囲気は全く感じない。

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ビーチにテント。

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ラーメンを食べながら水平線に沈む夕日を眺める。
きれいな夕日だったんだけど、テント内でゴマ油をこぼしてしまい最悪だった。

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ルート上に点在する村などにはモニュメントが建てられている。

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特筆すべき事がないままTUMBES到着。
あえて何か書くとしたら、ペースがあまり良くないという事か。
危険地帯を歩いた時は意識せずとも早足になるのだが、ここでは最低限のペース。

国境まで25キロの場所。ここで1泊し食料を買っていくつもりだったのだけど、大型スーパーはないとの事でここに留まる理由がなくなった。少しでも国境に近付くべく北上を続ける。

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今更だけどペルー名物インカコーラ。
自分でお金を払って飲むのは3度目。
これを飲むなら普通のコーラを飲んだ方が満足度は高いが、レストランで水を補給させてもらったお礼も兼ねて。

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ペルー146日目の夜は道路から離れた茂みの中。
安全な場所なのだが、最悪な場所でもあり、食器を洗うためわずかな時間テントの入口を開けただけでたくさんの蚊が侵入。
閉め切ったテント内は暑いし、蚊に刺されてかゆいし、悲惨なペルーラストナイト。

Mancora 

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ピウラを出発。エクアドルへ向け、北上を再開。

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昼頃に到着したSullanaで昼食。
最近のお気に入り、アロズ・コン・マリスコス。
直訳すれば海鮮ご飯。

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初めて現れたエクアドルへの標識。
エクアドルが近付き、エクアドルナンバーの車も目にするようになった。
山岳ルートを選べば翌日にもエクアドル入りなのだけど、予定通り海沿いのフラットな道を進む。

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60キロ歩き、警察署の隣にテント。

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翌日はやたらと巡礼者を目にする。老若男女、50人以上はいたのではないか。
これまで会った巡礼者と違うのはこの日であった巡礼者が皆南下しているという点。
マンコラからワカという場所を目指しているらしい。
マンコラは太平洋に面したリゾート地と知ってはいたが、巡礼の起点になる何かがあるのだろうか?

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以前目にした大きな十字架。
あの時の巡礼者ではないかと思ったが、違った。
今回も試しに持たせてもらったけど重すぎる。
彼らの足元を見ればサンダルだった。

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巡礼というか苦行だなと思う。

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14時半まで全く何もない中を歩き、タララ手前にてようやく有人地。
この辺りから風が吹き始め、風力発電の風車が並ぶ。
ここは横風なんだけど、すぐに追い風に変わるので問題なし。

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チクラヨ・ピウラ間の危険地帯を脱したとはいえ、エクアドルとの国境に至るまで安全とは言えず、知人のサイクリストは現地人から「テントを張るのは避けろ」と忠告されていたらしい。そんなわけでテント設営場所は慎重にならざるを得ない。
前後から車が来ない事を確認し、道脇へと入っていき、道路から400メートル離れたところにテント。

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ピウラから3日目。
珍しく朝から青空。北上し、赤道が近付くにつれ、暑さが増している。

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30キロ超何もない中を歩いて待望の村が現れる。

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昼食後は再び褐色の荒野を歩く。

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太平洋が見える。

また10数キロ先の町を目指す事になるのだが、携帯している水が全くない状況だったので、町に着くや否や、商店で冷たい水を買い1.5リットルほど一気飲み。

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夕方、マンコラ到着。
巡礼の起点の町。

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東南アジアを思い出させる雰囲気の町であり、気に入ったので延泊したけど、少し外を歩いた程度で何をしたというわけでもない。

ペルー滞在は144日目。
一般的に90日の滞在許可がもらえるのだけど、自分の場合は徒歩なので120日必要である事を入国時に伝えたら、150日の滞在許可をいただいた。あの時は「そんなにいらん」と思っていたけど、150日で良かった。
あと2、3日でエクアドルに入れるはず。

Piura 

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無人の砂漠地帯を4日歩く予定。
飲料水15リットル、調理用水7.5リットル、コーラ1リットルを用意。
こういう無補給区間を歩く際、調理に水を使わず、食器を洗う必要のないものを基本的に食べているけど、気温が高いのでハムやチーズは持てないし、3日分の夕食だけという事でラーメン、コーヒー用の水を携帯する。



チクラヨから35キロ、モロペを過ぎた後、いよいよ無人の砂漠地帯に突入。

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砂塵をともなった強風が吹き荒れる。
追い風なので歩く分には全く問題なし。
問題があるとしたらテント設営時か。
道路から近いし、完全な死角ではなかったが、この日は前方に見える鉄塔の壁を風除けにテントを張った。

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午後以降は強風が吹き続けるので木もこんな風に曲がっている。パタゴニアみたいだ。

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チクラヨからは新しい靴を履いているのだけど、1日履いただけで左足踵に痛みを感じる。
これまで履いていたものは右靴に大きな穴が開いているものの、左側はもう少し履ける状態なので現在はこんな感じ。
こうして2つの靴を並べてみれば、6ドルの安物の靴のつくりは本当にしょぼくて、いかにコロンビアの靴が優秀であるかよく分かる。

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延々と続く砂漠地帯。
チクラヨまでの交通量と比べたら減少するも、バス、トラックなど走っている。ちなみに警察車両は2日目の朝に見かけただけで、常にパトロールが行われているわけではない。
たまに10分程、車通りが途絶える事があるけど不安を覚え、何度も後方を振り返り安全確認。

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チクラヨから3日目の朝、ピウラまで95キロの標識。

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たまに数軒の家が集まる集落やレストランが現れる。
3日目の昼、レストランで昼食をとったのだけど、おばちゃんにこの辺りの治安について尋ねると、「この先下り坂があって、そこら辺は少しだけ危険。周囲をよく見るように」と言われた。

数キロ先の道脇に警察車両が停まっていたのでここでも治安を確認。
「セグーロ(安全)ですよね?」とこちらの願望むき出しにして尋ねたのだが、警官は真顔になり「ペリグロ(危険)」と一言。
何事もなく歩いてきたので余裕だろうと思い始めていた矢先、警察による危険地帯宣言。
この警察達は取り締まりをするでもなく、2人が携帯電話をいじり、酔っぱらいのようなもう1人の男は後部座席で寝ており、全く使えない警察だった。

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その先にはレストランのおばちゃんに教えられた下り坂。
実際ここを歩いてみれば、道脇には身を隠せるような丘や木が茂っており、強盗がここで待ち伏せしていてもおかしくない。
道脇から強盗が現れ、人目につかない場所に引きずり込まれ、身ぐるみはがされる、そんな展開をイメージするのは容易だった。
何度も何度も何度も前後左右を確認。早足で歩く。
多くのサイクリストがここを避けるのはやはり理由があるのだ。今更ながらそんな事を思い、心底恐怖する。

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これまでは17時頃まで歩いてきたが、リスクを冒したくないので、15時45分に歩行終了。
砂地に残るタイヤの跡が心配ではあったが、道路から200メートル離れた丘の裏にテントを張った。


チクラヨから4日目、あと50キロ歩けばピウラに到着する。
5時半、無事に着けますようにと祈りながら歩行開始。

1時間歩いたところで前方からサイクリストの姿。
互いに足を止める事はなく、挨拶を交わしただけだったけど随分と緊張がほぐれた気がする。彼もまたここまで歩いてきた自分の姿を見て勇気づけられたのではないかと思う。

「ご武運を」と彼の背中に語りかけるのだけど、他人の心配をしている余裕はない。
しかしその少し先からは村や集落が点在する有人地帯となり、子供達が登校する姿を見て危険地帯の終わりを確信。恐怖心は完璧に消えた。

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だが再び昼食時にレストランのお姉さんに治安を確認したところ「ペリグロ」という答えが返ってきて顔を歪める事になったのだけど。
彼女曰くやはりチクラヨ・ピウラ間はとても危険らしい。

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何はともあれピウラに到着。
この先の海岸沿いも治安が良い場所ではないのだけど、最も危険な場所は何とか歩き抜けた。

数えてみたらペルー140日目。
現在地よりリマへ行くよりもエクアドルの首都キトを目指す方が近いという現実。
あと6日も歩けばいよいよエクアドルだ。

Chiclayo 

歩く上でも毎日のリズムみたいなものがあって、自分の場合は朝から晩までがっつりと歩きたい。その分早く目的地に着いて少しでもゆっくり過ごしたいと思っている。
8時とか9時に出発というのは好きではなく、歩くのはいつも日の出前から。トルヒーヨを出る時も6時くらいから歩き始めるつもりでいた。
前日にLuchoにその事を伝えると途中まで一緒に同行したいと言われ、結局9時に待ち合わせという事になってしまう。本意ではないのだけど、お世話になったし仕方ないかなと。



9時出発が9時20分になり、この先パンアメリカンハイウェイへのルートはLucho任せにして彼の後を追うのだが、着いた先はトルヒーヨの中心でそこにはカメラを持った人達の姿が。
まさかなと思ったのだが、こういう事があるなんて全く聞いておらず…。

この先治安が良くない場所を歩くのでメディア露出はしたくなかったのだけど、取材拒否できる状況でもなかったので取材を受ける。
英語とスペイン語、共通の言語がないのに取材なんて難しいんですけどね。

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インタビューを受けるLucho。

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歩いているところを撮影され、「グラシアス・トルヒーヨ」と言わされ、取材終了。

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トルヒーヨを抜けたところでLuchoとも別れ、1週間振りの歩行が始まる。

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この先はいつも以上に気を付けないといけない場所であり、テント設営場所も慎重に決めないといけないのだけど、この日はガソリンスタンドにテントを張らせていただく。
出発が遅れ、取材を受けた事もあり、目指していた町まで辿り着けず。

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2日目。
近くの町で豆乳とサンドウィッチの朝食。

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ここから無人の砂漠地帯が数十キロ続く。
しかし交通量は多いし、危険な感じは全くしない。

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パカスマヨまで歩き、連日のガソリンスタンド泊。

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素晴らしすぎるペースで67.8キロの歩行。
南米大陸での最長歩行距離だと思う。

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3日目。
珍しくこの日は町などが点在していた。

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夕方くらいからまた殺風景な人気のないところを歩き、ハイウェイの施設裏にテント。
雨が降る事はないし、結露もないので、最近はフライシートを使わず。

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4日目。

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ピウラまで危険地帯はあと240キロも続く。
TUMBESはエクアドル国境に近い町。

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チクラヨ近郊の砂漠はゴミ処理場となっていた。
ゴミ処理場というか、処理する能力がないから、ゴミ収集車が何台もやって来てここにゴミを捨てていくだけ。

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道脇もゴミが溢れ汚い。ボリビア国境からペルーをずっと歩いてきたけど、ここまで汚い場所はなかった。
さすがにチクラヨ中心部は清掃されていたけど、郊外はゴミが散乱。住人のモラル、生活レベルがうかがえるので良い印象は全くない。

チクラヨに到着し、トルヒーヨ・ピウラ間のほぼ半分を消化。
しかしここから先が最も注意すべき場所なので気持ち的には半分どころかまだ8割は残っているという感じ。
次の210キロに備え、食料、水を準備する。

南米大陸最大の難所 

南米大陸縦断計画当初より最も懸念していたのはアタカマ砂漠でもアンデス山脈越えでもなく、ペルー北部チクラヨ・ピウラ間の治安。
長い無人の砂漠地帯が続くこのルートはサイクリストが強盗に襲われる場所として有名であり、ここを避けるサイクリストも少なくない。ていうか避ける人の方が多いのではないか。

クスコでフランス人サイクリストと会ったのけど、アラスカから轍の後を刻み続けてきた彼でさえエクアドル国境からワラスまではバスで移動したと言っていた。
去年ここを走った英国人もいるが警察のエスコート付だった。

集大成の南米大陸、最後は無難に終わらせたいと考え、クスコ辺りまではバス移動する事を考えていたのだけど、最後の最後にそんな中途半端な事をしていいのかと自問。やはり足跡を途切れさせるわけにはいかないなと考える。
アンデス山脈を越えて砂漠地帯を回避する事もできるのだが、砂漠地帯に比べ距離は増えるし、ワスカランでの峠越えに疲れ、もうしばらく山はいいやという気分。


色々と悩んでいた時に知ったのがトムの存在だった。
リマでのんびり過ごしていた間に彼もリマに到着してしまい残念ながら路上で会う事はできなかったけど、トムは徒歩で南米を南下している。
早速彼にコンタクトをとってみれば、なんと砂漠地帯を歩いてきたのだとか。
「気候は素晴らしく、車が常に走っていて、道はフラット。テントも張りやすいし、何も問題なかった」とトム。その言葉に勇気づけられ、背中を後押ししてくれたのは確かである。

90年代に強盗が多発していたとは聞くけれど、自分の知る限りここ数年で襲われたサイクリストは1人だけであり、「強盗多発地帯」なんてフレーズが独り歩きしているのではないか。
90年代に比べ携帯電話は広く普及し、強盗にとってはメリットよりデメリットの方が大きいはず。いくらかの不安はあったけど、いけるんじゃないかという思いが日に日に増してきた。

問題があるとしたらそれは徒歩という機動力。
約200キロのこの区間を自転車なら1日半もあれば抜けられるはずだが、徒歩だと4日。
自転車の倍以上のリスクを背負う事になる。
リスクを軽減するにはここを少しでも早く抜ける事であり、先日試しに走ってみたのだけど、歩くのと走るのとでは全くの別物であり、わずか5分で断念。足の故障の恐れもあるし、走ったところで時速7キロ程度。いつも通りの時速5キロのスピードで砂漠地帯へ突入する。

最も危ないと考えているのはチクラヨ・ピウラ間だけど、トルヒーヨ・チクラヨ間も危ないのだとか……。


強盗に遭遇すればネタにして、セーフなら儲けもの。そんな感じに考えています。
アウト?セーフ?よよいのよい。

Trujillo 

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3泊で出るつもりだったトルヒーヨだが、体調を崩した事もあり予定外の7泊目。

ラパス以降3度目の食あたりはこれまでで最もひどく、3日はベッドから動けずぐったりしていた。

昔訪れたウズベキスタン。旧ソ連圏では宴会の時、ショットグラスに入ったウォッカを一気飲みする習慣があり、それを何度も繰り返すのだけど、無理が祟ってか翌日以降吐き気と下痢が続き、生き地獄だった。
あとはアフガニスタンで罹った赤痢。
さらには歩行中何度か見舞われた熱中症。歩けないし食欲はないし、これもきつい。
今回の食あたりはそれらに次ぐきつい症状だった。
食あたり3日目にはそれが起因して体の節々に痛みを感じ、階段の上り下りが特にきつく、歩行困難な状態に陥った。

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本来なら内科へ行くべき症状だが、なぜか歯医者へ。
もともとトルヒーヨで歯医者へ行くつもりだったのだけど、今お世話になっているLuchoの自転車仲間が歯科医との事で紹介していただいた。

トルヒーヨでの7日間はベッドの上で過ごした時間が長く、トイレに何度も通った思い出しかないのだけど、体調は回復し、体の痛みも消え、何とか出発できそうだ。

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現在お世話になっているCasa de Ciclistasという自転車乗りの宿。
2285人目の宿泊客でした。

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Luchoはすごくマメにデータをとっていて、宿泊客の国籍ランキングまである。
フランス、ドイツ、アメリカという順番。自分が会ったサイクリストを思い返せばフランスが最も多いというのは納得できる。
ALEMANIAがドイツというのは知っていたけど、REINO UNIDOがイギリス、PAISE BAJOSがオランダであると知る。

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